✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Glamis Castle(グレームスカースル)

所在地域:イギリス、スコットランド、Angus(アンガス)

現エリザベス女王の母、クイーンマザーの実家。エリザベス女王の妹、プリンセスマーガレットはここで生まれました。スコットランドの歴史とともにある古城。

 

グレームスカースルは、スコットランド王家のハンティング・ロッジ(狩猟のための家)でした。1372年にスコットランド王ロバート2世から、ジョン・ライアンに与えられました。それ以来、現在に至るまで、ライアン一族(家名、爵位名はその後変更)の城となります。

ジョン・ライアンが、4年後に王の娘、ジョアンと結婚したことから、それ以来、グレームスは王家と関係の深い城となります。ジョンに与えられた当時は、粗末な2階建ての家と馬屋などしかなかったグレームスですが、ジョンの息子第2代ジョン・ライアンがグレートタワーの建設を始め、彼の死後に完成します。

 

その後、スコットランド王ジェームズ5世の時代に、悲劇がグレームスを襲います。

第6代グレームス卿ジョンの妻、ジャネット・ダグラスは、ジェームズ5世が恨みをもつダグラス一族の出身でした。ジェームズ5世は、ジャネットに魔女の疑いをかけエディンバラ城に監禁したのち、火炙りで処刑します。(後述、~レディグレイの独り言~ご一読ください)ジャネットの息子第7代グレームス伯も死刑を言い渡されていましたが、ジェームズ5世の死後、釈放されました。

 

ジェームズ5世はダグラス一族を処罰するだけでなく、グレームスを没収し、1537年から1542年の間、グレームスを王室法廷としていました。この期間に多くの王室発行の特許状や法令がグレームスより発行されています。

 

1562年には、メアリー・オブ・スコッツが4人のメアリーという名の女官をつれ、グレームスを来訪しています。父ジェームズ5世の暴挙を申し訳なく思っての来訪と言われています。この来訪時、ひどい天気にかかわらず、メアリーはとても元気で陽気だったと、イングランド大使がエリザベス1世に送った報告が残っています。

 

第9代グレームス卿パトリックは、ジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)の

忠臣で、イングランドへも随行しています。ジェームズ6世により、パトリックは、

キングホーン伯爵というイングランドの爵位を得ます。これもジェームズ6世がジェームズ5世のグレームスへの暴挙への償いとして叙爵したようです。ジェームズ6世の重臣となったパトリックは、グレームスのタワーや階段、尖塔を改修増築し、現在の姿に近づけています。

 

第3代伯爵パトリックは、「グレームスを最貧の状態で引き継ぎ、最高の状態で残した」と称されます。父親が残した多額の負債(当時としては巨額の4万ポンド)を返済しただけでなく、40年間のさまざまな賢策で領地に豊かさを取り戻し、グレームスを改修し、美観を整えます。1679年に西棟を増築し、城を疑似シンメトリーにし、建物に対して45度の角度をつけたメインアベニューを造りました。現在も、このメインアベニューを通ってパーキングに入りますが、近づいていくにつれ、グレームスが迫ってくるそのインパクトは劇的なものがあり、パトリックのセンスの素晴らしさがわかります。

 

第4代伯爵ジョンには7人の息子がいましたが、二人は父親より先に亡くなり、4人が第5代、第6代、第7代、第8代と順番に爵位を継ぎ、第8代トマスの息子、ジョンが第9代となります。第5代ジョンは、ジャコバイトとして1715年に戦死、第6代チャールズはジェームズ2世の息子ジェイムズ・フランシス・スチュアートとその側近88人を城でもてなしました。この滞在時のジェイムズの忘れ物の懐中時計が、いまも保管されています。

 

第14代伯爵の末娘エリザベス・ボウズ・ライアンは、1923年4月26日にジョージ5世の次男アルバート王子と結婚、アルバート王子がジョージ6世として即位するとともに王妃になります。現在の女王陛下エリザベス2世は、エリザベスの娘であることから、イギリスでは亡くなられたあと、今も、クイーンマザーとして親しまれています。

 

現在の当主は、直系子孫である第19代ストラスモア・キングホーン伯爵サイモン・パトリックです。

 

グレームスを訪れたのは、7月の下旬。スコットランドでは珍しい、ぬけるような青空のもとに佇むグレームスからは、王家とともに歴史を歩んできた威厳が溢れ出ていました。

 

