✴ハウスの概要✴
ヒストリックハウス名:Ascott(アスコット)
所在地域:イギリス、バッキンガムシャー
ロスチャイルド家・イギリス系子孫がハンティングロッジから発展させた館。外観は復古イギリス様式の素朴な印象でも、部屋は貴重な絵画や陶器の芸術品で埋め尽くされている。
16世紀にフランクフルトのゲットー、ユーデンガッセに住んでいたイサック・ロスチャイルドの家に赤い“ひさし”(ドイツ語でrotes schild)があったことが、ロスチャイルドの名前の由来とされています。そしてこの苗字はその後、世界中に知れ渡ることになりました。18世紀にロスチャイルドファミリーはフランクフルトで始めた銀行業を50年のうちにヨーロッパ中に拡げ、業界をリードし、ハプスブルグ王家より爵位をうけるまでに成功しました。
イギリスへ移住したロスチャイルド家の兄弟たちは、狩猟に大変な熱意をもっていました。バッキンガムシャーのアルズベリー周辺は、狩猟に適した土地であり、またロンドンから新しく開通した鉄道によりアクセスも良かったため、ロスチャイルドの兄弟達はアルズベリー周辺8マイル内に少なくとも6つの領地を所有していました。兄弟たちは当初、キツネ狩りをしていましたが、鹿狩りをするための猟犬(スタッグハウンド)を独自に交配して育て最適な犬種を創りだし、鹿狩りにいそしみました。
レオポルド・ロスチャイルドは、1606年に建てられた農家を元に1874年にアスコットを狩りに最適なハンティングロッジとするため、大きく増改築しました。
厩、スタッグハウンドの大規模な犬小屋、宿泊客達のためのたくさんの部屋をそなえた建物、その客達をもてなすための大規模なキッチン棟などが増築されました。レオポルドはアスコットの増改築を、建築家ジョージ・デベイに依頼。デベイは復古イギリス様式を得意としていて、ハーフティンバー、赤レンガの屋根、赤レンガの煙突でハンティングロッジに似つかわしいカントリー風な趣を強調した造りとなっています。デベイの建築資材や塗装へのこだわりは、アスコットの外観の美しさに反映されています。ジョージ・デベイによる建築は長年にわたり、1886年にデベイが死亡してからは、デベイのパートナーのジェームス・ウィリアム、そのあとは、ウィリアムの弟子のウォルター・ゴドフライがデベイを継いで建築を続けています。同時期にバッキンガムシャー、バッズデンに別のロスチャイルド子孫により館が建てられていますが、こちらは豪奢なフランス風宮殿で、同じ一族でも、全く違う趣で館を建てています。
レオポルドは、ロンドン、ニューマーケットにも館をもち、それぞれの館で客人たちを盛大に豪華にもてなしました。アスコットは主に秋冬のシーズンに使われ、狩猟、乗馬、ゴルフ、リリーポンドでのスケートなどが彼らのお楽しみでした。常連には、マルボロセットと呼ばれる皇太子エドワードとその友人たち、ハティントン侯爵(のちのデボンシャー公爵)と彼の未来の妻ルイーズ、マンチェスター公爵夫人、ダービー伯爵夫妻、ファクハー卿夫妻、オーストリアの政治家メンスドーフ伯爵、バルフォア首相、ゴスフォード一族と、政財界のそうそうたる顔ぶれが頻繁にアスコットを訪れました。これらの客人たちは、みな従者を連れてやってくるので、客人が増えるにつれ、従者が宿泊する施設を次々と増築する必要があり、また客人をもてなす使用人も増え続けていったため、アスコットは継続的に増築され、小規模なハンティングロッジから大規模な館へと発展していったのです。
レオポルドの父、ライオネルは熱心な絵画の収集家でそのコレクションの一部はレオポルドに引き継がれました。レオポルド自身は17世紀、18世紀のオランダ画家、フラマン画家の作品を、フランスやイギリスで人気がでる前に収集しています。
1917年にレオポルドが死亡してからは、未亡人マリーが1937年に死亡するまで住み続けます。マリー死亡後は、彼らの息子アンソニーと妻イボンヌが相続します。アンソニーとイボンヌが相続したときには、レオポルドの時代に増築されたビクトリア時代の豪華な装飾できらびやかに飾られた部屋の数々はすでに前時代的なものとなっていました。相続直後から、アンソニーはビクトリア様式の宿泊棟やインテリアを取り壊し、よりモダンな館とし、彼らの持つ絵画や陶磁器のコレクションが映えるシンプルな内装としました。アンソニーとイボンヌは芸術家のパトロンとして、アルフレッド・マニングズらをアスコットに住まわせ、彼らの創作活動を支援しました。
アンソニーは、1949年、261エーカーの土地、庭、館、館の中にある膨大な美術コレクションをナショナル・トラストに寄贈しました。寄贈後も、アンソニーはアスコットに住み続け1961年のアンソニーの死後、イボンヌは1977年に死亡するまで住み、その後、息子のエヴェリン夫妻が住み続けています。エヴェリン夫妻も芸術家のパトロンとして、マーク・アレクサンダーをアスコットに住まわせ、創作活動を支援しました。エヴェリンの時代には、現エリザベス女王及びフィリップ殿下、サッチャー首相やビル・クリントン元大統領をアスコットに迎えています。
✴ダリアの訪問✴
