✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Chartwell(チャートウェル)

所在地域:イギリス、ケント

ウィンストン・チャーチルと妻クレメンタインが40年間過ごしたファミリー・ホーム

 

以前はウェルストリートと呼ばれたチャートウェルは、ヘンリー8世がアン・ブリーンと婚約中にヒーバーカースル(アンの実家)を訪れる途中に投宿したハウスです。数百年にわたりポッターファミリー、のちにキャンベル・コルキュホーン一家所有だったあいだに、ハウスはすっかり痛み、幽霊の館のような悲惨な状態になっていました。

 

1921年にウィンストン・チャーチル(1874-1965)がチャートウェルを見たときに、その眺望の素晴らしさを一目みて気に入り、購入資金の工面がついた1922年秋に値下げ交渉に成功し、購入を決めます。その購入資金の礎となったのは、チャーチルが執筆し、イギリス、アメリカで出版された「世界の危機」の前払い原稿料23,000ポンド、遠縁からのギャロン・タワーという不動産の相続で年間4,000ポンドの賃借収入を得たことでした。

 

それから、チャーチルは建築家フィリップ・ティルデンとともに約2年をかけてハウスを幽霊屋敷の状態から大改装し、住み心地のよい上品なハウスに改築します。改築工事において、チャーチルは、窓の位置、電気スイッチの位置から、水道管に流す水の量まで、大きなことから細かなことまで、彼のこだわりをもって決めました。のちにティルダンは、多くのクライアントと仕事をしたけれど、チャーチルほど、多忙に関わらず工事に関与してきたクライアントはいなかった、と言っています。

 

チャーチルの妻クレメンタインは、チャートウェルを最初から気に入っておらず、入居に難色を示し、反対していました。しかし、チャーチルの意向に従い、工事がすんでからは、クレメンタインが内装を彼女の趣味で上品に仕上げていきました。しかし、自分の書斎や、ダイニングチェアーなど、チャーチルが徹底的にこだわったところもあります。(後述、ダリアの訪問をご一読ください。)

 

チャーチルは、庭全般もガーデナーに任せるのではなく、自分で取り仕切り、南の谷にあった池を自分で拡張工事に二夏をかけてとりくみ、湖のレベルまでもっていく、温水プールをつくり、レンガで囲んだウォールドガーデンをつくるなど、さまざまな工事を自分自身で行いました。特にレンガを積む技術とスピードには、自信があり1時間で90個のレンガを積むのは普通のことだったようです。チャーチルにとっては、このような作業を行っている時間は至福の時だったとのこと。

 

第二次世界大戦後、チャーチルが財政難に陥り、チャートウェルに住み続けるのが難しくなりましたが、友人知人が協力してチャートウェルを買い取り、ナショナル・トラストに譲渡し、ナショナル・トラストの管理のもと、チャーチルは終生住み続けられることになりました。

 

1965年チャーチルは90歳で死亡、国葬が行われ、ウェストミンスター寺院には、

「Remember Winston Churchill」と書いたシンプルなプレートが、かけられました。チャーチルは自身の意向により、生誕の地ブレナムパレス近くの墓地に埋葬されました。妻のクレメンタインはチャーチル死亡後、チャートウェルを離れ、チャートウェルは1966年6月から一般公開されています。

 

 

✴ダリアの訪問✴

 

抜けるような青空の7月、チャートウェルを訪れました。イギリスの国民的英雄の家は訪問者も多いようで、時間指定チケットでの入館になっています。事前にWEBで予約しておいたので、スムーズに入ることができました。やはり入館者はとても多く、チャーチルへの関心の高さがうかがわれます。

 

チャーチルが自分で作った立派なプールを左手に見て、チャーチルが大切にしていた金魚たちの子孫(?)が泳ぐ池を右手に見て、ハウスの入り口へ。

 

ハウスの中へ入ると、まずレディ・チャーチルの居間ですが、この部屋にはテラスがあり、そのテラスにでると、前方にはケントの眺望が開け、右手にはガーデンが眺められます。ハウスは、南方が開ける高台に建っているので、部屋からの眺望がとても素晴らしいのです。

チャーチルは、よくチャートウェルの“眺望を買った”と話していたらしいのですが、それも頷けます。

 

居間、レディ・チャーチルのベッドルーム、チャーチルの書斎と進みますが、チャーチルの寝室は公開されていませんでした。説明によると、チャーチルの寝室からもすばらしいケントの眺望が臨めるとのこと。

 