見学ツアーでのみ入城できます。ダイニングルームの天井には、イングランド王家を表するバラとスコットランド王家を表するアザミが市松模様のように彫られ見事でした。グレートホールを改築してつくられたドローイングルーム、クイーンマザー一家が滞在したロイヤルアパートメントなど、温かな雰囲気にあふれた部屋の数々は、見応えたっぷりで、撮影禁止なのが残念でした。クリプトや、ダンカンズホールなど、中世の造りそのままの部屋は、兜や甲冑などの中世の戦争装束が飾られています。

 

イタリアンガーデンやウォールドガーデンは、整備され美しく、プリンセスだった幼少の頃のエリザベス女王とマーガレット王女が遊んでいた姿が目に浮かびます。“おばあちゃんの家”としてグレームスを訪れていたエリザベス女王、きっと、グレームスに行く日をとても楽しみにしていたことでしょう。グレイレディという幽霊がいることもご存知でしょうから、グレイレディに会うことも楽しみにしていたかもしれませんね。

 

✴グレイレディの独り言✴

 

グレイレディは、第6代グレームス卿の妻、ジャネット・ダグラス。ジェームズ5世のダグラス一族への恨みから魔女の疑いをかけられ、エディンバラ城に投獄され、1537年エディンバラ城前のコートヒルで生きたまま火炙りの刑に処せられ死亡、その後グレームスのチャペルの席に座っている幽霊“グレイレディ”として知られています。

 

(1953年6月3日の独り言、ジャネット死後416年)

リリベット(エリザベス2世の幼少の頃の愛称)の戴冠式は、まあ、見事だったわねえ。

幽霊の私でも、ため息がでるくらい、リリベットが若く美しく、自信に満ちていて、世界中がうっとりしてみていたわね・・・戴冠式、初のテレビ中継というのも、フィリップ(エリザベス女王の夫)のアイデアらしいけど、世界中にリリベットのこのうえない立派な姿を見てもらえて、大成功ね。フィリップやるじゃない。私が、ジェームズ(5世)にあらぬ疑いをかけられて、火炙りにされてから、はや400年が過ぎるわね・・・

 

私が魔女って・・・まあ、理由はなんでもよかったわけだけど、グレームスの田舎で、静かに過ごしていただけなので、私がダグラスの出身だからって、牢獄に入れられて火炙りの刑って、あまりに野蛮で無謀・・・いま思い出しても悔しくて、悲しくて、どうしたらいいかわからないぐらいの怒りが沸き起こるわ。火炙りにされるなんて!!!!熱くて苦しくて、文字通りの死ぬ苦しみ、ジェームズにも絶対同じ苦しみを!と思って死んでから作戦練っていたら、ジェームズったら意外と早く30歳で病死してしまって・・・作戦が間に合わなかったわ。

 

グレームスで過ごした穏やかな日々が懐かしくって、どうしても、まだグラームスに戻りたくって、戻ってしまうのよね・・・

 

チャペルに座っていると、心が落ち着くわ。エディンバラで処刑されてから、魂の姿でここへ戻ってきて。もう幽霊になったから誰にも見えないだろうと思って、幽霊の姿で、誰かを驚かすなんてことはしたくないものね。それでも、ローズ(クイーンマザーの姉)には私が見えてしまったのね。ローズったら、びっくりして、外にでていってしまって。どうやらその時以来、私の姿が、生きている人たちに見えるみたいね。ま、いいかしらね。

 

エリザベス(クイーンマザー)が王室に嫁いたどきは、まさか彼女の子供が国王になるとは予想もしなかったけれど。(アルバート王子は次男)これで、グレームスの名誉も回復されたというものよ。

 

あの憎きジェームズの子孫は、結局、現在のイギリス王家まで脈々とつながって、ちょっといまいましい気もするけど、途中でチャールズ(1世)が斬首にされたり、いろいろあちらも大変だった中、よくまあ、ここまで血脈をつないできたと、敵ながらあっぱれと思うことよ。でもグレームスで育った子。その子の娘がイギリスの女王になった!!これで、私の気持ちも晴れたわ!あとは、リリベットが安定した王位を保つことね。私も陰ながらサポートしなくては。

 

リリベットは、小さい頃よくグレームスに来て、遊んでいたわね。イタリアンガーデンでかくれんぼなんかして、私も時々、リリベットの肩を叩いたり、ほっぺをつねったりしてみたもんだけど、リリベットは不思議そうなかわいい顔をしていたわね。

 

ああ!リリベットの戴冠で、長年の怨みが晴れるというものよ。火炙りの怨みが、私の魂を永遠にしたようね。これからは、リリベットを見守っていきましょう。

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

写真(下)は、ジョージ6世戴冠式で、エリザベス(クイーンマザー)、エリザベス王女(現エリザベス女王)、マーガレット王女が召されたガウン。

 

参考資料:「Glamis Castle」Glamis Castle

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