✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:The Vyne(ヴァイン)

所在地域:イギリス、ハンプシャー

ヘンリー8世の宮内大臣の家。エリザベス一世により没収され没落へ。

 

ヴァインは、1386年にサンディーズ一族の館となりました。娘の結婚に伴い、ハウスが一時、サンディ一ズ家から離れたことがありましたが、ほどなくしてサンディーズ家は館を取り戻します。1496年にヴァインを相続したウィリアム・サンディーズは、ヘンリー7世時代に宮廷に出入りするようになり、1509年に即位したヘンリー8世とは、近い存在でした。即位翌年、1510年にヘンリー8世は、ヴァインを公式訪問しています。

 

ヘンリー8世は、ウィリアムにいろいろな重要業務を任せ、1518年にはガーター勲章を授与、1520年6月24日に開催された国家イベント“金襴の陣”(Field of Cloth of Gold )は、彼に運営を任せました。その後、ウィリアムは1523年には男爵位を与えられ、1526年には宮内大臣(Lord Chamberlain )に任命されます。

 

ロンドンからさほど遠くないヴァインは、そのころの“パワーハウス”で馬上槍試合(ジュースト)や宴会などがよく催され、宮廷の権力者であったウィリアムに頼りたい人々も多く集まったことでしょう。

 

シェイクスピアの戯曲「ヘンリー8世」に登場する宮内大臣は、このウィリアム・サンディーです。ウィリアムは、ヘンリー8世の教会破壊、離婚再婚については否定的な意見を持ちながらも、重要な局面では、病欠するなどして、うまく立ち回り1540年2月に死亡するまで、宮廷のポジションを維持しました。この当時の宮廷人の記録はあまり残っておらず、ウィリアム・サンディーズのこうした記録は貴重とされます。

 

ウィリアムの死後、第3代男爵ウィリアムは1569年にエリザベス一世をヴァインに迎えもてなします。しかし、2年後1601年にウィリアムは、エセックス伯の謀反を手伝ったとの罪で逮捕され、ロンドンタワーに収監され、ヴァインも王家に接収されてしまいます。その後、ヴァインは、サンディーズ家に返却されました。しかし、清教徒革命のときに、議会軍に占領され、その後、売却せざるおえなくなり、ヴァインは、ついにサンディーズ一族から、離れることになります。

 

ヴァインは、政治家シャローナ・チュート(1595-1659)が1653年に購入し、その後チュート家の姻戚の子孫が1956年にナショナル・トラストに遺贈するまで、チュート家の館となりました。

 

チュート家の子孫の1人、ジョン・チュート(1701-1776)は、ゴシックリバイバルを具現化したハウス、“ストロベリー・ヒル”で知られるホレス・ウォルポールの親しい友人でした。ホレスはヴァインの改築にさまざまな案をだしたようですが、ジョンは財政的なこともあり、かなり時間をおいてから少しだけ実行したので、ホレスはご不満だったようです。また別の子孫、ウィリアム・ジョン・チュート(1757-1824)の時代には、ウェリントン公(1769-1852)がよく狩猟にきていました。

 

チュート家が所有している間、ヴァインは何度も改築、改装され、タワーを壊したり、建て増したりし、外観がかなり変わり、チューダー時代よりずっと小規模な館になっています。

 

 

✴ダリアの訪問✴

 

ヴァインは、駐車場からハウスにいくまで、ガーデンを抜けていくのですが、私が訪れた9月(2018年)は、ダリアがとてもきれいなシーズンでした。

 

南側の入口から入ります。入口は、控えめな感じ。

 

入ると、ウェディングケーキのような、またはウェッジウッドのような美しい階段が、あります。

 

サルーン

 

ダイニング・パーラー

 

ストーンギャラリー。

 

ストロベリー・ヒルを記念した部屋、ストロベリー・パーラー。

 

オーク・ギャラリー

 

