✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:SYON(サイアン)

所在地域:イギリス、ミドルセックス(グレーターロンドン)

ノーサンバーランド公爵パーシー家のロンドンの家、王室との色濃い歴史

サイアンハウスは、ロンドンからほど近いテムズ河沿いのブレントフォードという地にあり、ロンドンの中心部ウェストミンスターなどに舟で移動するのにとても便利な立地です。15世紀から16世紀前半までは、イギリスの中でも富裕かつ高い教育を受けた修道女・修道僧がいる修道院がありました。しかし、ヘンリー8世の弾圧により修道院の人々はポルトガルのリスボンへ逃げ、修道院は王室に接収されました。

 

ヘンリー8世の5番目の妻、キャサリン・ハワードは、1542年の処刑までの日々をサイアンで過ごしました。また、ヘンリー8世の死後、彼の棺は、ロンドン・ウェストミンスターからウィンザーに運ばれる途中、サイアンで一晩を過ごしました。

 

1547年ヘンリー8世の死後、若き王エドワード6世の後見人をしていたサマセット公爵が、サイアンを王室より譲り受けます。しかし、サマセット公爵は謀反の疑いで処刑され、サイアンはサマセット公のライバル、ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーの所有となりました。ジョンは、息子のギルフォード・ダドリー卿とジェーン・グレイを結婚させ、プロテスタントのジェーンを王位につかせるよう画策します。1553年7月10日、エドワード6世が亡くなると、ジェーンは、サイアンにおいてプロテスタントの女王となることをジョンより告げられ、いやいや受諾し、サイアンから船にのってロンドンへ向かいました。周囲の理解がないまま、ジョンはジェーンの即位を公表します。

しかし、わずか7日後ヘンリー8世の娘、カトリックのメアリーによって弾劾され、ジョン・ダドリーは、処刑され、ジェーンも翌年に処刑されます。そして、サイアンは1558年に王室のものとなります。

 

第9代ノーサンバーランド伯爵ヘンリーは、エリザベス1世の寵臣(恋人)、ロバート・デバリューの娘ドロシー・デバリューと結婚したことで、エリザベス1世よりサイアンをリースする権利を得ます。その後、ヘンリーが、ジェームズ1世の即位をサポートしたことから、ジェームズ1世はサイアンをヘンリーに与えます。ここまでは、順調だったのですが、このあとヘンリーに災難がふりかかり、タワーロンドンに収監され、15年の牢獄生活を送ることになってしまいます。詳しくは、後述「ヘンリーの独り言」をご一読ください。

 

1642年、サイアンのすぐそば、ブレントフォードで、チャールズ1世の国王軍と議会軍の戦いとなりました。当主の第10代伯爵アルゲルノンは戦いにはどちらかというと消極的な姿勢でしたが、国王軍を率いるプリンス・ルパートがサイアンを本陣としたことから、戦いに協力せざるおえなくなります。アルゲルノンは国王軍を全力で支援し、大砲の爆撃をうけながらも、国王軍は勝利します。

 

チャールズ1世が議会により捕らえられ、ハンプトンコートに収監されている間、チャールズ1世の子供たちは、サイアンに預けられました。チャールズ1世は、サイアンをたびたび訪れ、子供たちと食事を共にしています。子供たちの中にはのちのチャールズ2世、ジェイムズ2世も含まれます。

 

第11代伯爵ジョセリンは、26歳で若くして死亡し、相続人はまだ3歳のエリザベス・パーシーでした。パーシーの養育や結婚をめぐって、祖母のエリザベスと母のエリザベスはバトルを繰り広げます。女性相続人エリザベスは、12歳から15歳の3年間に3回も結婚。最初に結婚したオーグル伯爵は半年以内に死亡し、次の夫のトーマス・シンからはエリザベスが逃げ出し、3人目の夫は若き伯爵サマセット伯チャールズ・シーモアでした。

 

この頃、サイアンは1688年にロンドンにやってきたウィリアム3世とメアリー女王の仮住まいとなっていました。相続人エリザベスは、アン王女(のちのアン女王)の親友の1人でした。アン王女とモールバラ公爵夫人の親密な仲についてメアリー女王が文句を言ったときに、アン王女は、宮殿から逃れサイアンハウスに住んでいました。アン王女とモールバラ公爵夫人の仲は、日本では2019年2月に公開された映画「女王陛下のお気に入り」の題材となっています。

 

1702年にアンが女王になると、エリザベスは夫のチャールズとともに側近となり、宮廷に入り王室に仕えます。アンとチャールズの息子アルゲルノンは、フランシス・タインと結婚し、息子ジョージをもうけますが、ジョージは若くして死亡してしまい、相続人が娘のエリザベスしかいなくなります。アルゲルノンは、ジョージ2世に談判し、娘エリザベスへの爵位とハウスの相続権を得ます。(当時、女性への爵位と家の相続は原則的に認められていませんでした。)

エリザベスは1740年に恋愛結婚で、シュー・スマイソンと結婚します。二人は、領地の開発を行い、鉱山開発に成功し、経済的な成功をおさめ、初代ノーサンバーランド公爵となります。この時期にサイアンは古めかしくなった内装を、スコットランドの建築家ロバート・アダムにより一新、造園デザイナー、ランスロット・ケイパビリティ・ブラウンにより、風景庭園をつくり、富と権力を反映したカントリーハウスへと変身させました。

