✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Kenwood(ケンウッド)

所在地域:イギリス、ハムステッド(ロンドン郊外)

別名アイヴァー・ビクエスト、ギネスビールを成功させたアイヴァー伯爵の遺贈の絵画コレクションが展示されている瀟洒な館。

 

1754年に、奴隷の権利を認め、奴隷解放への礎を造った主法務長官、ウィリアム・マレー(1705-93)がケンウッドを購入します。ケンウッドはスコットランド出身の復古古典主義建築を得意とするアダム兄弟(ロバートとジェームズ)に増改築・内装を発注し、15年程をかけてハウスを大きくし美しく整えます。マレーは1776年にマンスフィールド伯爵となります。伯爵夫妻には子供はおらず、甥の夫人アンと甥の娘エリザベス・マレー、そして別の甥の婚外子ディド・エリザベス・ベル(1761-1804)がケンウッドに夫妻と共に住んでいました。

 

ディドは海軍軍人である父と、奴隷である黒人女性の母との間の娘でした。ディドはエリザベスと一緒に教育を受け、育てられました。当時、このように黒人の娘が貴族の館で、教育を受け養育されるということは、他に例がなく、とても珍しい例といえます。映画「ベル、ある伯爵令嬢の恋」は、ディドの話をベースにしたものです。映画の中では、ケンウッドハウスの外観がでてきます。(室内はおそらくウェストウィッカム他で撮影)

 

ケンウッドハウスは、社交界でも大人気で、たくさんのゲストを迎え、ジョージ3世国王と王妃シャーロットも頻繁に訪れました。しかし、1778年にカトリック教徒の権利保護法制定に反対する群衆は、スコットランド出身で主法務長官マンスフィールド伯爵を標的とし、ハウスはよもや焼き討ちにされそうになりました。しかし、甥のストアモント卿が自前の軍を使って防ぎ、焼き討ちを逃れました。

 

1793年の初代マンスフィールド伯爵死後は、甥の第7代ストアモント伯(1727-96)が66歳で承継し、第二代マンスフィールド伯爵となります。自身の死までの3年という短期間の間に伯爵はハウスを増築し、庭園を整え、農場とその当時流行していたデイリー(乳製品をつくる場所)を造ります。このデイリーについては、後述「ロージアの独り言」をご一読ください。

 

その後、3代~6代の伯爵は、マンスフィールド伯爵の本拠地、スコットランドのスクーン・パレス(パース郊外)を好み、ケンウッドに滞在することは、あまりありませんでしたが、1835年には国王ウィリアム4世がケンウッドの昼食会に参加しています。

 

その後、ケンウッドハウスはリースに出され、1909年からはロシア王族、ミハイル・ミハイルボッチ公爵(1861-1929)が長期リースをし、居住します。ジョージ5世、メアリー王妃は、公爵開催の舞踏会に参加、1916年には夫妻の長女ナダはプリンス・ジョージ・オブ・バッテンブルグ(エリザベス2世女王の夫フィリップ殿下の叔父)とケンウッドにて結婚式を上げました。しかし、ロシア革命が1917年に起こり公爵は財政難となり、ハウスを去ります。

 

ケンウッドハウスと領地をめぐり、分割してでも売却したい公爵と、全体そのままで保存してほしい地域団体が、長年にわたり交渉を続けますが、双方の歩み寄りは難しく、地域団体が買い取ろうと力を尽くすも、値段が高すぎて頓挫していたところ、救世主が現れます。

 

近くに、タウンハウスを持っていた初代アイヴァー伯爵エドワード・セシル・ギネス(1847-1927)が1924年に10年間のリース契約し、契約後間もなく、伯爵の家族信託団がハウスと74エーカーの土地を10万7,900ポンドで購入します。アイヴァー伯爵は、ギネスビール創始者一家に生まれ、ギネスビールを大きく発展させ、伯爵に叙爵されました。

 

アイヴァー伯爵は後世に残すための絵画コレクションを持っていて、彼のコレクションのうち63点を死亡時にケンウッドに寄贈。この中で、一番高価と言われるのが、レンブラントの自画像です。(1888年に27,500ポンドで他一点と共に購入された。)

 