地下1階のダイニングルームは、シンプルかつ上品にインテリアがまとめられていました。

ダイニングチェアーは、チャーチルの詳細な指示による特注品です。「幅は広すぎてはいけない、背もたれはほぼ直角で、椅子を重ねられる角度でなければいけない、椅子の脚もほぼ直角で重ねられるようでなければならない、ひじ掛けが不可欠、ひじ掛けがあることにより、椅子を詰めて並べても各人に必要なスペースが確保でき、またテーブルにひじをつくこともなくなる、椅子自体が立派すぎてはいけない。」自分が必要とするものの全体像及び詳細が明確であることが、見事にわかる指示です。

 

第一次世界大戦後から第二次世界大戦開始、戦後と激しく全てが移り変わる時代に、政治の中心にいたチャーチル。彼をしばし癒し、精神バランスを整えていたのは、チャートウェルの静かな空気、広野を見渡す眺望、花があふれるガーデン、自分で拡げた湖、自分が飼育している金魚たち・・・だったのです。

 

しかし、生きている間、チャートウェルは彼の心のよりどころでしたが、彼の魂のよりどころは、生誕の地、そして子供時代、頻繁に訪れたブレナムパレスだったようです。彼は自分が埋葬される地として、ウェストミンスター寺院でもチャートウェルでもなく、ブレナムパレスの近くを選んだのです。

 

✴クレメンタインの独り言✴

 

クレメンタイン・チャーチル(1885-1977)は、ウィンストン・チャーチルの妻。

 

(1927年頃の独り言、クレメンタイン42歳、チャーチル53歳)

 

メアリー(チャーチルとクレメンタインの5人(うち1人は2歳で死亡)の子供の末っ子、1922年生まれ)のために、パグ(チャーチルを呼ぶ愛称、パグ犬に似ていることから)は、レンガでサマーハウスを造ることになって、メアリーよりも、パグの方が喜んでいるというか、はりきっているというか。

 

上の子供たち(年長の子供たち3人)には、ツリーハウスを造って、その出来栄えは、まあ、素晴らしくって、まるでアフリカの原住民のハウスのよう。梯子やブランコもついていて、夏の間、子供たちは、ツリーハウスと、パグが造ったプールの往復だったわね。

ほんとに、この子たちは恵まれているわ。こんなに自然豊かなところで、父親が造ったツリーハウスで遊べる子供時代を送れるなんて。

 

メアリーのサマーハウスは、どんな風になるのかしら。窓からガーデンが臨めて、きっとティーをするテラスもあるでしょうね。

 

サマーハウスの礎石を置くセレモニーを思い出すと、今でも微笑んでしまう。

 

パグが大真面目で、「では、施主のメアリーにブーケを贈呈します」といって、メアリーがブーケを受け取ったら、メアリーったら、「スピーチをいたします」って言いだして・・・

 

それから、何を言うのかに困ってしまって、メアリーは立ち尽くすこと、5分ほど・・・

私たちは、みんな立ったまま、メアリーを微笑ながら見守ったわ。そして、メアリーが立派なことは、そこであきらめてしまわず、一生懸命考えて、少しずつ、お口が動いたかと思うと・・・

 

「今日、ここで、礎石をおくセレモニーに参加できたことを、嬉しく思います。ハウスが完成しましたら、楽しい時間を、たくさんハウスで過ごしたいと思います。」と、はっきりとみんなの方を見て、お話しできて。

 

家族もゲストも、そこにいたみんなが万雷の拍手。メアリーも嬉しそうにしていたわね・・・。

 

パグとチャートウェルは、これ以上ないほど、調和がとれた組み合わせね。購入したときは、

信じられないほどの中世のボロ屋で、いったいどうなるかと思ったけれど。パグは、自分が目指すものをハッキリ定めて行動するから、チャートウェルが素晴らしい場所になることを、きっと最初からもうわかっていたのね。

 

チャートウェルにいるときのパグを見ていると、才能豊かな、発想に優れた人だなと、つくづく思うわ。温水プールを造り、中世風の書斎を造り、どんどん自分の発想を形に変えていく。

 

パグと出会って、チャートウェルで子供たちを育てて、私の人生は、なかなかのもの、といえるのではないかしら。

 

(独り言その後)

(クレメンタインは、1965年チャーチルの死後、エリザベス2世より1代限りの貴族ケント州チャートウェルのスペンサー=チャーチル女男爵に叙爵されました。)

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

参考資料:「Chartwell」National Trust