✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Calke Abbey (コークアビー)

所在地域:イギリス、Derbyshire (ダービーシャー)

1622年から約360年間“孤独”で知られるハーパー一族の住まいでした。荒廃した屋敷内の様子がそのまま保存されています。動物のはく製や植物・昆虫の標本で埋め尽くされている部屋も。

 

コークアビーは、ダービーシャーの森の奥深くにあります。1115年頃、教会が建てられ、ヘンリー8世の教会破壊で壊されたのち、1573~5年頃にリチャード・ウェズリーが現在のコークアビーの基となる建物を建てます。その後1622年に宗教問題で処刑されたロバート・ベンブリッジの所有となりますが、処刑後、ロバートの息子がヘンリー・ハーパーにコークアビーを売却します。こののち、377年間、この屋敷はハーパー一族の住まいとなりました。コークアビーを購入したヘンリーの父、リチャードが結婚と弁護士業で手に入れた領地が、以後12代に及んでハーパー一族の富を支えます。

 

ハーパー一族は、“世間嫌い、孤独好き”として知られる一族でした。訪れると、“世間嫌い、孤独好き”にコークアビーは実にぴったりくる佇まいで、ここで人付き合いをせずに、インターネットもテレビも電話もない時代に暮らすなんて、どんな毎日だったのだろうと思わずにいられません。森の奥深くの壮麗豪華な館の中で、ひっそりと・・・。

 

社交が貴族の“あたりまえの行動、求められる行動、必要な行動”であった時代、代々の男爵のなかでも以下の3人の“世間離れ”ぶりは、かなり特異だったようです。

 

第7代ヘンリー・ハーパー男爵(1789年から当主)

病的といわれるほどの世間嫌いで、先代が亡くなると一切の社交を断ちました。館内のメイドの一人ナニーとの間に婚外子(娘)を設けて母親を驚愕させたのち、ナニーと結婚をし、さらに母親を絶望させました。自然を愛す一方、人間を嫌っていました。大きなテーブルで、一人で食事をすることを好み、使用人と言葉を交わすことは少なく、指示はメモで行っていました。ロンドンに行かなければならないときも、社交を避けるためにロンドンには泊まらず、郊外の町に泊まり、人との出会いを避けていました。しかしながら、領地に危険が迫ったときに自衛軍を編成し、軍のためにハイドンに行進曲の作曲を依頼したという行動的な一面もありました。この行進曲を記念するプレートも残っています。

 

第9代ジョン・ハーパー・クルー男爵(1845年から当主)

社交嫌い、世間嫌いで牛や羊の交配に情熱を傾け、農業フェスティバル等へ牛や羊を連れていくことが、唯一人々との接点でした。鳥の狩り、そして捕らえた鳥をはく製にして保存することが大好きで、はく製を展示するためのテーブルやケースをオーダーメイドし、家の中を博物館のようにしていきました。

 

第10代バウンシー・ハーパー・クルー男爵(1886年から当主)

社交嫌い、世間嫌いで自然を愛していました。植物、昆虫、貝殻、蝶の標本や動物のはく製が大好きで、これらで家じゅうを埋め尽くしました。社交は全て妻に任せ(おしつけ)、玄関に誰かが来た、という気配を感じるやいなや、館の奥に逃げ込み、客人が退出するまで決して姿を現さなかったそうです。いつも蝶取り網と猟銃をもちゲームキーパー(狩猟番)を従えて領地内を歩き回っていたそうです。ある日、レプトンパーク(領地内で従弟が住んでいた)に現れ、獲物を追って木々の中にはいっていったものの獲物を捕まえられず、「うちでやるように、捕まえられると思ったのに!」と不機嫌になり、直後にレプトンパークの家は取り壊しになってしまったそうです。

 

その後1985年にコークアビーはナショナル・トラストの管理になりました。コークアビーは館の中が、ほぼ19世紀の時のまま、手をつけられていなかったため、ナショナル・トラストは館を修復するのではなく、荒廃したその様子をそのまま保存する方針としました。壮麗な館の中は、男爵たちの豪華な暮らしと、その豪華な暮らしが荒廃した“成れの果て”が混在し、もの悲しさが漂っています。“断捨離”できない一族が住んでいた館は、あらゆる“物”であふれかえっていて、たくさんの部屋は100年以上前の“物”たちの墓場のようです。

 

数ある部屋の中で、目を引かれたのはダイニング・ルームです。この部屋は第7代男爵によって改装され装飾はウィリアム・ウィルキンス(息子はロンドン、ナショナルギャラリーをデザイン)が担当しました。淡いピンクとブルーをベースに古代の神々のレリーフが配置されています。