チューダー時代は、今の数倍の面積があったハウス。ヘンリー8世をお迎えするときは、大変な準備をしたことでしょう。いまでもヘンリー8世の肖像画は、ちゃんと飾られています。

 

それぞれの改築者の思い、「チューダー時代の趣を残しながらも、ゴシックのテイストを入れたい」、「便利さも加えたい」、「チューダーを彷彿させる造りを加えたい」などなど、様々な思いがパッチワークのように継ぎ合わされて、いろいろな時代とテイストが感じられる内装でした。部屋ごと、とても感じが違い、後世で統一感をもたせるのは、難しかったのだろうな・・・という印象。

 

ボランティアの方の話によると、最後に住んだチュートさんたちは、雨もりと底冷えに多いに悩まされたとか。引ける電気の量にも限りがあって、全館暖房など夢のまた夢、という事情だったようです。

 

ハウスをでると、敷地内を歩くフットパスがあるのですが、軽く歩いてみようかな・・・とおもったら結構な距離で、水牛がいる沼地をぬけ(緊張しました)広いフィールドにでて、また戻ってきて森を歩き・・・というような感じで、気づけば数キロ歩いていました。

 

平日で人も少なく、チューダー時代に華やかだった頃を想像しつつ、今は、小さく古くなったハウスを外から眺めると自然と“栄枯盛衰”という言葉が浮かんでくるのでした。

 

✴ウィリアム・ウィジェット・チュートの独り言✴

 

ウィリアム・ウィジェット・チュート(1800-79)は、チュート家姻戚筋の子孫。1827年にヴァインを相続、(1842年の独り言、ウィリアム42歳、ヴァインにて)

 

さっき、ストロベリー・ヒルから届いた陶磁器の箱を開けたら、全部、割れていた!

 

なんてことだ!信じられない!ストロベリー・ヒルが今、財政難でいろんなアンティークの放出セールをやるから、ヴァインにゆかりのあるものは、全て私が買い取ろうと決心して、

陶磁器もかなりの量を、買い取ったのに。ああ・・・残念・・・。

 

ジョン・チュートの胸像が無事だったのは、不幸中の幸いだったが・・・。ヴァインはヘンリー8世の時代からの由緒ある家。直系でない私(最後の直系の子孫ウィリアム・チュートの母方の従弟の子供という遠縁)が、この歴史ある家を相続することになり、とても責任を感じる。

 

ヴァインをできるだけよい形で、次の世代に引き継がなければ。

 

ケンブリッジ公爵(ジョージ3世の息子)から買った大理石のテーブル、レディ・ブレシントンから買ったバッカスの石像、ウィンチェスター侯爵から買った大理石のダイニングテーブル、シルクのカーテン、これらの物は、ヴァインの昔の栄光ある時代を象徴するものとして買い入れた。これらの物は、由緒ある物でなければならないから、鑑定には念には念をいれた。そこらへんで造られたコピーではいかんからな。

 

石炭置き場になっていたチャペルも、きれいに修復し、蘇った。オーク・ギャラリーも物置になっていたのを、片づけて、美術品を飾れるしつらえに戻した。

 

シャーボーン教会からもってきたベンチと、北ベッドルームの天井飾りをリサイクルしたライブラリーには、書架をしつらえ、この家に残る膨大な記録類、本を収納できるようにできたし。

 

ヴァインを相続して、由緒ある家に住める喜びよりも、いかに立派な充実した形で、次の世代に残すかという使命感が、いつも私を支配している。そんな責任をもてる、という一種の喜びでもあるが。

 

いまの課題は、暮らしを今風にすることだ。使用人部屋を離れた場所にし、アクセスを分けなければいけない。水道と下水のパイプを全館に回さなければいけない。いまはまだ、キッチンにしかないからな・・・。いつまでも中世の仕様で住むわけには、いかん。

 

伝統を保存しつつ、今、暮らしやすいようにする、これが私に与えられた使命だ。

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

参考資料:「The Vyne」 National Trust