ヒストリックハウス名:Chatsworth チャッツワース

所在地域:イギリス、ダービーシャー

訪問:2017年3月27日、2019年10月24日

Georgiana, Duchess of Devonshire (1758-1806)

デボンシャー侯爵夫人ジョージアナ

チャッツワースは、イギリスのカントリーハウスを代表する館の1つです。

カントリーハウスといえば、チャッツワース、チャッツワースといえばカントリーハウスといった感じで、ダービーシャーというロンドンから遠く離れた場所にありますが、イングランドの多くの人に知られています。

チャッツワースは、代々キャベンディッシュ一族のカントリーハウスで、ロンドンの拠点としては、デボンシャーハウスがありました。(現在は売却)

ウィリアム・キャベンディッシュ(1505-1557)が、ヘンリー8世から、与えられた土地を売却し、チャッツワースの土地を購入。わざわざ土地を買い替えたのは、愛する22歳年下の妻、エリザベス(ハードウィックのベスと後に呼ばれる、以下ベス)の実家の近くに、館を建てるためでした。ベスについては、また別のストーリーで書きますので、楽しみにお待ちください。

ウィリアムとベスは、1552年に新しく館を建て始めましたが、現在の建物より、ずっと規模の小さな、レンガ造りのエリザベス様式の館でした。夫妻の次男ウィリアム(1552-1626)は、ジェイムズ1世(1566-1625)に重用され、デボンシャー伯爵位を与えられます。そのウィリアムの曾孫のウィリアム(1641-1707)は、ウィリアム3世を国王に迎えるときに活躍し、公爵位を与えられ、初代デボンシャー侯爵となります。この初代デボンシャー侯爵の時代に、館は、大規模に増改築され、現在の姿のおおもとと、なります。

その後、ほぼ直系子孫(第7代公爵は、第6代公爵の従弟の息子)で、現在の第12代侯爵まで、領地、館、爵位などが承継され、代々の各侯爵が、館や庭、パークランド(領地)にそれぞれ時代に合った変化を加えてきています。

この館の歴史にも、興味深い人物は、数々いますが、今回は、第5代侯爵の1人目の妻,デボンシャー侯爵夫人ジョージアナについて書きます。

ジョージアナは、初代スペンサー伯ジョン(1734-1783)の長女。ジョンは、ジョージ3世(1738-1820)が、信頼する“おとりまき”貴族の1人でした。ジョージ1世、2世の時代に議会に“お任せ”だった政治を取り戻し、自分が政治の主導権を握りたい若き王ジョージ3世(22歳で即位、ジョージ3世は、ジョージ2世の孫、ジョージ2世の長男・ジョージ3世の父親フレデリックは1751年に死亡)は、自分の味方となる貴族を、増やすという戦略を着々と実施。ジョージ3世の意向を機敏に読み取り、そつなく動くジョンは、宮廷、政治の舞台で、活躍する主要メンバーの1人でした。ジョージ3世の信頼を得て、右腕のような存在になり、ジョージ3世即位後1年で、伯爵にスピード叙爵されます。

ジョンは27歳で初代伯爵になり、宮廷、社交界のまさに“新進スター”。ジョージアナは、どんどん出世し、実力、財力を伸ばしていく飛ぶ鳥を落とす勢いの若い父親の長女として、なんの苦労もない「お嬢様」として、伸び伸びとスペンサー伯の館オルソープで育ちました。

ジョージアナの意志など、なにも関係なく、父親が決めたのが、第5代デボンシャー伯爵ウィリアム(1748-1811)とジョージアナの結婚でした。ウィリアムの父親第4代侯爵(1720-1764)は、短期間ではありましたがイギリス首相(1756年11月~1757年5月)を務め、チャッツワースを大規模に増改築、妻はバーリントン伯爵の女相続人シャーロット(1731-1754)で、数々の領地や館、そしてバーリントン爵位をキャベンディッシュ家にもたらしました。

しかし、ウィリアムの父、第4代侯爵は、44歳の若さで、母シャーロットは、ウィリアムが6歳の時、23歳で死亡。ウィリアムは、16歳で父母ともにいない状態で、第5代デボンシャー侯爵となり、数々の広大な領地と館の当主となります。

16歳で、侯爵となって10年。26歳のウィリアムの評判は、決して芳しいものではありませんでした。儀礼上のつきあいはあるものの、友人は殆どおらず、領地経営は、領地管理人に任せっきり。政治や学問への熱意もなく、ハンティングやレースも、声がかかれば参加するといった感じ。財力だけは揺るぎなく確か。先代侯爵にお世話になった人々が、善意から連絡をとっても礼儀知らずの態度。女性への冷酷非情な態度は、有名で、舞踏会では避けられる存在になりつつありました。そんなこんなで、周りは、つかず離れずの社交関係を続けていました。