 

グランドフロアの出口近くには、最近まで家族が住んでいた一連の部屋があり、こちらも公開されています。一族の末裔(傍系)は現在、米国在住で近年は、時々コークアビーを訪れて現代設備が整ったこちらの部屋で過ごすそうです。

 

ハウスの前の丘を上がっていった先にある広いガーデンは美しく、私が訪れた9月は、ダリアが満開でした。フラワーガーデンは特におすすめです。フラワーガーデンの脇には、もう使われていない作業小屋が連なっていて、この中にも恐らくずっと使われていない農作業の用具がたくさん荒廃したまま置かれています。ガーデンには、“ガーデントンネル”があり、中は真っ暗ではありますが、トンネルを抜けるときにちょっとドキドキする遊び心が味わえました。ハウスの中は、もの悲しい空気が漂っていますが、ガーデンにいくと一転、とても明るく活力がでるかのようです。“世間嫌い”のハーパー達も、ガーデンでは、きっと活き活きとした表情をしていたのだろうと思います。

 

✴ヒルダのある日の独り言✴

ヒルダ・モズリーは、世間嫌いの第10代バウンシー・ハーパー・クルー男爵の長女。

男爵の長男は、男爵が亡くなる前に病気で亡くなったため、ヒルダがコークアビーを1924年に相続しました。

 

1925年のある日(ヒルダは48歳)

スノードロップが咲きだして、ほんの少しだけ、春を感じられるわ。今日は少し、ガーデンに散歩に行きたいわ。しばらく、ガーデンには行っていないから。父が亡くなってから、毎日、目まぐるしくて、これまで季節を感じる余裕がなかったわ。

 

変わり者の父だったけど、会えなくなると寂しいものね。生きているときは、全くどう付き合っていいか、娘の私も途方にくれたこともあったけれど。娘に対しては、なんとなく一歩譲るところがあって、なんだか頼りにされているのかなとも思えることもあったわね。アガサス(狩猟番)も手持無沙汰ね。アガサスは父の右腕だったから。

 

それにしても、私がコークアビーを継ぐことになるなんて、誰が想像したことでしょう。

リチャード(相続人だった弟)が亡くなってしまうなんて!嘆いても仕方がないとわかっていても、あまりに不条理な現実を嘆かないわけにはいかず、気がつくとリチャードを思い出しているわ。リチャードさえ、いてくれたら・・・。

 

相続税のことなんて、考えたこともなかったわ。こんな金額を誰が払えるというのかしら。政府はカントリーハウスをこの国から無くしたいのかしら。コークアビーはなんとしても、一族のものとしてこのまま維持していきたい。それには、まずは相続税を支払わないと。売却できるものは売却して。でもどうやって。いったい家の中になにがあるのか、まずはリストを作る必要があるわね。それにしても、どこから始めればいいのやら・・・。パパの蝶や昆虫の標本は、いったい・・・売れるものなのかしら。なかには珍しいものもあるようだけど。鳥の卵とか、はっきりいって私はあんまりじっくり見たくないから・・・ああ、でも私がリストを作らないとね。ゴディ(夫の愛称)には頼めないわね。彼はそんなにこの家の継承に興味はないようだし。執事やフットマン達も、数を半分に減らしてしまったから、日常業務でとても忙しそうだし。

 

いろんな部屋に、動物のはく製が山積みになっているけれど、熊とか鹿とか、蛇とか。あれはいったいどうしようかしら。捨てるのはしのびないけれど、ずっと置いておくのもどうなのかと。おじいちゃんとパパのはく製遺産、処理に困るわ・・・。どこか博物館で引き取ってくれるといいけど、そんなお願いをするのもおっくうだわ。まあ、とりあえず置いておくことにしましょう。

 

チャールズ(妹の長男)は、私のあと、ここを継ぐことになるのだけれど、あの関心の無さといったら、あきれるわね。コークアビーについて学ぼうという気があるのかしら。コークアビーを継ぐのだったら、建物の歴史やガーデンについて、もっともっと知ってほしいわ。

まあ、機会を見つけて、彼にはいろいろ引き継いでいかないとね。

 

相続税のことを考えると気がめいるけれど、もうすぐ春だし、気持ちを前向きにもっていくことにしましょう。フラワーガーデンにこの春、どんな花が咲くのか、ジョン(ガーデナー)に話を聞いてみましょう。コークアビーの継承は一族の責務、そして誇りなのですから。

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

参考資料:「Calke Abbey」National Trust