Upton House アプトンハウス:シェル石油と美術品

ヒストリックハウス名:Upton House(アプトンハウス)

所在地域:イギリス、ウォーリックシャー

シェル石油の創始ファミリーによる、美術ギャラリー

✴ダリアの訪問・一言感想✴

駐車場からハウスは、少し離れていて、広い並木道を歩いていきます。

午後遅い時間に着いたからか、並木道は閑散で、だれも歩いていません。

ハウスへの入場は、時間指定制。ハウスの手前のオフィスで、時間指定をうけます。

入場時間まで、30分ほど時間があったので、カフェへ行き、ちょっと一息。

時間になったので、ハウスに戻り、入り口へ向かいます。

日本でも見かけるシェル石油のサインが建てられた入口。

時間まで5分ほどあったので、扉の前で待っていると、扉が開いて、「中へどうぞ」とボランティアガイドの方が、招き入れてくれました。

時間制というので、混雑しているのかと思うと、そうではなく、同じ時間の方は、多分、あと2人ほど。

エントランスホールの“Coleshill-style staircase”。

入ると、誰もいない、ロングギャラリーが優雅に広がります。

このハウスを蘇らせ、現在に残す、第二代ベアステッド子爵とその奥様。

ロングギャラリーには、美しい陶器のコレクションが。

ライブラリー(執務室のような感じ)のデスクにおかれた、貝殻の箱。シェルは、石油のまえは、さまざまなビジネスをしていて、当初は貝で飾った宝石箱を作っていたそうです。おいてあった貝殻の箱は、シェル創業当時のものとのこと。シェルの名前の由来です。

吹き抜けのピクチャールーム。子供たちは、ここで楽しくボール投げなどしていたそうです。

ピクチャーギャラリー、子供たちがいたころは、スカッシュコートでした。

ダイニングルーム

ハウスのなかのインテリアは、1920年当時、最先端だった「Curzon Street Baroque」というスタイルでまとめられています。壁の色、床材の色、カーペット、その落ち着いた色調と質感は、ハウス全体で調和していて、中にいると、しっとりと落ち着いた気持ちになります。

ハウスでもガーデンでも、ほぼ私が1人のときが多く、とても落ち着いた見学となりました。まるで、自分がこのハウスに今、住んでいるような、そんな気持ちにさえなれる素敵な時間でした。

階段が特徴的なガーデン。

菊がとてもきれいでした。

✴ダリアのインサイト✴

~絵画を永遠に守りたい、第2代ベアステッド子爵~

第2代ベアステッド子爵ウォルター(1885~1948)は、父が創始したシェル社の石油ビジネスを大きく成長させ、莫大な富を得ました。ウォルターは1927年にアプトンハウスを購入します。彼はロンドンをはじめ、他にいくつもアプトンより規模が大きい家をもっていて、アプトンは当初、狩猟好きの妻のために、ハンティングロッジとして購入されました。

アプトンハウスがある場所は、その地形からキツネ狩りに適しています。第一次世界大戦後、狩猟をメインとしたウィークエンドパーティは、戦前に比べ、めっきり減りましたが、ウォルターは狩猟パーティという伝統を守ることに意義を感じ、また妻が狩猟パーティを特に好んだことから、盛大な狩猟パーティを頻繁に催していました。

戦後、自分のカントリーハウスを主に財政上の理由から失ってしまったアッパークラスの人々から、アプトンで開催される狩猟パーティはとても喜ばれ、いつもハウスは宿泊客で満員でした。もともと石油ビジネスを発展させた大富豪として、社交関係の広かったウォルターですが、この狩猟パーティで一層社交は広がりました。

ウォルターは、単にビジネスや楽しみのために、狩猟パーティで社交を拡げていたわけではありませんでした。子爵は、不穏な情勢となってきていたドイツから、ユダヤ人、特にユダヤ人の子供たちをイギリスに継続的に救出し、社交関係からユダヤ人たちの受け入れ先を得ていました。ウォルターは、ドイツから1万人のユダヤ人の子供たちをイギリスへ連れてくることに成功していて、ドイツのユダヤ人保護に大きな役割を果たしました。

また、子爵は父親のあとをうけ、価値ある絵画や陶器のコレクションを、ライフワークとしていました。エル・グレコやボッシュの宗教画などを数多く、主に宗教画を購入しますが、彼の目的は投資ではなく、作品の保護でした。優れた絵画や陶器を、後世の人々に一人でも多く見てほしいというのが、彼の考えでした。

そうした考えから、当初スカッシュコートとして作った部屋を、ピクチャーギャラリーに改修し、それぞれの作品が最高の状態で、展示されるよう、配置やライティングに工夫をこらします。

しかし、その彼の情熱は、息子たちには、引き継がれませんでした。息子たちは、美術品に

対する父親の情熱に敬意を払いつつも、“美術品”に対しての思い入れはなく、それは父親との会話の端々に現れます。

ある日、息子のマーカスは、ウォルターに「ピクチャーギャラリーで、今度パーティを開きたいのだけどいいかな?ウィリアム(友人)がエル・グレコを好きだって。」などと尋ねるのです。

子爵はゆっくりと首を横にふり、「マーカス、これらの絵は、酔って見るものではない、ましてやパーティの引き立て役ではなく、絵はいつも主役なのだよ。」と静かに答えます。

このとき、ウォルターの心は、決まったのでした。

美術品コレクションは、息子たちには残せないと。そして、子爵は、美術コレクションを含むアプトンハウスの全てを、ナショナルトラストに、生前に譲渡したのでした。子孫の要望があったとしても、美術品コレクションに関しては、一切の変更を加えない。売却禁止、譲渡禁止、アプトン以外での展示も禁止、がウォルターの譲渡の条件でした。

ウォルターの美術品コレクションは、最高のコンディションで今も、アプトンで静かに展示され、訪れる人はハウスの一角に、一級の美術ギャラリーがあることに驚かされるです。

※史実に基づいた筆者の考察です。

※タイトル及び文中で、シェル石油としていますが、当時のイギリスでの会社名は「シェル・トランスポート&トレーディングカンパニー」。

参考資料:「Upton House」 National Trust