✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Kelmscott Manor(ケルムスコット・マナー)

所在地域:イギリス、グロスター

ウィリアム・モリスがこよなく愛した「地上の楽園」。

マナーは、17世紀初めにトマス・ターナーによって建てられました。代々同じ名前のトマス・ターナーが家と土地を引き継ぎ、発展させ、3代目のトマス・ターナーは、一族の紋章も手にいれ、富と社会的な成功を形にすることができました。(一族の紋章は、紋章院という国家機関から与えられる由緒及び権威があるもので、現在においてもこの紋章院が管理運営しています。)マナーは第3代目トマスの時代に、増築され、パネルド・ルームなどの部屋が増え、外観も立派になりました。

ケルムスコット・マナーは、ウィリアム・モリス(1834-1896)がこよなく愛し、彼の「アート&クラフト運動」の発想の原点となったことで、よく知られています。

モリスは、ロンドンに住んでいましたが、子供たちの健康のため、カントリーサイドの家を探し、1871年にケルムスコットを見せられたときには、「ここは地上の楽園だ!」とその日に友人に手紙を書き送るほど、すぐに気に入りました。友人でビジネスパートナーでもある画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1828-1882ラファエロ前派として知られる)と共に、ケルムスコットを借りて、別荘として住み始めます。モリスの妻ジェーンに熱を上げていたロセッテイですが、3年後、田舎暮らしに飽きた・・・としてケルムスコットを去ります。

モリスは、マナーが農家として、ほとんど変わらないまま代々受け継がれていること、そこには“住む”だけでなく“季節とともにある農業、と一体化した生活”があることに深く感銘を受けます。そして、その生活の中で受け継がれてきた伝統ある仕事を重要視します。それは手仕事によって作られる“物”や“建築”で、これらがモリスの“アーツ&クラフト”運動の考え方のベースとなりました。この頃、イギリスでは工場による大量生産が始まり、職人の手仕事が失われつつあることもあって、この運動は社会的な意味を持つようになります。

アーツ&クラフトの考えを、モリスは刺繍、壁紙、タペストリー、ステンドグラスなどの手仕事による内装工事の事業に反映させていきました。

モリスは特に美しい柄の壁紙でよく知られますが、その中でも最も有名な柄の一つである「ウィロー・バウ」は、ケルムスコット・マナーのテムズ川岸辺の柳の木を見て、創案したとモリスの娘、メイが述べています。

妻ジェーンの部屋の壁紙は、「ウィロー・バウ」

モリスは生涯、ケルムスコット・マナーを愛し、ロンドンのハマースミスの住居も「ケルムスコット・ハウス」と名付けています。(現在、ウィリアム・モリス・ソサエティの博物館及び事務所)死亡したのは、ケルムスコット・ハウスですが、墓所はケルムスコット・マナー近くのセント・ジョージ教会にあります。

ウィリアム・モリスと妻ジェーンの墓所

✴ダリアの訪問✴

どんよりと曇った4月の朝、ケルムスコット・ビレッジの駐車場に到着。大きな道を離れてからは、ほとんど車と出会わずに、村に到着。とても閑静な村であることがわかります。

駐車場で、案内の方から、わかりやすいビレッジのマップを渡され、マナーは歩いて10分ほど、と言われます。

静かな村の下り坂を歩いていくと、左右にコテージが次々に現れます。お店は見当たらず、パブが一軒。まだ時間が早いので、パブも静か。小鳥のさえずりだけが聞こえる中、新緑がまぶしい道を進みます。

途中にあったコテージ。まるで刺繍でできているよう。

マナーに到着。入場は時間指定チケットで。すぐのチケットを買って、マナーへ直行。モリスの版画でみたこの風景。ついに来た・・・と胸が熱くなりました。

モリスは、この家に殆ど手を加えず、ターナー一族が暮らしていた、そのままのしつらえを気に入り、できるだけ変えないようにしていたそうです。

オールド・ホール。

パネルド・ルーム、椅子はモリスのデザインによるもの。ターナー家の紋章がつけられた暖炉。

ジェーンのベッドルーム

モリスのベッドルーム

ロセッテイの仕事場だったタペストリー・ルーム

雨に濡れて美しい、ガーデン。

ロンドンに住んでいたモリスには、衝撃的だったケルムスコット・マナー。100年以上経った石壁の色、低い天井の薄暗い部屋の中世風の雰囲気、暖炉に誇り高く付けられたターナー家の紋章、そして低地らしいじめじめした空気、雨に濡れて色鮮やかな木々の葉・・・これらはモリスが見た当時から、きっと、ちっとも変っていない風景でしょう。これらからインスピレーションを得て、ウィロー・バウやリリーの柄が考えられた・・・風景と壁紙の柄が私の頭の中で、一体化する不思議な感覚は、異空間にいるようです。

モリスの壁紙は、おそらく全て、ケルムスコットの別荘を得てからデザインされていて、

このマナーは、図柄のインスピレーションの源泉だったといえるでしょう。

カフェでは、ここの庭でとれたマルベリーでつくったマルベリーケーキを食べて、その美味しいこと。

降ったり、止んだりしていた雨は、駐車場に戻る頃には本降りに。ケルムスコットの村には雨が似合います。雨の中を歩いていると、雨が大地への恵(めぐみ)に、自然に思えてしまう、そんな時間がとてもとても貴重に思えるのでした。

✴メイ・モリスの独り言✴

メイ・モリス(1862-1938刺繍家)は、ウィリアム・モリスとジェーン・モリスの次女

(1923年の独り言、メイ61歳、ケルムスコット・マナーにて)

パパ(ウィリアム・モリス)とテム(テムズ川)の川岸を歩いたことを、よく思い出す。パパの言葉数は、少なかったけれども、なにかを話すときは、まるで詩のようで、静かな低い声で囁くように話されると、じっと聞き入ってしまうものだったわ。

ラークスパー(デルフィニウム)の花をじっと見ていることがあって、「小さな花だけれども、この花から広がる無限の美しさは、もしかしたらバラに勝るかもしれないね」と私に話してくれたわ。パパのあのラークスパーの話しがあったから、私は刺繍の図柄に、多くの小さな花を取り入れるようになったのかもしれない。

ケルムスコットは、私にとって、父と母そのもの・・・この家が、誰か他の人の住まいになることは、もはや考えられない。ママが、ケルムスコットを購入して(モリスの死後、1913年にジェーンがターナー家から購入)住んでいたときは、まだ子供時代の延長のような気持ちでいられたけれど、ママも旅立ってもう10年近く・・・。

マナーもだんだん、みすぼらしくなってきて、雨漏りも酷くて、このまま荒廃していくなんて耐えられないと思って、私が住むことにしたのだけれど。

私もいつまで住み続けられるかわからない。もう60を超えて・・・。でも、この家はパパのアーツ&クラフト運動のレガシーとして、ずっと後世の人に残すべき家だわ。そして、このような田舎暮らしや、手仕事に支えられた暮らしは、人間の暮らしの原点として、いつの時代にも残っていくべき。

この家を変わらない形で、維持保存してくれる人を探さなければいけないわ。まずは、オックスフォード(大学)に相談してみよう。アーツ&クラフト運動をサポートしている人ならば、この家に興味をもってくれるはずよ・・・。

(独り言その後)

メイの死後、メイの依頼によりオックスフォード大学がマナーを管理しますが、維持管理費の問題などから、1960年Society of Antiquaries of London に譲渡され、現在に至ります。この団体はモリスが生前関わっていた団体です。

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

ウィリアム・モリス

参考資料:「Kelmscott Manor」 Society of Antiquaries of London