ヒストリックハウス名:Packwood(パックウッド)
所在地域:イギリス、ウォーリックシャー
“正しさ“を目指して創り上げられた、チューダーハウス。

✴ダリアの訪問・一言感想✴
ハウスが開くのは11時からで、まだ30分ほどあったので、先にキッチンガーデンへ。
朝は、もう霜が降りるほどの寒さですが、野菜やお花はまだ元気です。冬の間、池にのせる大きな蓋もおいてあります。



ハウスの中は、中世風に造られていますが、古ぼけた感じはせず、どことなく、きちんとまとめられた感があります。エントランスホール~ロングギャラリー~グレートホールへの続きは、バロン・アッシュの“正しい中世”をここに!という涙ぐましい努力が特にわかるところで、グレートホールのバルコニー(中世では、ここで食事時に音楽隊が演奏していた)は、その高さや手すりのつけ方まで、“正しさ”が追求されているように見受けました。

そうはいっても住むのには、快適も必要だったようで、二階には近代的なバスルームがあり、訪れたクイーン・メアリー(メアリー・オブ・テック、ジョージ5世の妻)は、「まあ、便利な暮らしをしているようね。」とコメントしたそうです。

いくつかのゾーンに分かれている庭の中でも、迫力にあふれるのが、「ユーガーデン」(イチイの庭)です。12使徒をイメージしてつくられた植栽とされるものの、いつ頃誰が、このガーデンを造ったかは、はっきりしないようです。ユーガーデンでは、大人も子供も“かくれんぼ”をしたくなるようで、大人同士でも興じている姿が見られました。なんてのどか・・・。

✴ダリアのインサイト✴
~正しい“中世”を追い求めたジェントルマン~
グラハム・バロン・アッシュ(1889~1980)が16歳の時に、父親のアルフレッドは“息子が欲しいといったから”という理由でパックウッドを購入したと、いわれています。バロンの祖父、ジョセフ・アッシュは亜鉛ビジネスで成功し、一家は一気に富を得ます。バロンは、最初祖父が起こした会社“Ash and Lacy “で働きますが、間もなく出征、一次世界大戦では空軍に従軍します。戦後はパックウッドで、カントリージェントルマンとして生活し、パックウッドの改修に情熱を注ぎます。
バロンが目指したのは、“本物の中世であること”だったので、ビクトリアンやジョージアンの時代に加えられた装飾や建築様式は、バロンの目には、“正しくないもの”で、徹底的に排除、“正しくなければならない!”それが、バロンの信条でした。
ヘンリー8世や、エリザベス1世の時代の本物を、追い求めて、中世の建物を壊すという噂を耳にすれば、その家のパネルやインテリアを求め、アンティークオークションでも常連でした。
バロンと父親のアルフレッドは、祖父が築いた富を引き継ぎ、豊かな生活をしていました。しかし、親子ともに祖父のビジネスを引き継ぐことはなく、そのビジネスを発展させることもないばかりか、ビジネスにも全く関わってもいませんでした。
アルフレッドは、生来、気楽な気質で馬のレースやその当時の最高の高級娯楽であった車のレースにのめりこみ時を過ごしていました。しかし、バロンは、子供の頃に見ていた、祖父が亜鉛ビジネスで、新しい時代の一翼を担っている姿を、忘れることはありませんでした。
バロンはいつも、自分は、これでいいのだろうか・・・と無意識のうちに自省しており、そしていつもどこかで、なにかに、正しさを求めずにいられないのでした。その対象は、自然と祖父の富で、自分のものとなったパックウッドへ向き、パックウッドが建てられた当時の中世の姿へ“正しく”戻したい、という情熱が沸き起こっていたのでした。
バロンは、自分の死後、パックウッドがどのように公開されるかにも、こだわり、ハウスの展示方法の手引書も残しています。それには、各部屋に“生花”のアレンジメントを必ず置くように指示があり、そしてその指示は今も生きていて、各部屋には、おそらく今朝摘まれたばかりのみずみずしいお花が、美しく活けられているのでした。
※史実に基づいた筆者の考察です。 参考資料:「Packwood」National Trust
