✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Petworth(ペッツワース)

所在地域:イギリス、ウェストサセックス

昔日は、ノーサンバーランド伯爵家のカントリーハウスの一つ、歴代の当主が収集した美術品が、今も数多く残ります。

 

イングランド征服王ウィリアムと一緒にフランスからやってきたウィリアム・パーシーの曾孫アグネス(1204年死亡)が、ジョセリン・オブ・ルーヴァイン(1180年死亡)と結婚。ジョセリンはヘンリー1世(1068-1135、在位1100-1135)の二度目の妻アデライザの兄弟で、アデライザよりジョセリンにペッツワースを譲渡されました。

 

アグネスとジョセリンの子供、ヘンリー・パーシー卿以降ペッツワースは、代々パーシー家のカントリーハウスの一つとして継承されていきます。

 

第4代ヘンリー・パーシー卿(1341-1408)がノーサンバーランド伯爵に叙爵され、パーシー家は王家にもっとも近い貴族の一つとなります。その後、代々の伯爵は、ヘンリー8世の2度目の妻アン・ブリーンと恋愛(ヘンリー8世と結婚前)、大逆罪で死刑になる、暗殺される、ロンドン塔に収監されるなど、いろいろありましたが、ペッツワースはノーサンバーランド伯、パーシー家のハウスとして引き継がれていきます。ヘンリー8世、エリザベス一世も訪れ、楽しい時間をここで、過ごしました。パーシー家がスコットランド王家との密通が疑われていた時期、ペッツワースがロンドンより南に位置し、スコットランドとの行き来が難しくなるため、伯爵がペッツワースに幽閉されていた時期もありました。

 

現在の建物は、17世紀後半から、プラウド・デュークと呼ばれるチャールズ・シーモア(1662-1748)がベルサイユ宮殿を参考にして改築したものです。

 

プラウド・デュークの息子、ノーサンバーランド伯爵でサマーセット公爵でもあったアルジャノン(1684-1785)は、60歳で伯位を継ぎましたが、その時すでに息子ジョージを19歳で失っており、伯位と財産の継承について悩みに悩むことになります。一人娘エリザベスが結婚した夫、ヒュー・スマイソンにノーサンバーランド伯位を継がせることに成功し、ヒューはその19年後にノーサンバーランド公爵に叙せられ、現在続いているノーサンバーランド公爵家はこのヒューの子孫となります。

 

一方、アルジャノンは、ノーサンバーランド伯領、サマーセット伯領を合わせた膨大な領地を全て、エリザベスとヒューには渡さず、ペッツワースは、アルジャノンの甥、第二代エグルモント伯チャールズ・ウィンダムに相続させます。その後、ペッツワースは、ウィンダムの子孫(エグルモント伯、レコンフィールド伯)に代々、承継され、1947年にナショナル・トラストへ譲渡されました。

 

第10代ノーサンバーランド伯爵アルジャノン(1602-68)は画家ヴァン・ダイク(1599-1641)のパトロン、第3代エグルモント伯ジョージ(1751-1837)は、ターナー(1775-1851)をはじめとして数多くのイングランドの芸術家をサポートした歴史から、ペッツワースには数多くの絵画や彫刻が残されていて、まるで美術館のようです。絵画や彫刻を美しく展示するために、ハウスは建て増され、内装が整えられてきていて、美術品とハウスが一つの完成された空間を成しています。ヴァン・ダイクのオリジナル作品は、20作あります。

 

✴ダリアの訪問✴

 

とても暑い7月の日、ペッツワースを訪れました。駐車場からハウスは、少し離れていて、丘を上がっていくと、立派なハウスの姿が現れます。ベルサイユ宮殿を参考にして造られたということですが、外観はシンプルで、改築されたのが17世紀後半からということもあり、中世の趣はありません。

 

しかし、ハウスの中にはいると、そこは豪華絢爛な世界。

 

どの部屋にも大きな絵画や、入念に彫られた彫刻、美しい陶磁器がたくさんあり、どこから見たらよいか迷うほどです。公開されているのは、グランドフロア―(日本の1階部分)の三分の一ほど。グランドステアケース(大階段)、ノースギャラリーが特に見応えがありました。

ギボンによる彫刻。

 

椅子もとても凝ったデザイン。

 

別棟のサービス棟にあるキッチン。

 

 

ケイパビリティ・ブラウンによる庭園。自然の風景に見えますが、すべて人工的にデザインして、“自然”に見せています。

 

 

✴チャールズの独り言✴

第3代レコンフィールド卿ヘンリー(1872-1952)は、ペッツワースの最後の当主。ビクトリア時代から戦後までペッツワースをベースとし、1901年より当主、1947年にナショナル・トラストへ譲渡しました。

(1935年頃の独り言、チャールズ63歳)

 

この間、泊まりにきた奴は、ディナーに燕尾服を着てこなかった。全く信じられん奴だ。「従者を首にしたほうが、いいぞ」とアドバイスしてやったが。(そのゲストには従者がいませんでしたが、チャールズの頭では紳士は従者を連れているものという固定観念がありました。)

 

紳士のたしなみの前の、当たり前の作法すらできないやつが、増えるのは嘆かわしいことだ。ディナーに燕尾服、ホワイトタイで参加するのは、わが国の常識・・・いや世界的な常識だぞ。

 

ペッツワースには、パーシー家の時代からのヴァン・ダイクなどの絵画が、20枚はあるが、これらは、今後甥のエドワードに引き継ぐことになるだろう。エドには、絵画リストをそろそろ説明して、引き継ぐ準備を始めたほうが、いいな。わしももう63だし。いつどうなるかわからんからな。

 

それにしても、あの13枚の絵は惜しまれる・・・狩猟パーティのときに、アメリカ人大佐が、「アメリカ人たちがペッツワースのような由緒ある館に掛けられている絵を、のどから手がでるほど欲しがっていますよ・・・」と、このうえもなく上品なトーンで話してきたのだ、あの時。

 

「もちろん貴殿は、絵をハウスの外にだす、なんてことは万が一にもお考えにならないと思いますが、アメリカ人たちの家は、大きさばかりで、中は空っぽで・・・気の毒になりますな。イングランドのアメリカへの文化的慈悲として、どなたか、しっかりした絵をアメリカへ輸出していただければ、アメリカの文化レベルも少しは上がるというもの・・・」

 

「しかし、それができる館は、残念なことに今は、多くありませんな・・・ノーサンバーランド(公爵)もノーフォーク(公爵)も最近は、そのような文化的な話は、なかなか受け付けてもらえないようでして・・・」などと、話してきおったから、つい、はずみで、「ペッツワースはまあ、絵画が少ないというわけでは、ありませんから、考えてもよいでしょう」などと言ってしまったのだ・・・公爵家へのライバル心が絶対に無かったとはいえないな・・・

 

そして、レンブラント、フランス・ハルス、ヴァトー、ホルバインをあいつに売ってしまったのだ・・・

 

あとで、あの大佐という肩書は偽物で、あいつは怪しい絵画売買人だったとわかったのだ。悔やんでもくやみきれない!! ご先祖様達に申し訳ない・・・気持ちが強すぎて、売った絵画たちが夢にまで出てくる。

 

先祖から引き継いだもの絵画は、相手が誰でも絶対に売却してはならん!これからの継承者には、はっきり伝えねばならん。

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

参考資料:「Petworth」National Trust