ヒストリックハウス名:Hidcote(ヒドコート)

所在地域:イギリス、グロスターシャー(コッツウオルズ)

アメリカ人男性ローレンス・ジョンストンが創り上げた、世界的なイングリッシュガーデン。

✴ダリアの訪問・一言感想✴

部屋に見立てた各庭園をぬけていくと、広々とした背景や、森林につながっていく・・・庭の散策が、まるで変化のある“旅”のようにデザインされていて、1日ずっとこの庭にいたいと思わせられました。

✴ダリアのインサイト✴

~ローレンスの心の避難所、ガーデニング~

ローレンス・ジョンストン(1871-1958)は、裕福な両親の元に生まれたアメリカ人でした。ローレンスの母親、ガートルードはロープビジネスで大成功した家の出身で、離婚・再婚・離婚後も、彼女自身の資産で裕福な生活を送ります。3人の子供のうち、2人を病や事故で失ったガードルードは、ローレンスに強い思い入れを持ちます。ガートルードは、1907年にヒドコートを購入し、イギリスにローレンスと住みます。ローレンスは、ボーア戦争、第一次世界大戦に従軍し、1914年に前線で胸を撃たれ重傷を負います。この負傷の治癒中に、園芸の本を集中的に読んだことが、ヒドコートの庭の開発の始まりとなります。ローレンスは、その後、世界各地で、珍しい植物を見つけ、持ち帰り、ヒドコートに植えつけます。ローレンスは生涯独身で、子供がおらず、ヒドコートは、ナショナル・トラストに寄贈されました。

ローレンスは、いつも母親から背中を押さえつけられているようでした。イギリスにおいて上流階級で認められる人になってほしい。その一点に、母の離婚後のエネルギーは凝縮されていました。ケンブリッジを卒業したときに、ローレンスは心からほっとしたものです。そして、母親の重圧から逃れるかのように、戦争にも参加、重傷を負って帰国。そして、母親から逃れることはできないと、病床ではっきりと悟ります。ローレンスは、母親の感情を増幅して、自分の中に取り込み、自分の中で膨らませてしまう自己犠牲願望が強い人物でした。

そして、ローレンスは、もっと“健康的に”自分の心を開放していこうと考えを変えていきます。それは、植物であり、庭を創ることだったのです。彼は、心底、植物が好き、庭が好きというわけではありませんでした。しかし、庭を創るということは、無限の創造であり、作業であり、そしてジェントルマンの趣味として、十分に社会的地位を得ているものでもありました。彼は、ガーデニングに勤しむことで、母から建設的に離れ、そして自由に自分の世界を創り、交友関係を拡げ、そして、人生を楽しむことができたのです。

ローレンスは、メアリー・アンダーソンや、ノラ・リンジーといった園芸仲間とも交遊し、庭の情報を交換し合い、庭を訪ね合います。リンジーは、ガーデンデザイナーで、ローレンスのフランスの庭は、彼の遺言でリンジーに死後、遺されています。ローレンスにとって、園芸仲間の才気あふれるリンジーは、(身分や財産の観点から)結婚相手としてはありえなかったけれども、心の妻ではあったのです。リンジーと語る時間、リンジーと植物を見つめる時間こそが、ローレンスの“平穏で幸せ、喜びを感じられる”時間でした。そして、世界の珍しい植物をみつけ、持ち帰る喜びは、リンジーにその植物を見せるために他ならなかったのです。

※史実に基づいた筆者の考察です。

参考資料:「Hidcote」National Trust