ですから、ちょっと勘がよいお嬢様たちは、父親にウィリアムとの縁談をすすめられても、「チャッツワースには、お嫁にいきたいけど、ウィリアムだけは絶対イヤ!」とぴしゃりと断るのが、繰り返されており、その財力と地位に関わらず、ウィリアムの結婚は、なかなか決まりませんでした。

そこへ、目をつけたのが、スペンサー伯ジョン。社交界デビュー直前のジョージアナに、チャッツワースの素晴らしさや財力を、言葉巧みに話して聞かせ、社交界の皆が結婚したがっているが、なかなか釣り合う相手がいない、などと、自然な感じで、優しく話し聞かせるのでした。

まだ、16歳のジョージアナ。伯爵家、といっても、父親は初代伯爵、それもまだ10年そこそこです。それに比べ、5代も続いている侯爵家!にお嫁にいけるなんて!そして、チャッツワース、貴族のお嬢様たちの中では、館自体は、憧れの館。おとぎ話のように思えます。「侯爵夫人ジョージアナ」と私が、呼ばれるなんて!16歳の女の子には、まるで夢のように思えるのでした。

父親から見せられる肖像画のウィリアム、とびきりのハンサムではないけれど、男なんて、みな似たようなものだよ・・・と父親が優しく語るのを聞くと、もう、「結婚するしかないわ!」と・・・迷う気持ちなど、みじんもおきなかったのです。

Great Stairs

そして、ジョージアナは、17歳になる前日1774年6月6日に、ウィリアムと結婚。チャッツワースの侯爵夫人となりました。

しかし、ウィリアムは、ジョージアナになんの興味も示さず、「君は、ただ息子を産むためだけにきた。それ以上のなにものでも、ない。」と目を合わそうともしません。17歳のジョージアナは、何がおきているのかわからず、ただ淋しい毎日を送るだけでした。

ジョージアナには、なかなか子供が生まれず、ウィリアムとの仲は、冷え切ったものとなっていきます。気を紛らわせるために、その当時、大人気だったおしゃれな温泉リゾート、バースにたびたび行くうちに、ジョージアナは、貧乏貴族の夫人であるエリザベス・フォスターと気が合うところがあり、親友になります。

人を疑ったり、邪推したりすることを知らない性格のジョージアナは、エリザベスを夫ウィリアムに紹介します。そして、いつしか、エリザベスはウィリアムの愛人になってしまったのでした。

夫妻には、1783年に長女、1785年に次女、1790年に待望の長男ウィリアムが、誕生します。この3人の妊娠そして産後の間、エリザベスは、ずっとウィリアムの愛人でありつづけます。夫を亡くしたエリザベスは、ロンドンのデボンシャーハウスに、滞在し、その滞在は、だらだらと長引き、いつしかウィリアム、ジョージアナ、エリザベス、3人の同居生活となってしまったのでした。

しかし、エリザベスもさすがに、チャッツワースに来ることはなく、ジョージアナは、チャッツワースに来るときは、ほとんど1人。ウィリアムは、チャッツワースには、あまり興味をもっておらず、年に数週間しか過ごさないのでした。ジョージアナは、チャッツワースに1人で来ると、ほっと一息つき、ロンドンで自分がいかに神経をすり減らしているかに気付くのでした。

ジョージアナは、女性の権利運動など、政治活動の支援も活発に行い、自らも愛人(第2代グレイ伯爵チャールズ)を持ち、その愛人の子供を産むなど、ウィリアムの陰で、ただ泣いているのではなく、「我が道」を歩んでいました。

「我が道」を行っていても、日常には、いつも、自分に冷たいウィリアムと感情を表さない面もちで、そこにいつづけるエリザベスがいます。そんな生活でのイライラを紛らわせるように、ジョージアナは、社交生活にいそしみ、日々、意識がなくなるまで、強い酒を飲み続けるのでした。

ジョージアナは、49歳の若さで死去。ジョージアナの死後、ウィリアムは、エリザベスと結婚しますが、ジョージアナ死亡の5年後に63歳で死去します。

ウィリアムとジョージアナの唯1人の息子ウィリアム(1790-1858)第6代侯爵は、生涯独身でした。両親の複雑な結婚生活を見ながら、育った彼には、自然なことだったかもしれません。

ジョージアナは、映画「ある侯爵夫人の生涯」(The Duchess)2009年で、映画化され、キーラ・ナイトレイが美しく演じました。

また、同じキーラが主演の映画「プライドと偏見」2005年(原作は「高慢と偏見」)は、チャッワースで多くのシーンが撮影されています。余談ですが、「プライドと偏見」では、他5ヵ所以上のカントリーハウスで撮影がされており、それぞれの美しい場面が楽しめます。映画やドラマシリーズに登場するカントリーハウスについては、また別の回で、書きたいと思っています。

参考:「Your Guide to Chatsworth」Chatsworth