✴ハウスの概要✴

所在地域:イギリス、サリー

ヒストリックハウス名:Ham House(ハムハウス)

チャールズ1世の学友に与えられたジャコビアン様式のハウス。長年休眠状態で17世紀の内装が、いまもそのまま残ります。

ハムハウスは、16世紀後半にスペイン海戦で功績をたてたトーマス・ヴァヴァンソー(1560-1620)により1610年に建てられました。次の所有者となるウィリアム・マレー(1600-55)は後のチャールズ1世子供時代の“ウィッピングボーイ”(チャールズが悪いことをすると代わりに鞭で打たれる役目を恒常的に果たす学友)でした。ウィリアムは、ジェームズ1世の即位に伴い、チャールズと共にイングランドへやって来ます。成人してからは宮廷のメンバーとなり、王とずっと親しく、ハムハウスを王室より与えられます。ウィリアムは、ハムハウスの内装をフランス宮廷風に美麗に整えましたが、1649年のチャールズ1世の処刑により、運命が一転。オランダへ国外追放となり、追放中にダイサート伯爵に叙爵されるも、失意のうちに、1655年にオランダで死亡します。

ハムハウスは、長女のエリザベス・マレー(1626-98)が爵位とともに承継します。エリザベスは1648年22歳でライオネル・トルマッシュ卿(1624-69)と結婚し11人の子供を産みますが、トルマッシュ卿死後、スコットランド内務大臣の第2代ローダーデール伯爵(のちに公爵)ジョン・メイトランド(1616-82)と1672年に46歳で結婚。このカップルはハウスに夫妻用のマッチング・スイートや王妃用のスイートを増築します。イタリアやオランダから一流の職人を呼び寄せて内装を仕上げ、パリで購入した高価な東洋の陶磁器を飾りました。しかし、このカップルは野心的で、独善的なふるまいをしていたため、周りに敵が多く、病気で引退した晩年は、寂しく孤独な日々を過ごし、またハウスの増改築や内装のための借金の返済に終われ、惜しむ人なく亡くなりました。(後述、エリザベスの独り言をご一読ください)

その後、エリザベスの子孫・代々のダイサート伯爵がハムハウスのオーナーとなりますが、各伯爵は別のハウスに居住し、ハムハウスへの関心が薄く、改築・改装することもありませんでした。第5代伯爵ライオネル・トルマッシュ(1734-99)は、ジョージ3世にハムハウスを見せてくれと言われたとき、「ハムを公開するときは、陛下がもちろん1番目のお客様です」と回答して、うやむやにし、一切人を招き入れることはありませんでした。その結果、ハムハウスは17世紀当時のインテリアが、ほぼ当時のままで保たれ1948年にナショナル・トラストに譲渡されました。

✴ダリアの訪問✴

訪れたのは、イースターが近い晴れやかな4月。

テムズ川のほとりに、優しげに佇むハムハウス。ハウスとしては小さめですが、

ハウス正面と前庭のニッチに彫り込まれた胸像が珍しく、独特の威厳を醸し出しています。

控えめな入口から一歩はいるとそこは、グレートホール。

グレートホールを抜けたところにある階段は、映画「ヴィクトリア女王世紀の愛」で、ヴィクトリアとアルバートが出会うシーンが撮影された場所とのことです。

階段の装飾は、甲冑や槍など武器が彫り込まれていて、目をひきました。

私が好きなのは、王妃キャサリン・オブ・ブラガンザ(チャールズ2世の妻、1638-1705)のために造られたスイート、“クイーンズ ベッドチェンバー”です。

エリザベスとローダーデール公はここに王妃を迎えるときは、興奮の極みだったことでしょう。南側のフォーマルガーデンを見渡せる1階(日本の2階)に位置するこの部屋は、冬でも晴れた日はとても暖かかったことでしょう。天井の石膏飾りは、とても繊細で美しく、壁にかかるタペストリーは壁のサイズとぴったり同じに造られています。

部屋の奥には“クイーンズ・クロゼット”と呼ばれる謁見の間があります。王妃専用の椅子が置かれたその小さな空間の素敵なこと!一度でいいから、この椅子に座ってみたい!と。ほんの少しだけ、段がつけられて高くなっているクローゼットに深紅の椅子がおかれています。椅子はリクライニングが調節できるようになっているとのことで、エリザベスの王妃への敬意と気配りが伝わってきます。

