✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Greys Court(グレイズコート)

所在地域:イギリス、Oxfordshire(オックスフォードシャー)

最後に住んだブラナー一家のアットホームな雰囲気と中世からの長い歴史が共存する、こじんまりとしたハウスとガーデン。

 

グレイズコートの歴史は、ドームズデイブック(ウィリアム征服王がイングランド全土の土地の記録を作成した)で、デ・グレイファミリーが住んでいた記録まで遡ります。

 

初代グレイ伯爵はエドワード三世の側近で、名誉あるガーター騎士に叙勲され、さらに王室一家のスチュワード(王室運営全般を取り仕切る役目)も務めていました。1346年には自分の家に、“銃眼をつける”許可を得て、銃眼つきのグレートタワーを建てます(現存)。

 

1387年に第4代グレイ伯爵が死亡したときに、グレイズコートは娘のアリスが相続し、アリスがウィリアム・ラブルズと結婚したことから、これ以降ラブル家のハウスとなります。

 

アリス死亡後、孫のフランシス・ラブルズが相続しますが、フランシスは、バラ戦争の際、リチャード三世の支持者だったため、新王ヘンリー7世にグレイズコートを没収され、ジャスパー・チューダー(ヘンリー7世の叔父)に譲渡されます。

 

その後、グレイズコートは、ヘンリー7世の所有に戻りますが、ヘンリー7世の長年の側近、ロバート・ノリーズが借り受けます。賃料は、毎年、夏至に“赤いバラ一輪”を王に渡すことでした。

 

しかし、ロバート・ノリーズの息子、フランシスは熱心なプロテスタントだったため、メアリー女王の時代、国外で過ごさざるおえなくなりました。そして、エリザベス一世の即位とともに、イングランドに戻ります。フランシスは、1562年に枢密院のメンバーに任命され、またオクスフォード代表議員であり、軍の大尉でもありました。エリザベスから絶大の信頼を得ていた彼は、1568年、メアリー・オブ・スコッツの護衛役(見張り番)までも任されています。

 

飛ぶ鳥を落とす勢いのフランシスは、エリザベス女王になんとか自宅のグレイズコートを訪問してほしいとの切なる願いのもと、古い建物の大部分を壊し、エリザベサン宮廷様式の三角屋根つき邸宅をレンガで建て、屋敷前の広場をつくり、タワーも新築しましたが、エリザベスはある事件がもとで憤慨してしまい、グレイズコートを訪れることは、残念ながら

ありませんでした。ある事件は、サイト後半の“フランシスの独り言”でご覧ください。

 

フランシスは、1596年に亡くなり、エリザベスの宮廷、そして地元で大活躍だった彼にふさわしい立派な葬儀が執り行われました。

 

この後、17世紀後半からは、ノリーズ一族は、この家にあまり興味をもたなくなり、ハウスは荒廃へとむかます。ノリーズ一族は他にも、数軒のハウスを持っていました。ピューリタン革命の際は、グレイズコートは、議会派に占拠され、建物の多くの部分が破壊されてしまいます。

 

こののち、1724年からル・デスペンサー男爵が5代にわたって所有します。しかし、代々の男爵たちは、他のカントリーハウスに住み、唯一、最後の第8代男爵のみが、居住しました。

 

1934年からほんの3年間、ジェームズ・ボンド創作者のイアン・フレミングの母親、エブリン・フレミングがグレイズコートをとても気に入り、一人で住みました。

 

1937年からは、スイス出身のフェリックス・ブラナー卿一家が2003年まで住みます。引っ越してきたとき、ブラナー卿の4人の男の子たちは、2歳~11歳。ハウス、中世からのタワーがあるガーデンや、広いフィールドを舞台にどんなに楽しい子供時代を過ごしたことでしょうか。

 

ハウスの中には、スクールルームと呼ばれる部屋があり、この部屋で子供たちは遊んだり、勉強したりしていたそうです。ある雨の日、この部屋でクリケットのボールでキャッチボールをしていた子供たち。投げたボールが勢いあまって、壁にかかっていたヘンリー8世のデスマスク(死亡したときの顔を石膏で固めたもの)にあたり、デスマスクは、壁から落ちて、割れてしまい・・・シーンとなってしまったそうです。ヘンリー8世もやんちゃな男の子たちには、何も言えませんね。

 

2003年ブラナー夫人が99歳で亡くなってからは、ナショナル・トラストが管理運営しています。

 

