Canons Ashby キャノンズ アシュベイ:左右非対称が歴史を語る

ヒストリックハウス名:Canons Ashby(キャノンズ アシュベイ)

所在地域:イギリス、ノーザンプトンシャー

左右非対称が歴史を語る

✴ダリアの訪問・一言感想✴

ガーデンツアーがもう始まっているとのことで、急いでツアーに合流。ガーデンを歩きながら、ハウスの歴史をおしえてもらいます。

ガーデンは、ハウスの南側と西側に広がります。

南側のガーデンは、ゆるやかな下り坂になっているので、南側からハウスをみると、ハウスの存在感が際立ちます。

西側のガーデンは、大きな植栽から成り、ハウスが見え隠れする感じです。

ガーデンにあるターゲット。少年たちがマスケット(小銃)を撃つ練習に使っていたとのこと。しかし、真ん中に当てられる人は、少なかったようです。

ツアーのあと、ハウスは自由見学。

ダイニングルーム、清教徒革命のとき、このハウスに住んだ初代ドライデン男爵Erasumus Drydenは、議会派だったのですが、なぜかチャールズ1世の肖像画がかかっていました。チャールズ1世に背反の罪で2度、投獄されているので、そのことを忘れないため?かもしれません。

ブックルーム、第7代ドライデン男爵ヘンリー(後述、ダリヤのインサイト参照)が造った部屋。彼は、ライブラリーとは部屋に来て本を借りていくところ、ブックルームとは本に出会い、本から何かを見つけ出すところ、と定義してブックルームと名付けました。

ドローイングルームの見事な天井。第二代男爵ジョンが3度目の結婚の記念にこのような石膏細工の天井を造らせ、妻と自分の紋章を配置しました。

スペンサーズ・ルーム、改修時に発掘されたチューダー時代の壁画。

タペストリールーム

赤ちゃん用のゆりかごが、素敵。

第7代男爵ヘンリーの娘、アリス(後述、ダリヤのインサイト参照)のライティング・ビューロー。手紙を分類して差し込むポケットがあります。

ハウスは、1940年頃までは、ドライデン一族が住んでいたのですが、ハウスを承継する子孫がアフリカに移住してしまったため、ハウスはリースにだされました。テナントの中でよく知られる人として、チャールズ皇太子のプリンス・オブ・ウェールズ戴冠式のときにつかわれた王冠をデザイン・製作したルイス・オスマンが住居兼工房として、20年近く、ここに住んでいました。

そうした経緯からか、ハウスの中は、部屋によって趣がとても違いました。中世そのまま残っているような荒廃した有様の部屋、きれいに復元された部屋、ドライデン男爵が使っていたそのままの内装・家具が活かされている部屋と、いろいろでした。

代々のドライデン男爵が、少しずつ改修しつつ長年住んできたハウスを、18世紀初頭に予期せぬ出来事として、ハウスを相続したエドワード(父親がエドワードより1年長生きしたために、爵位を継ぐことはなかったが、父親は違うハウスに住んでいた)がとりわけ張り切っていろいろと改修を加えて、ハウスをグレードアップしようとしました。

その改修の一環で、なんとか南面からみたハウスを左右対称のデザインにしたかったのですが、すでにある窓の配置、タワーの存在から、左右対称にすることが相当に難しく、結局実現できずに今の姿となっています。しかし、エドワードのその意気込みは、今も建物から伝わってくるかのようです。

✴ダリアのインサイト

“古きに詳しい”第7代ドライデン男爵ヘンリー(1818-1899)は、ビクトリア女王戴冠の

年1837年からビクトリア女王死亡の2年前である1899年まで、キャノンズ アシュベイの当主でした。まさに、ビクトリア時代のジェントルマンです。

ヘンリーは、自分の領地付近を浮浪者が通りかかれば、呼び留めて、「あの家を訪ねなさい、食事がもらえるから」と声をかけては、急いで家に帰って、キッチンにかけこみ、「ゲストがくるから、食事の用意を急いで!」とキッチンの使用人に呼びかけ、自分はエントランスで、驚いた顔をしている浮浪者をニコニコと迎え入れるのです。おなかいっぱい食べさせ、古着を与え、本人がとどまりたいといえば、領地内のなにかしらの仕事を、手配してやるのでした。

ヘンリーは、領地の管理の他に、建築家でもあり、自分の設計でいくつもの学校やコテージ、厩を建てています。しかし振り返りが好きだったようで、「自分の設計における問題点」という報告書をわざわざ編纂し、ロンドンの建築協会に提出しています。

学術家でもあり、幅広い分野の本を収集し、自分の死亡時には多くを地方の図書館に寄付しています。

そんな人望厚いヘンリーでしたが、同居する母親が、ヘンリーの結婚にいろいろと

こだわりをもち、またヘンリーも領地運営や自分の研究・探求、慈善に熱心なあまり、結婚話がなかなか進みませんでした。

しかし、母親が1851年に亡くなり、家族無しでキャノンズ アシュベイに住むことになり、10年ほどは開放感を楽しんでいたものの、次第に次世代のことが気になり始めたヘンリーは、47歳でフランシス・トレッドクロフトと結婚します。

フランシスは気の合う長年の友人で、結婚すること自体は喜ばしかったものの、フランシスは42歳。果たして、子供に恵まれるのかどうか・・・ヘンリーは一抹の不安はあったものの、楽観的なところがあるヘンリーは、とにかく1度、結婚してみようということで結婚。

翌年、フランシスは妊娠し、ヘンリーは天にも昇る気持ちで喜びます。「ジェーン・シーモアが妊娠したときの、ヘンリー8世の気持ちが手に取るようにわかる!」と、ヘンリーは毎日、安産を祈り、息子が生まれたら、こうしよう、ああしようと、想像を膨らませます。

ところが、生まれたのは女の子。アリスと名付けられます。アリスは才気活発、健康ですくすくと育ちますが、ヘンリーは、アリスに興味をもつことはなく、いつも「アリスが男の子だったら」と思わずにいられないのでした。

アリスが子供のとき、ヘンリーは、ほとんど一緒に時間を過ごすことはありませんでしたが、アリスが大人になってからは、ヘンリーは、アリスに自分が伝え聞いてきた代々の当主の話などをとりとめなく話すこともありました。

ヘンリーが81歳で死亡したとき、アリスは33歳。まだ独身でした。キャノンズアシュベイはヘンリーの弟、アルフレッドが相続し、アリスはロンドンへ引っ越します。生まれ育った家は、もうアリスが住む場所ではなくなってしまったのです。

アリスは、写真を撮るのが趣味で、多くのキャノンズアシュベイの写真を撮影していましたが、ロンドンに移ってから、キャノンズアシュベイは、アリスにとって、もう過去のことになってしまい、その写真の殆どをアリスは処分し、ハウスについて語ることも、あまりなかったのでした。

参考資料:「Canons Ashby」 National Trust