✴ハウスの概要✴

ヒストリックハウス名:Sissinghurst(シシングハースト)

所在地域:イギリス、ケント

中世からある監獄だった廃墟をヴィタ・サックビルが蘇らせ、世界的に知られるガーデンに。

 

シシングハーストは、サクソン人の時代から、いくつかの養豚農家が集まって住んでいた地域で、エドワード1世は、1279年から3回にわたり、対仏戦争の折、シシングハーストに滞在しました。

 

15世紀にベーカー一族がシシングハースト周辺からケントを仕切るようになり、16世紀には、ジョン・ベーカー卿(1558年死亡)がヘンリー8世、エドワード6世、メアリー女王の時代に宮廷で出世し、ヘンリー8世の教会破壊の際に、広大な土地を入手し、権力を拡げます。この頃、ジョンがシシングハーストに、現在まで残るエントランス棟や三角屋根の本棟を建築しました。

 

シシングハーストには、メアリー女王も来訪しています。

 

ジョンの死後、息子のリチャードは建物をその当時流行していたエリザベス様式を取り入れて大幅に豪華に増築し、700エーカーのディアパークをつくり、現在に残るタワーを建てます。鹿を飼うディアパークは風景や狩猟を楽しむことはできますが、生産性は低く、贅沢なものでした。

 

この豪華なカースルとディアパークは、17世紀の清教徒革命のときに、襲撃の的となり、またカソリックで王党派であったベーカー一族は、超高額な罰金を課せられたため、土地の大部分を売り払い、困窮します。

 

1756年からのフランスとの7年戦争の際、困窮していたベーカー一族は、シシングハースト・カースルを政府に貸し出します。カースルは、フランス人兵士の監獄となり、暴力や殺人が日常的に行われ、凄惨を極めます。「シシングハースト送り」は、フランス人捕虜にとって恐ろしいことでした。現在、ビジターの駐車場となっているところは、この時代、囚人墓地でした。

 

1855年に、賃貸が終わり、売りにだされたハウスをリントンのコンウォリス氏が購入し、この地でホップを育て、ロンドンで売ることに利用していましたが、別に新しい館を建て住み、古いカースルは使用人の住居に使われたり、ゴミ捨て場になったりと、整備されることはありませんでした。

 

1930年にヴィタ・サックビル(1892-1962)とハロルド・ニコルソン(1886-1968)の夫婦が、シシングハーストを購入しました。ヴィタは、男爵の娘で、セブンオークスにあるノウルというカントリーハウスで育ちましたが、彼女に相続権はありませんでした。ヴィタは、打ち捨てられ廃墟となったシシングハーストに、自分の情熱を傾け、美しい庭をハロルドとともに創り、そしてその情熱は死亡するまで、衰えることがありませんでした。

 

ガーデンは、ヴィタとハロルドの私的なもので、二人はガーデンに情熱を傾けるも、一般公開することを当初は、目的とはしていませんでした。1937年には、思いつき、といった感じで年に2日だけ、入場料6ペンスで訪問者を受け入れましたが、ガーデンはあくまでプライベートな空間であり続けました。

 

しかし、その後、訪問者は、現在に至っても、増え続けることになります。

 

ヴィタは、1947年から1961年まで「オブザーバー」誌にコラムを連載していましたが、

シシングハーストの名前をだすことなく、シシングハーストの庭について書き、実質的には、ガーデンの宣伝をしていました。

 

1950年代中盤にBBCがシシングハーストのドキュメンタリーを制作したいとヴィタに連絡してきた際には、ヴィタは大喜びで取り組みました。この頃から、だんだんと二人は、訪問者を意識してガーデンを整えだしたといってよいでしょう。

 

1962年にヴィタは死亡、6年後にハロルドも死亡し、ハウスとガーデンは、息子のナイジェル(1917-2004)が相続し、その後1967年にナショナル・トラストが管理運営することになりました。

 

ヴィタ・サックビルの肖像画@シシングハースト

 

✴ダリアの訪問✴

 

シシングハーストは、ガーデンでよく知られますが、ヴィタが住んでいたハウスを見るのも楽しみでした。

 

駐車場から歩いていくと、ダブルゲーブル(三角屋根)の入り口があります。典型的なエリザベサン様式、このエントランスアーチをくぐると、すぐ前にタワーがあります。

 

タワーの狭いらせん階段を上ると、ケントの広大な景色が広がります。そして各ガーデンを上から眺めることができます。ディアパークがあった頃は、ここから鹿が駆け抜ける素晴らしい景色を臨めたことでしょう。

