ヒストリックハウス名:Haddon Hall (ハードンホール)
所在地域:イギリス、ダービーシャー
訪問:2019年6月30日、2019年10月24日
ハードンホールは、12世紀から建て始められ、時代を追って増築されてきました。

1567年までは、バーノン一族、1567年からはマナーズ一族のカントリーハウスです。1567年に持ち主の名前はかわっているものの、息子がいなかったバーノン家の当主ジョージ・バーノンから承継した一人娘のドロシーの夫がジョン・マナーズ。この結婚からマナーズ一族の家となるので、血脈としては12世紀からずっとバーノン一族(現在は断絶)の家ともいえるでしょう。
ハードンホールは、そこに立つと、まるで16世紀にきてしまったような、不思議な感覚に捉われる、そして、なんとなく懐かしく、落ち着く気持ちに自然になる場所です。創造力をかきたてられるこのハードンホールを舞台に小説、オペラ、映画がこれまで、いずれもフィクションで創られているのも、もっとも・・・と思えます。今回は、前述したドロシーのストーリーです。

Dorothy Vernon ドロシー・バーノン
(1545-1584)
ドロシーの子供時代の思い出は、すべてハードンの風景です。ダービーシャーだけでなく、広く近隣一帯の領主であった父親ジョージ・バーノンは、1年の半分以上をロンドンで過ごしていましたが、ドロシーは父に同行することは、ありませんでした。
300年以上前に建てられたハードンは、小高い丘の上に石壁にぐるりと囲まれて、悠然と建っています。丘の上の石壁から外にでると、広い庭がひろがり、そこからどこまでも続くダービーシャーの緑の丘や山々を、遠く見渡すことができます。兄弟姉妹のいないドロシーは、この庭でいつも1人、花を摘み、もの思いにふけって、時を過ごしていました。

ドロシーが生まれてから、イギリスの国王は、ヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス女王とめまぐるしく変わり、エリザベス女王が戴冠したのは、ドロシーが13歳の時でした。メアリー女王の時代は、プロテスタントの人々の処刑が続き、カトリックであるバーノン家は、メアリー女王から信頼される存在ではあったものの、殺伐とした空気は、世の中に行き渡り、父ジョージの表情も曇り勝ちでした。
そして、エリザベス女王となったとき、今度は、カトリックの人々はどうなるのだろうか、時代の空気を読まなくては、と皆が神経をすりへらす毎日でした。しかし、若いエリザベス女王は、プロテスタントもカトリックも温存という中道政治であるらしい、ということが徐々にわかってきて、エリザベス女王の時代が始まり7年経った今、みな少しほっ・・・としはじめているのでした。
ハードンでは、ドロシーの18歳の誕生日を祝う盛大な舞踏会が、1563年の夏の夜に開かれました。6月の夜9時頃、ダービーシャーでは、まだ明るさが残り、涼しい空気が流れます。グレートホールには、たくさんのガーラント(花飾り)がテーブルにかけられ、キジ、羊、鶏などの料理や果物、木の実、ワインがふんだんにテーブルに並びます。楽隊がにぎやかな音楽を奏で、人々は飽きることなくダンスを踊ります。グレートホールに入りきれない人々は、中庭で踊り、食べ、飲み、華やかな時を楽しんでいます。
このとき、29歳のジョン・マナーズ(1534-1611)は、舞踏会にきたものの、手持無沙汰にしていました。ダンスが得意でなく、気の利いた会話もできないジョンは、こういった舞踏会を苦手としていましたが、ダービーシャーの有力一族であるマナーズ家の息子として、参加しないわけにはいきませんでした。
中庭の人々の酔いが進みだし、あまりに騒がしくなってきたので、静けさを求めて、ジョンはグレート・ホールに入りました。そこで、グレートホールの左手にある上階のパーラーへと続く階段から、1人で静かに降りてきたドロシーとばったり出会います。ジョンは、ドロシーのことを子供時代から知っていましたが、ここ数年は会うこともなく、すっかりその存在を忘れていました。
階段から静かに降りてくるドロシーは、グレートホールのキャンドルの光を受けて、まるで女神のように、落ち着きと美しさにあふれ、ジョンはその輝きに、息をのみ、しばし我を忘れてしまうほどでした。

この後、ジョンはドロシーにプロポーズし、ドロシーはすぐに承諾するものの、ドロシーの父、ジョージが猛反対。しかし、ドロシーはジョンをあきらめることなく、2人は駆け落ちしてしまいます。しかし、駆け落ちした翌年、ジョージが心臓の病で急逝。ジョージが残した遺書には、もしものときは、ハードンはドロシーに遺すとありました。
駆け落ちしたジョンとドロシーは、ハードンに戻り、当主となります。そののち、ドロシーは、ハードンにロングギャラリーや、ステートアパートメントといった、一流のカントリーハウスに必要な部屋や設備を造り、館を整えます。ドロシーとの円満な家庭生活は、ジョンの政治にも好影響を与え、ジョンは、宮廷で活躍し、エリザベス女王から伯爵の地位を受けるまでになります。
ジョンとドロシーの子孫が、その後500年近く経った今に至っても、ハードンを承継し続けています。結婚を反対したジョージも、きっと、もう・・・許している頃でしょう。
映画「エリザベス」(1999年イギリス)でエリザベスが自身の即位を知らされる室内のシーンは、ハードンホールで撮影されています。実際はハットフィールドの庭で知らされたとされます。

参考資料:「Haddon Hall」Bakewell Derbyshire The Home of Lord Edward Manners