ヒストリックハウス名:Barrington Court(バーリントンコート)

所在地域:イギリス、サマセット

ライオンのシロップと99年リース

✴ダリアの訪問・一言感想✴

パーキングから、キッチンガーデンの横をぬけ、さらに噴水のあるガーデンをぬけて、ハウスにたどり着きました。ハウスは、2棟ありますが、ひとつは典型的なエリザベス時代様式で、もう1棟はモダンな感じのアネックスといった風貌のストロードハウスです。(ストロードハウスは17世紀に建てられた厩が後に改造されて住居棟になりました。)

バーリントンコート
ストロードハウス

北側にある現在の入り口から入ります。

グレートホールの見事なパネリング

スコットランドからもってきた階段と、シンガー製の電灯シャンデリアが、見事に調和しています。この階段が、ハウスの中でもっとも迫力がありました。

ロングギャラリー

ロングギャラリーに残る16世紀の彫刻

中世を彷彿させる石壁

スモールダイニングルームの見事な天井彫刻。キングスリンのカントリーハウスから移設。
ホワイトガーデン

キッチンガーデン

✴ダリアのインサイト✴

~ライオンのシロップと99年のリース~

今でもイギリスのスーパーにいけば置いてある、寝ているライオンとハチが描かれた“ライルズ ゴールデンシロップ”。このシロップのデザインは、1885年から変わっていないそうです。このシロップを最初につくったライルズ&サンズの一族の1人、アーサー・ライルズが、バーリントン・コートの救世主です。

ライルズ ゴールデン シロップ

バーリントン・コートは、1560年頃ロンドンの成功した商人ウィリアム・クリフトンによって建てられ、その後、成功した生地商人ストロード一族の手に渡ります。1745年にストロート一族の子孫が途絶えてからは、ハウスは荒廃に向かい19世期には、ハウスは農家の手にわたり家畜小屋となってしまっていました。そのありさまをみて、1907年にジュリア・ウッドワードが買取り、ナショナル・トラストに寄贈します。

しかし、寄贈されたナショナル・トラストは、ハウスの本格的なゴシック様式建築とその内部の珍しいつくりを認め、寄贈をうけとったものの・・・あまりにハウスの中が荒廃し、朽ち果てていることに、あとから改めて気づき、「なんという家を、受け取ってしまったのだ・・・」と果てしなく後悔をすることになります。修繕の見積もりは、とてつもなく、とてもナショナル・トラストが全額を負うことができるレベルではありません。「こんなものもらってしまって・・・」担当部署の空気は、毎日重苦しく、しかし、いったん寄贈されたものを壊すことも、売ることも、ナショナル・トラストの性質上できるわけもなく、

行く先は、暗雲に包まれていました。

・・・そこへ、ある日、1本の電話がかかってきたのでした。

「バーリントン・コートを見せてもらえないか?」それは、第1次大戦のさなか、戦地から戻ってきたライル大佐でした。ライル大佐は、戦地で負傷し退役、また、ファミリービジネスであるライルズ&サンズの砂糖精製の仕事からも、引退したばかりでした。

ライル大佐は、バーリントン・コートをナショナル・トラストがもてあましている噂を耳にし、99年のリースをもちかけます。リースの間の修繕費用は全てライル大佐持ちという条件で、1919年にリース契約が成立し、ナショナル・トラストは、密かに胸をなでおろします。

ライル大佐は、ただ住むためにリースしたわけではなく、この時代に早いスピードで無くなりつつあった、イギリス各地のカントリーハウス内部のパネリング、ドア、階段、そのほか様々な内装を取り寄せて、バーリントン・コートに移設し、その保存に努めたのです。

修繕担当は、建築家ジェームズ・エドウィン・フォーブズ。フォーブズは、集められてきた他ハウスの内装を、ただバーリントンにとりつけるだけでなく、建てられた当時16世紀の趣になるように、ライル大佐と相談しながら、ハウスの内装を入念に仕上げていきました。改修費用は、10万ポンド(当時)を超えたといわれます。

その結果、家畜小屋だったハウスの内装は、見事に16世紀のエリザベサンハウスの趣をとりもどし、さらなる改修を続けながら、ライル大佐、息子のイアン、その息子アンドリューと3代にわたって、バーリントンに住み続けます。1991年にアンドリューは、99年の満期をまたず、リース契約を解約しますが、3代で改修した内装は、すべて無償でナショナル・トラストに譲渡されました。

現在残る全てのガーデンも、リース中にライルファミリーによって整えられたもので、同じガーデンデザイン、植物が現在も踏襲されています。

ライル大佐は、“所有する”ことには、価値を見出していませんでした。

大佐にとって大切なことは、“継続していくこと”でした。自分の財産、自分の家族の財産であることよりも、伝統あるカントリーハウスの中にあった芸術的なパネリングや、階段が、バーリントンに来て、確実に後世に残されていく・・・そのことこそが、大佐にとって価値があることだったのです。

戦地で負傷を負った大佐には、人の命は、ひどく短く果敢ない、ひと時のものであるように思えました。その短い期間で、大佐は、バーリントンに、失われたカントリーハウスのエッセンスを集め、後世に残しているのです。

※史実に基づいた筆者の考察です。

参考資料:「Barrington Court」 National Trust