干潮のときだけ歩いて行けるカントリーハウス

ヒストリックハウス名:St Michael’s Mount(セント マイケルズ マウント)

所在地域:イギリス、コーンウォール

✴ダリアの訪問・一言感想✴

着いたときは、満潮で、セント・マイケルズ・マウントは、少し先に浮かんでいました。翌朝、干潮になり、石畳の道が現れます。波のあとがまだ残る砂浜を見つつ、風を感じながらハウスに向かって歩くのは、とってもいい気持ち!

そして、整備されているとはいえ、石、岩の急な長い階段を上がって、ハウスの入り口までたどり着くと、そこにはコーンウォールの絶景が!

海の風に吹かれながら、この島に住む生活に激しく憧れるものの、嵐の晩などは、音がすごいのだろうなあ。石の島のうえに、この立派なカントリーハウスが建っていることも驚きで。驚いてばかりの訪問でした。

急斜面には、よく整備された美しいガーデンがあり、急斜面を上り下りしてガーデンを見るのがまた新鮮です。イギリス海峡の雄大な風景をバックに、ちょっと珍しい植物が植えられていて、野趣に富むというか、海と山を同時に体験できるような面白さがありました。

✴ダリアのインサイト✴

~潮の干満・・・人の心を鎮める。~

フランスのモン・サン・ミッシェルの神父によって、最初にここに、教会が建てられました。ジョン王やバラ戦争のときもいろいろあったものの教会は存続していましたが、ヘンリー8世の教会破壊をきっかけに、王室のものとなり、エリザベス1世が臣下のロバート・セシルに売却。1640年にセシルの子孫が、バセット卿に売却し、その後オウバン家の所有となります。

セント・マイケルズ・マウントは、ウィリアム征服王の時代から、イギリスの歴史の転換点で、いつも戦禍に巻き込まれ、大変な状況にありました。ジョン王がリチャード1世に謀反を企てる拠点となったり、ばら戦争ではオクスフォード伯がここに立てこもったり、清教徒革命のときは議会派に降伏したりと。しかしながら、ハウス全体が破壊される、持ち主が死刑になるなどは、どうやらなかったようです。それは、おそらく、時間が経つと、必ず潮が満ちてきて、舟でしか行けない孤島となってしまうからでしょうか。

人の怒りは、一気に燃え上がっても、風に吹かれたり、海をみたりすると、自然とおさまってしまう・・・ことはないでしょうか。私が思うに、いろいろあって、遠くコーンウォールまでやってきて、セント・マイケルズ・マウントまで怒りをぶつけにきたけれども、なんとなく満ちてしまった海をみると・・・そこまでしなくても、いいんじゃない?

というような気持ちになってしまうのでは、と、思うのです。

王や議会派の人たちにとっても、コーンウォールは、やはり遠い地。訪れたこともないその地の、小さな島・・・、しかも昔は、修道院・・・神が今もよく見ているかもしれない・・・。

人間の怒りのエネルギーは、有限だと思うのです。満ちていく潮や、吹きつける海風、水平線に沈む夕日・・・それらを見て、「ま、いいか!」と思い、もっと自然な優しい感情へ戻っていったのだろうな・・・と夕暮れの中、思うのでした。

※史実に基づいた筆者の考察です。

参考資料:「A Personal Tour of St Michael’s Mount With James St Aubyn now the fifthe Lord St Levan」James St Aubyn