第2代以降、現在の第12代公爵ラルフ・ジョージ・アルゲルノン・パーシーまで各代の公爵及び夫人は、ビクトリア女王の家庭教師をするなど王室と密接な関係を続け、現在に至っています。

 

✴ダリアの訪問✴

サイアンハウスは、ガイドツアーによってのみハウス内を見学できます。外観は、要塞の風貌で質実剛健、防衛のための建物です、といった印象ですが、中にはいるとその印象はふきとびます。

入ってすぐのグレートホールは、ローマ風の繊細で緻密な石膏の彫刻が壁、柱、天井のすみずみまで施され、ため息がでるほどの美しさ。ローマ風の大理石の彫像群が等間隔に置かれ、ルネッサンス的な雰囲気を感じます。続く、ダイニングルーム、ドローイングルームの豪華な内装はロバート・アダムの復古主義が反映されて、幾何学的な模様の中に古典的な絵柄が描かれているパターンが繰り返す壮大な天井、装飾的なコーニスには目を奪われます。

最も印象に残ったのは、ロングギャラリー。ここは、天候の悪い日に貴婦人たちがドレスで散歩することが主な目的の立派な廊下のようなところです。幅4.2メートル、長さ41.4メートルの大空間は、細心の注意と計算で配置された美術品と装飾で端正に飾られ、南側の大きな窓からはテムズ川を臨み、富と美が集結した空間は、時を忘れさせます。

ロングギャラリーから一歩はいる「テュレットルーム」はカードやチェスをするための婦人むけの部屋ですが、淡いピンクとブルーの壁にリボンや羽の細かな白い石膏飾りを柱、壁、コーニスにあしらい、アクセントに金をちりばめた丸い小さな部屋は、まるで精巧な砂糖菓子のようで、あまりの繊細な美しさに思わず、ため息がでてしまいました。

 

ガーデンには、カントリーハウスの中でも指折りの大規模なオランジュリーがありますが、

残念ながら私は、時間の関係で見られず、次回訪問の楽しみとなっています。

 

 

✴ヘンリーの独り言✴

 

ヘンリー・パーシーは第9代ノーサンバーランド伯爵、エリザベス1世、ジェイムズ1世に仕えるが、41歳から17年間、タワーロンドンに収監されました。

 

(1615年の独り言、ヘンリー51歳、タワーロンドンにて)

 

牢獄「タワーロンドン」の住人になって、はや10年・・・ここでの暮らしにもすっかり慣れた・・・

 

トーマス(ヘンリーの遠縁の従弟)とあの夜(1605年11月4日)、食事を共にしたあの数時間が、私の人生を狂わせてしまった。トーマスは普段、アニック(ノーサンパランド家の別の城)をよく守ってくれていたから、その勤労をねぎらう気持ちで、食事に招いただけだったのだが。

 

トーマスがカソリックだというのは、もちろん知っていたが、まさか、国王暗殺を謀っていたとは・・・というか私と11月4日の晩に食事したときに、そんなことには全く、ふれないでアニックの四方山話に、終始したことをよく覚えている。

 

翌日、まさか国王がいる議会爆破の計画が、実行されようとしていたなんて! 不幸中の幸いで密告によって、爆薬が直前に発見されたのは、よかったが・・・トーマスがその計画の主犯格の1人だと知らされ、度肝を抜かれたよ・・・トーマスは即処刑で・・・前夜に一緒に食事をしたというのが災いして、私も即逮捕されて・・・タワーロンドンに送られてしまって・・・エリザベス女王の歓心を得て、サイアンを取り戻すために、とくに好きでもなかった年配のドロシーと結婚して、サイアンに住むことをやっと許されて、血がにじむような我慢と努力をして頑張って国王(ジェームズ1世)にお仕えしてやっとサイアンの所有を許されたのに・・・

 

あいつ(トーマス)と11月4日の夜に食事したばっかりに、いまは牢獄・・・神は

無慈悲だ・・・

 

とはいえ、タワーロンドンでは、楽しく暮らさせてもらっている。昨日の夕食は、楽しかったな。ワインと料理の組み合わせがよかった。新調した金の刺繍がはいった青緑色のビロードのジャケットが届いたので、それを着て気分も盛り上がった。楽団の演奏もなかなかよかった。牢獄にいるといっても、私の使用人は20人程度いるので、まあ、身の回りのことには不自由しない。私の錬金術の研究をするだけの設備も、最初の2年ほどで十分に整ったし。ウォルター(エリザベス女王の寵臣だったウォルター・ローリー)と話をするのも楽しい。ウォルターはアメリカ大陸での苦労話の数々を語ってくれ、それは何時間聞いても飽きることがない。

 

トーマス(ハリオット、数学者、天文学者)は、サイアンで月の観察を続けているようだ。

彼が描いた世界で初めての月の地図は、興味深いものだ。トーマスの地図をもとに、いつか月に人間が行く日もくるのではないか。私がいなくても、トーマスのような才能ある人間が、未来のための研究をサイアンでしてくれていることが、私の心の慰めになる・・・。

 

(独り言、その後)

ヘンリーは、1621年にタワーロンドンから釈放されますが、その後は、ノーサンバーランド伯爵の別のハウス「ペッツワース」に幽閉され、1632年にペッツワースにて68歳で死亡。

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

参考資料:「SYON」Syon Park House & Gardens