 

タワーから降りて、各ガーデンを順番に回ります。ローズガーデン、ライムウォーク、コテージガーデン、ナタリー、ハーブガーデン、モートウォークと、それぞれのガーデンが部屋のよう区切られていて、次はなんだろう?と期待を盛り上げる構成になっています。中世から残るお濠の一部もあり、ガーデンの景色は、とても変化に富んでいます。

 

ローズガーデン

 

 

 

ローズガーデンのベンチエリア

 

 

 

ライムウォーク

 

 

 

ホワイトガーデン

 

 

ハウスは、ライブラリーからつながる居間及びダイニングルームが公開されていました。

落ち着けそうな空間、ここでヴィタはハロルドとガーデンについて、話していたことでしょう。公開されている部屋は、他にタワーの部屋、サウスコテージがあります。サウスコテージは時間制チケットが必要で、今回は見られず、次回の楽しみとなりました。

 

ガーデンは、予想よりも広くなく、どちらかというと狭い空間に密に植えるスタイル、といった印象です。他のカントリーハウスに比べると、ひとつひとつのガーデンも小ぶりで、プライベート感が感じられます。ヴィタとハロルド、ガーデナーたちが、きっと論争しながら、こだわりにこだわって、構成してきたのであろうガーデンは、見て心が安らぐ、というよりも、“情熱の凄み、迫力”のようなものが伝わってくるようでした。

 

そして、ここが昔日、暴力と殺人が繰り返されていた監獄であった・・・という史実が、また庭に独特の影を投げかけて、シシングハーストは、苦みのある渋い味のガーデンだと、感じられたのでした。

 

 

 

✴ナイジェルの独り言✴

ナイジェル・ニコルソンは、ヴィタとハロルドの次男。ヴィタの意向により、シシングハーストを継承するが、その後、ナショナル・トラストに管理・運営を任せ、シシングハーストにて2004年に死亡。両親のヴィタとハロルドは、共に同性愛者で、結婚後もお互いに自由な恋愛をするも、離婚することはなく、互いを尊敬し合う仲は、死ぬまで変わることがありませんでした。

 

(1970年頃の独り言~ナイジェル53歳)

 

シシングハーストを、ナショナル・トラストに引き受けてもらえることになって、心底ほっとした・・・母(ヴィタ)がナショナル・トラストに渡したくなかったこと、絶対に嫌だといっていたことは、百も承知だが、死亡税を支払えない以上、これがガーデンとハウスを残していく、唯一の道なのだから※。母と父には、申し訳ないが、このハウスとガーデンが、この世から無くなってしまうよりは、ましだと理解してくれるに違いない。

 

シシングハーストで、若いころを過ごせたことは、今から思うと幸せだった。

ノウル(ヴィタの実家)より、はるかに温かみにあふれたハウスとガーデン、恐ろしく寒かったが・・・暖炉のそばで母から、ここが昔、監獄だった話を聞くのが、怖いながらに楽しみだった。

 

母も父も、我が道を行く人で・・・、特に母は、女性の恋人(ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)他)がいて、世間を騒がせてくれたから、私も周りからいろいろ言われて、それは・・・もう・・・いやだった。

 

でも、父といるとき、母はいつも幸せそうで。父も母といるときは、優しい眼差しを母にむけていて・・・この二人が、外に恋人がいるなんて、ほんとうに理解できなかった。

 

ヴァージニアが書いた、「オルランド」は、母がモデルで、すばらしい作品だと思うが、

女性同士の恋愛感情が、あのような作品まで昇華するというのも、いまだに私には理解できないが、理解できないことがこの世にある、ということを知ることはできた。

 

シシングハーストのガーデンは、母と父の平和な協働作業で、ガーデナーも交えて、

「ひとつの世界を創っていく」プロセスを楽しんでいたように思う。ときに、言い争いはあったが・・・かなり激しい・・・。

 

私にとっては、シシングハーストは、母と父そのもの・・・シシングが、これから自立して、このまま、いつまでも、残っていてくれれば、それで、私の役割は果たせた・・・と思う。

 

 

※ヴィタとハロルドの遺産に対する相続税(死亡税)を現金で支払えない場合、不動産を物納することができ、物納した不動産は、所有者の意向が尊重され、ナショナル・トラストが管理・運営し、後世に残される。

 

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

参考資料:「Sissinghurst Castle Garden」National Trust