ああ!ここで育ってみたい・・・と無理なことを思わず願ってしまう、そんな第一印象でした。最後に住んだブラナー一家が残していった温かいファミリーホームの雰囲気が、まだまだそこかしこに残っていて、ハウスの中にいると、初めて来たとは思えない、落ち着いた

優しい気持ちになれるのでした。

 

エントランスホールの壁をくりぬいて作られたチャイナキャビネットのユニークさといったら、他ではこのようなものを見たことがありません。きっと大好きな陶器のコレクションを納得いく形で、毎日見たかったのだろうな~と思います。

 

居間のベビーピンクの壁につくられた石膏の花綱かざりが、美しく、このような繊細な石膏飾りをつくる方にお会いしてみたいと思いました。

 

ガーデンツアーの集合時間に行くと、なんと参加者は私一人!贅沢なプライベートツアーを楽しむことができました。ブラナー家の4人の息子たちが、夫妻の結婚40周年記念にスイスから取り寄せてプレゼントした石の噴水、結婚50周年を記念して送ったブドウ棚、

そんな家族の思い出が詰まったガーデンは、訪れる者をも幸せな気持ちにしてくれます。

 

敷地には、ロバが歩く力で水をくみ上げる井戸小屋があります。ロバ力井戸小屋はイギリスに二か所しか残っていないとのこと・・・もう一箇所はワイト島のキャリスブルック城。キャリスブルックを数年前に訪れて、ロバ力井戸もしっかり見ました。キャリスブルックを訪れたときは、実際にロバがデモンストレーションしてくれたのでした。グレイズコートではロバはもう引退したようです。

 

 

✴フランシス・ノリーズの独り言✴

 

フランシス・ノリーズはエリザベス女王の枢密院のメンバーで、オックスフォード代表議員、軍大尉で、エリザベス一世が信頼していた重鎮。グレイズコートの16世紀の所有者。

 

(1578年頃の独り言、フランシス67歳)

 

冗談じゃないっ!レティス(フランシスの娘)は、気が狂ったとしか思えない!

 

いったい、いつロバート(ロバート・ダドリー、エリザベス一世の長年の愛人)とそんな関係になったのだ。あのバカ野郎のロバート野郎と結婚なんて! ロバートは私になんの恨みがあるというのだ。

 

ロバートは女王にまとわりつくだけの調子のいいたわけもの。ダンスがちょっと踊れて、女王を喜ばせる甘い言葉を囁くのが上手かもしれんが、それ以上何もない空っぽなやつだ。法律の知識もなければ、戦場で隊を率いることもできん。ただ、女王の寵愛を得ているというそれだけの奴だ。

 

そんな奴が、レティスの気をひくようなことを陰でしていたとは、言語道断だ!

 

レティスは、父親の目から見ても、いじらしいくらい控えめな娘で、エリザベス女王にお仕えすることだけを喜びとしていたように見えたが・・・

 

娘でも本当のところは、わからんものだ。20歳を超えて、誰か相応な相手を、探してやらねばと思っていたが、いろいろと忙しくて、ついつい後回しにしていたのが裏目にでた・・・しかし、若い娘とはいえ、レティスもあまりに見る目が無さすぎる。ロバートのどこがいいというのだ!

 

しかも、二人で秘密結婚までしたとは、親子の縁を切りたいくらいだ!

 

・・・・しかし、この結婚を女王に誰が告げるのだ・・・女王はヘンリー王(8世)やメアリー女王とは違って、やみくもに処刑はしないが、こと、ロバートのこととなると、理性を失いがちだ・・・レティスと結婚しているなどといえば、いったいどんな恐ろしいことになるか想像もつかない・・・。

 

もうこのグレイズコートを、女王が訪れてくれることは、ないだろうなあ。

せっかく大改築して、女王好みのゲーブル(三角屋根)もつけたのに・・・。タワーも八角形の斬新なデザインにしたのに、もう見てもらえることはないな・・・女王に来てもらえるよう10年近くかけて、改築してきたのに・・・残念すぎて涙もでない。

 

とりあえず、セシル(ウィリアム・セシル、エリザベス一世の秘書長官)に相談してみよう・・・セシルなら、きっと最善の伝え方を見出してくれるだろう。私も引退する時がきたようだな。もう二人の結婚は、孫の誕生を伴い、変えられないのだから。

 

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

参考資料:「Greys Court」National Trust