
ヒストリックハウス名:Tyntesfield(ティンツフィールド)
所在地域:イギリス、サマセット
ゴシック様式の中にも温かみがある、ビクトリア時代の典型的なカントリーハウス
✴ダリアの訪問・一言感想✴
外見は壮麗、一歩なかに入ると、温かな雰囲気を感じるハウスです。中世の時代に国王から譲り受けた領地・屋敷ではなく、ウィリアム・ギブス自らの才覚で、これだけの規模のハウスを建てたことに唸らせられます。熱心なキリスト教徒だったウィリアムの信仰心が具現化されたチャペルの美しさに圧倒されました。複雑に尖塔が建つゴシック様式の屋根が、みどころです。

✴ダリアのインサイト✴
~ブランシェへの愛情が形になった~

ティンツフィールドを建てたのは、一代で巨万の富を築いたウィリアム・ギブズ(1790-1875)。ウィリアムは、10歳そこそこで、親の意向で学業を終え、兄のジョージと一緒に父親のビジネス(主に貿易)を手伝い始めますが、父親が早くに多額の借金を残して亡くなります。ウィリアムとジョージは、父の借金を返済するためにビジネスを続け、ウィリアムが40代後半のときに借金の返済が終わりました。
それまで、仕事一筋で恋愛や結婚と無縁だったウィリアムですが、49歳で出会った21歳のブランシェに一目ぼれ。ウィリアムは、ほとんど衝動的にプロポーズしてしまいます。そして、ブランシェはウィリアムの誠実な人柄にひかれ、自らの決断で、プロポーズを受けました。ブランシェと結婚してから、ウィリアムのビジネスは大きく発展し、ペルーから輸入したグアノとよばれる肥料の一種は、ウィリアムに巨万の富をもたらしました。グアノは千年以上にわたって蓄積した鳥の糞で、作物の成長促進に驚くほど効果的だったとのこと。ウィリアムは1842年にこの輸入をはじめ、ペルー政府との協業のもと、このビジネスで大成功をおさめ、ギブス家のカントリーハウスとして、ティンツフィールドを手に入れます。

ウィリアムは、いつも神に導かれ、神が自分にいくべき道を示してくれていると感じていました。だから、「こうしなくては、いけない」「こうあるべき」と上昇志向をもつこともなければ、享楽に走ることもなく、常に自分の直感に従って動いていました。心優しい兄のジョージと協力し、どんな人にも誠実に接することにより、自らグアノというビジネスの金鉱脈を掘り当て、大成功させたのです。
ウィリアムは、当時としては、長生きの85歳まで生き、ブランシェと35年の円満な結婚生活を送りました。二人は7人の子供に恵まれ、愛情とユーモアにあふれるファミリーライフをティンツフィールドで送ります。

ウィリアムは、いつも28歳年下のブランシェに申し訳ないような、それでいて自分ほど彼女を愛することができる男性は他にいない、との確固たる自信をもって、ほろ苦さと、このうえない甘さが溶け合ったような不思議な思いを、いつも抱いていました。ティンツフィールドは、ブランシェに対する愛情表現の一つでした。立派なカントリーハウスというよりも、ブランシェが心地よく過ごせる、ブランシェが笑顔でいられる、そんな家にしたいというウィリアムの気持ちにより、このハウスは建ったのです。
ウィリアムは、ティンツフィールドのチャペルで、ブランシェと共に祈る時間が好きでした。
チャペルでブランシェと祈っていると、ウィリアムは、このうえない幸せな気持ちに包まれ、この世に生まれて、ブランシェと一緒にいることに、ただ、ただ、感謝するのでした。
※史実に基づいた筆者の考察です。
参考資料:「Tyntesfield」National Trust 「My Dear Uncle William Tyntesfield Letters」
David J.Hogg