アスコットを訪れたのは、バッキンガムシャーのロスチャイルドのもうひとつの館、豪華壮麗なバッズデンを訪れたあとだったので、その素朴な外観にまず、驚きました。しかしウィリアム・グラッドストーンの娘メアリーの表現“宮殿のようなコテージ”がぴったりの館です。ロスチャイルドファミリーが今でもお住まいであるため、館内は撮影禁止なのが残念ですが、一歩中にはいると、その上品かつ統一感のある淡い色調の内装と壁にかかる絵画、飾られた陶磁器の数々に圧倒されます。特に壁いっぱいに飾られた陶磁器のコレクションは圧巻で、まるで美術館のようです。
コモンルームといわれる居間の天井には、ロスチャイルド家のモットー、「良い仲間をもて、そしてその仲間の一員であれ」、「長居は無用」、「病気の犬は骨には及ばず」、「酒を飲んだら知恵は終わる」などがぐるりと彫られています。ビクトリア時代の天井の石膏飾りは、アンソニーの時代に殆ど取り去られてしまいましたが、レオポルドの時代にデベイがデザインしたこのモットーだけは残されています。居間でくつろぐたびに、家訓が自然に目に入る・・・ようになっているのです。
「宮殿のようなコテージ」は庭も宮殿のように立派です。日時計の庭、ホーリーボーダー、マデリアウォーク、ビーナスガーデン、ヴェニスの噴水、アスコットサークル、マグノリアデル、ジュベリープランテーション、アンの道、チャイニーズデル、エロスの噴水、サーペンタインウォーク、オランダ風庭園、リンガーデン、リリーポンドと、多岐にわたる庭は美しく整えられ、歩いていると溜息がでるほどです。アスコットは小高い丘の上に建てられているため、庭からバッキンガムシャーの景色が一望でき、その壮大さには息をのみます。この壮大な風景は、館のコモンルームからも臨めるよう設計されています。日々、この壮大な風景を部屋から見ていたら、人生に対する考え方は変わるだろうなと思わずにいられません。
太陽の光が眩しい夏の日、老婦人が車椅子に乗り、優しそうな孫娘(おそらく)に押されていました。老婦人は私をみて、「まあ!彼女は日傘をさしているわ!」と思わず孫娘に言いました。イギリスでは日傘をさしている人は珍しく、庭園で日傘をさしている私は、老婦人にとってはとても驚きだったようです。カントリーハウスでは、おじいちゃん、おばあちゃんと孫という組み合わせをよく見るように、老人と若い孫娘または孫息子という組み合わせをよく見かけます。小さい時は世話をしてもらって、大きくなったら世話をする・・・というイギリスの家族の姿が見られます。20代の孫娘や孫息子が優しい眼差しで、おじいちゃん、おばあちゃんの世話をしているのを見ると、じんわりと温かい気持ちになります。そして、日傘の件は、アスコットの忘れられない思い出です。
✴アルフレッドの独り言✴
アルフレッド・マニングスはイギリスの画家。1920~1928年、アスコットに住んで創作活動を行う。ロイヤル・ビクトリア勲章を授与されたイギリスの代表的な画家の1人。
(1945年の独り言、アルフレッド67歳)
先日、アンソニーに会って全く酷い知らせをうけた。クリスティーズの保管庫がドイツ軍の空爆で完全に焼けてしまったというのだ。そこには、なんと私がアスコットのために描いた
13作品が保管されていたと。この衝撃は、なんと表現したらいいのだ、戦争が終わって、やっと人間らしく暮らせると思ったときに、私にとって、辛すぎる報せだ・・・
アスコットには実に8年間も住んでいたことになる。壮大なバッキンガムシャーの風景を臨むあの屋敷、田舎独特の草の香りのする空気、そしてアスコットの田舎風の雰囲気は、私の創作にはかりしれない自由を与えてくれた。あの環境は、画家にとってどれほどありがたかったことか。自由に生活させてくれ、アンソニーとイボンヌは、芸術の擁護者、いつも温かい目を向け、ことあるごとに、「好きなものを描いてくれ」「描きたいと思うものを、描いてくれ」と控えめに言うだけで、一切プレッシャーはかけず、遠くから見守ってくれていた。
描いた作品を見せろ、など一度も言うことなく、半年間、何も見せずにいても、いつも同じ温かな態度で接してくれ、彼こそが、ジェントルマンだと、よく思ったものだ。
だからこそ、私は自由に発想し、心ゆくまで丁寧に追求することができた。アスコットで描いた19作品は、私の“魂”と呼べる作品だ。とくに、アンソニーの馬たちを描いた作品には自信がある。アルズベリーの谷を背景に描いた馬たちの美しさ。6作品は、アンソニーの手元に残っていると聞いたが、ああ・・・13作品はもう永遠に見ることができないのだ。
アンソニーは、作品を見るとき、批評はほとんどせず、優しい目で頷き、「とてもいい作品だ、すばらしい」と握手してくれた。そして、その後、信じられないくらいの額の小切手が送られてくるのだ。アスコットに住まわせてくれて、そしてあの額の報酬・・・画家にとって、これほどの幸運があろうか。私はアンソニーに感謝という言葉では現しきれない畏敬の気持ちを常に感じている。
残った6つの作品は、ロスチャイルド家のプライベートコレクションとして、これからずっと子孫に引き継いでいくと、静かに語ってくれた。ほんとうに光栄なことだ。私は、職業として小さなころに画家を選んだが、アンソニーによって本質的な画家になれたように思う。
※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。
参考資料:「Ascott」National Trust