暖炉の上の金の王冠彫刻飾りは、キャサリン王妃に敬意を示したものです。

マーブルダイニングルームは、以前、床が白と黒の大理石だった頃の名残り、現在は、寄木造りとなっています。この部屋では、甘い香りのバージニアパイプをくゆらすローダーデール公爵のゴーストがときどき出現するとのことで、ボランティアガイドの方も、「私も会いました」と証言されていました。

部屋には、召使い用のドアが目立たないようにあります。

地下にある伯爵夫人用のバスルーム、エリザベスはこのベッドのうえでアロマオイルを塗ってもらっていたそうです。

キッチンガーデンには、チューリップが美しく咲いていました。

整形された“ワイルドネス”ガーデンと“ワイルダーネス”と名付けられた林のガーデンは、散歩するのにぴったりで、ところどころに素敵な椅子が置かれています。

林の中には、子供が喜びそうなこんな小屋も。訪れたときは、親子がかくれんぼしていて、

小さな男の子が得意げに、この小屋の中に隠れていました。

フォーマルガーデンは、芝生が広々。その当時、高価だった芝生を広々とつかうことで

ローダーデール公は富と権力をしっかりと見せつけていました。

芝生には、かわいらしい花々が。

チェリーガーデンにはいっていく路。

生垣からチェリーガーデンを覗く。

整然としたチェリーガーデン。フランス庭園のようです。

✴エリザベス・マレーの独り言✴

ジョン(ローダーデール公爵)と結婚して、ほんとによかったわ。ライオネル(トルマッシュ)ときたら、若い頃はなかなか美男でかっこよかったけれども、弱気で、陛下(チャールズ2世)になかなか近寄れず、いつも議会派がまた盛り返すのじゃないかって、おびえてばかりいて、もう本当に全く行動起こせないから、私はいつもイライラしたものよ。

チャールズ1世が斬首されちゃったから、みんな議会派と王党派のどちらについたらいいのか、そりゃもう薄氷を踏む思いで、情報集めに焦ったものよ・・・うちだって、父が国外追放になってしまって、ハムハウスは破壊もされず、残してもらえて、不幸中の幸いだったけれど。

だから、私は、クロムウェルにもいろいろ贈り物して、食事に招いてにっこり笑ったりしていたけれど、もちろんフランスにいる陛下(チャールズ2世)との連絡は欠かさなかったわ。

まあ、ライオネルときたら、陛下に手紙を書く時は、暗号にしたほうがいいとか、偽名にしたらどうか、とか弱気なことばっかりいって、そんなことしたら、陛下に失礼というものよ。

そんなライオネルだったから、彼なりに、ストレスもたまっていたのでしょうね・・・

その点、ジョンは違うわ。スコットランド人は勇敢よね。ちまちましたところがなくて、

俺は、スチュアート王家をお守りする!と、堂々としていて。だから、公爵位も与えられて。

「ハムの改装には、いくらでも使っていいぞ!王様、王妃様をお迎えするのに、最高の内装にしよう」っておおらかに言ってくれて。だから、王妃様の部屋には、金細工で王冠飾りをつけることができたわ。この金細工、他の家ではちょっと無理ね。暖炉の上につくるという発想とコスト、私でなきゃできないわ。家ばっかり大きくたって、細部が美しくないとね。北の方には、大きなカントリーハウス建てて威張っている人たちもいるけど、あんなところ遠くて、王妃様が行くのは、大変。ロンドンに近いからこそ、気軽に来ていただけるのだもの。王様はともかく、王妃様はそうそう遠くまでは、行かないものよ。

明日は、はじめて、王妃様が我が家に宿泊する日!窓からは、いっぱいにしきつめた芝(富と権力の象徴)の庭も見ていただけるわ。王妃様のクローゼットで謁見を最初に受けるのは、ジョンと私。なんて素敵なのかしら! 生きていてよかった。再婚してよかった。公爵夫人になれて最高!

(1676年の独り言、エリザベス50歳、ハムハウスにて)

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

参考資料:「Ham House」 National Trust