伯爵の死亡翌年1928年から、伯爵の希望に沿い、ケンウッドは絵画コレクションを展示して、一般公開されています。「芸術を大切にする、18世紀の紳士の典型的な家」として。

 

✴ダリアの訪問✴

 

水仙がきれいな3月の晴れた日、ウォーキングをしている人や子供を遊ばせにきている近隣の人たちを、ちらほらとガーデンで見かけました。

 

ケンウッドハウス名物といっていい、ロバート・アダムによる内装のライブラリー。ベビーピンクとベビーブルーの復古古典主義の内装が、上品です。古典様式の円柱がいきなり、ライブラリー内に建ててあるというのが珍しいです。

 

本を収納するためのライブラリーというよりも、古典様式を存分に楽しむための空間に「本も一応置いときます」といった趣。

階段の手すりのデザインも、繊細です。

 

 

ディド・エリザベス・ベルと、エリザベス・マレーを描いた絵。

当時、黒人女性が肖像画に一緒に描かれるのは、とても珍しかったそうです。

この絵は、複製画で、オリジナルは、スクーンプレスにあるそうです。

 3月は水仙がきれいな季節。ケンウッドハウスのお庭でも、水仙が満開でした。

ロンドンからほど近いハムステッドにありますが、ガーデンに一歩はいると喧騒はほど遠く、静かなひと時です。見られる部屋数は少ないのですが、ライブラリーの繊細な装飾は、一見の価値があります。

 

✴ロージアの独り言✴

 

ロージアは、第9代キャスカート男爵の娘、第二代マンスフィールド伯爵の二度目の妻。1776年に伯爵49歳、ロージア18歳で結婚。マンスフィールド伯爵の31歳年下。

 

(1794年の独り言、ロージア36歳)

 

ケンウッドの伯爵夫人となって、早いもので、もう一年が過ぎたわ。スクーン(マンスフィールド伯爵のスコットランド本拠地)の方が、空気はきれいで、来訪客も少なく落ち着いているけれど。ケンウッドは、ロンドンにすぐ行けるし、いろいろな人がいきなり来るから刺激が多く、頭が冴える感じがいいわ。

 

そして、スクーンでもケンウッドでも、デイリー(牛の乳からバターやチーズを作る)の仕事が楽しくてたまらないわ。上質な牛のミルクから、最高級のバターやクリームを作る、このよ・ろ・こ・び!

 

デイリーの改築工事も進んでいて、床は大理石になって、とても高級感があるのよね。

 

前のデイリーも悪くはなかったけど・・・もう古びていて・・・でも、ディドはデイリーをいつも清潔に保ち、整頓していて、彼女がつくったベースがあるから、私が継ぐのもスムーズだったわ。ディドは、ほんとうに優秀な女性だと思うわ。

 

この間できあがった、バターの美味しさったら、もう王室御用達になってもいいくらいよ。

 

それなのに、レディ・サザンプトンったら・・・「バターづくりで、私より上手いひとは

イングランドにはいない」なんて、豪語しちゃって、嫌な感じ。

 

私は、ヴェルサイユで、マリー・アントワネット王妃のデイリーを直々に見てきたのよ。

(マンスフィールド伯爵は大使としてパリに駐在していた)フランス仕込みのバターづくりを甘く見られては、困るわね。

 

デイリーは、私たち、貴族の女性のたしなみ・・・というものかしら。刺繍みたいに自分と向き合うのでなく、自然と向き合いそして、調和して、最高の味をだす。それには、能力とセンスが必要よ。

 

食べさせる草によって、バターの味は変わるものね。牛は、ロングホーン種がやはり、ベストね。この間、ロングホーンをみていて、その美しい姿にほれぼれしちゃったわ・・・美味しい乳をだす牛は、姿も美しい・・・

 

そうだ、ロングホーンの絵を描かせましょう。それを、ブレックファーストルームに飾るといいわね・・・いいえ、レディ・サザンプトンにも見せなきゃいけないから、やはりドローイング・ルームに飾りましょう。

 

レディ・サザンプトンがバターの味で、二度と自分が一番、などと言わせないためには、今度、バターの品評会を開催するのは、どうかしら。うちのフランス仕込みのバターの味を、みなさんに存分に味わってもらいたいものだわ!

 

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

参考資料:「Kenwood the Iveagh Bequest」English Heritage