ヒストリックハウス名:Warwick Castle(ウォーリック・カースル)
所在地域:イギリス、ウォーリックシャー
キングメーカー、リチャード・ネビルが国王を投獄した

✴ダリアの訪問・一言感想✴
ハロウィーンを目前にした10月最後の週の夕方に訪問。秋は、限られた期間しかオープンしていないウォーリック・カースルは、たくさんの人出でにぎわっています。ウォーリック・カースルは、テーマパークのような趣で、この時期はゴーストをテーマにさまざまな子供向けのプログラムが催されているので、家族連れでいっぱいなのです。
外観は、中世の要塞そのもの、1471年にキングメーカー・リチャードネビルが戦死するまでは、ウォーリック伯爵の居城として、城壁や塔がつぎつぎと増築されていました。
グレートホールには、武器のコレクションが、展示されています。

グレートホールで、ひときわ目立つ「ケニルワース・バフェ」。ケニルワースで伐採された一本のオークを彫りだして19世紀半ばに製作されました。ウォーリックシャーの住民から、その当時の当主だったグレヴィル家の結婚への贈り物です。ケニルワースは、エリザベス1世が恋人ロバートを訪問した地で、このバフェにはエリザベス1世の物語が彫られています。


シダードローイングルーム

クイーン・アンのベッドルーム、アン女王がケンジントン・パレスで、実際に使っていたベッド。ジョージ3世から譲渡される。

12世紀からずっと同じ場所に、チャペルがあります。ビーチャム一族の赤ちゃんの洗礼、結婚式、お葬式が脈々と行われてきたことでしょう。

ステート・ダイニングルームのイタリア製シャンデリア。ビクトリア女王夫妻、エドワード皇太子(のちのエドワード7世)、現エリザベス女王夫妻も、このシャンデリアの下で食事をされました。

城壁が囲むコートヤードには、ステージが設けられ、暗くなるにつれ、お客さんがどんどん増えていきました。城壁には、だれもいないので、静かに景色を眺められそう・・・と城壁に上ったところ、城壁のルートは一方通行で、ガイタワー(高さ29m)を期せずして昇ることに・・・ガイタワーの狭い、中世の雰囲気たっぷりの狭い石の螺旋階段をがんばって昇り、タワーの頂上へ。ウォーリックの町を一望できる眺めで、夕暮れが美しいのですが、下りの階段が気になり・・・(日が完全に暮れたら相当に暗いのではないかと!)早々に、下ることに。無事に降りきって、ほっと一息。


✴ダリアのインサイト
1268年頃からウォーリック・カースルの当主であったウィリアム・ビーチャム(当主1268-98)がエドワード1世の側近になり、戦時に活躍したことから、ビーチャム家は王家に最も近い有力一族の一つとなります。エドワード3世の時代には、トーマス・ビーチャム(当主1329-69)は100年戦争で大活躍、皇太子ブラック・プリンスの戦争アドバイザーも務めます。1401年から当主のリチャード・ビーチャム(当主1401-39)は、ヘンリー5世に18年間仕え、ヘンリー6世の家庭教師も務めます。
時代を追うごとに、ビーチャム一族と王家との距離は、このように濃密になり、ウォーリック・カースルも防備は充実、領地も増えて、軍事力・財力ともにイングランドで指折りの一族となっていきます。
バラ戦争の進行役といってもよい、キングメーカー、リチャード・ネヴィルはこのビーチャム一族の最後を飾った人物です。ヘンリー6世につき、鞍替えしてエドワード4世につき、またもやヘンリー6世につき、最後はバーネツトの戦いで敗死。
しかし、驚くのは、2度目にヘンリー6世側についたときに、リチャード・ネヴィルは、国王の座にあったエドワード4世を自ら捕らえ、ウォーリック・カースルに連れてきて、地下の牢獄「The Gaol」に幽閉したのです。国王の幽閉というなら、立派な部屋で居心地がよく・・・と想像するのですが、そこは石づくりに鉄格子がある牢屋でした。(The Gaol は現在、幽霊屋敷のようなアトラクションになっています。)
エドワード4世は、リチャード・ネヴィルの軍事力とお膳立てのおかげで国王になることができたと、言われていますが、時の国王を捕らえてきて、自分の城の牢獄に収監するなんて、いくら内戦状態にあるといっても・・・あんまりなのでは・・・。当時の人々も同じように、それはちょっと・・・という意見が噴出したため、リチャードは国王と和解した、という体裁を整えて、1470年にエドワードを平和的な感じで、釈放しました。
しかし、軍事力、財力、戦略力、全てがエドワードより上回るリチャード・ネヴィルがいることにより、エドワードは、国王とはいえ、片時も気が休まらない日々なのでした・・・。

参考資料:「Warwick Caste The Essential Guide」、「英国王室史話上」中央文庫