ヒストリックハウス名:Portland Castle(ポートランド・カースル)
所在地域:イギリス、ドーセット
ヘンリー8世が建て、D-Dayの準備練習が行われた

✴ダリアの訪問・一言感想✴
ポートランドは、ウェイマスという海辺のリゾート地の南にある島ですが、防波堤の上につくられた道でつながっていて、車でいくことができます。
平たい造りの建物のため、駐車場についても、その姿は見えません。
入口からはいると、地味な石造りの建物が、忽然と現れました。カースルといっても要塞そのものです。
順路に従っていくと、カースルの歴史や、当時の暮らしの展示がされています。外にでると
大砲が海に向かってならんでいて、400年にわたり、イギリスをフランスやドイツから守る防衛の地だったことが、よくわかります。


今も、フランスにむけて大砲(使えるのかな?)が設置されている。

カースルは、長きにわたり要塞でしたが、ナポレオンとの戦争が終わってから、地元の名士、マニング氏が住んでいた期間があり、内部は装飾が施されたステンドグラスの窓が残され、部分的にカントリーハウスの趣がありました。ガーデンはあるものの、兵士の休憩所という趣で、とても地味なものでした。

✴ダリアのインサイト
ヘンリー8世がローマ教皇と訣別し、イギリス国教会として独立したことで、イギリスはフランス、スペインと敵対することとなりました。ドーセットは、特にフランスが急襲してくる恐れがある地です。守りを十分に固めておく必要があり、ヘンリー8世は、急いで、防衛拠点としてポートランド・カースルを、建設したのです。
そのときから、ポートランド・カースルの洗濯物を請け負っているのが、ファニー・ラベンダーの祖先の一族です。
ファニーは、祖父母や両親から、カースルの歴史を何度もよく聞いたものでした。
ヘンリー8世の時代からエリザベス1世の時代に、駐屯していた軍人たちは、ほんの数人で、主にカースルを守っていたのは、地元で雇われた一時的な兵士。だから洗濯物は多くはなかったこと。ヘンリー8世の軍人たちは、誇り高く優しく、地元の人たちは、ヘンリー8世に好印象をもっていたこと。
清教徒革命のときは、議会派と王党派がカースルをかわるがわる占拠していたため、議会派の洗濯物を届けにいくと、王党派が受け取ることもあったこと。でも、兵士たちはあまり、気にせず、大らかに敵の洗濯物を預かり、保管していたこと。
1653年頃は、スコットランド人のローダーデール公爵が囚人として、カースルに捕らわれていて、公爵の洗濯物は、絹の贅沢品で、大変気を付けて、洗濯をしたところ、その丁寧な仕上がりに、公爵が喜んでくれたと聞いたこと。
18世紀初頭は、カースルの役目は、防衛ではなく、ポートランドストーンをロンドンに運ぶ船を守る護衛の役割が主だったので、簡素な作りの護衛兵の制服を洗濯していたこと。
ナポレオン戦争が終わり、地元の名士、マニング氏がカースルに住むようになってからも、
家族の洗濯物を請け負って、その中には赤ちゃんの服や、子供たちの人形もあったこと。
第二次世界大戦中、Dデイの準備練習が、カースルで行われていたときは、米軍、英軍の大量の軍服の洗濯物が毎日あり、親戚総出で、洗濯し、目が回るような忙しさだったこと。
ファニーは、そんなカースルの歴史を繰り返し、繰り返し聞きながら育ちました。今もカースルに行くと、まるで自分の祖先の家にきているような、懐かしい気分になるのでした。
ラベンダー家は洗濯屋ではなく、いまはクリーニング店を営んでいます。もうカースルから洗濯物を請け負うことはありません。
ファニーは洗剤の香りを研究する仕事につき、祖先がまじめに取り組んできた洗濯に関係する仕事をしていることを、とても誇りに思っているのでした。

参考資料:「Portland Castle」English Heritage