ヒストリックハウス名:Hardwick ハードウィック
所在地域:イギリス、ダービーシャー
訪問:2019年7月5日、2019年10月25日

Bess of Hardwick, Countess of Shrewsbury (1527-1608)
シュールズベリー伯爵夫人 ベス・オブ・ハードウィック
ハードウィックは、私が最も好きなハウスの1つです。それは、建てた人物の好みと性格が、ハウスの外観、内装にはっきりと反映されていて、ハウスから強いメッセージが伝わってきて、なおかつ限りなく、個性的な美しさを持っているからです。
ハードウィックというと、ガラス窓が特徴的なニューホールを一般的には指します。が、すぐ近くにオールドホールという別のハウスがあります。ニュー、オールド、と呼ばれていますが、二つは、ほぼ同時期に建てられました。オールドホールの方は、ベスが生まれたマナーハウスがあった場所に建てられたため、オールド、と呼ばれています。オールドホールは、現在は、廃墟で、通常は中に入れます。しかし、私が訪問した時には、廃墟の長期メンテナンス期間で、中に入ることは、残念ながらできませんでした。

ハードウィック、ニューとオールド、両方を自らの好みを100%反映して建てたのは、シュールズベリー伯爵夫人、ベス・オブ・ハードウィック(以下ベス)です。前回書いたチャッツワースを最初に建てた、エリザベス・キャベンディッシュと同一人物です。ベスは、エリザベスの愛称、ラストネームは、再婚後変わっています。
ベスの人生は、とても私の興味を惹くもので、ベスについては、後日、3部構成で書きますので、お楽しみに。
今回は、ニューホールを主に、次回は、オールドホールを主にご紹介します。
ニューホールは、その当時、超贅沢品であったガラスをふんだんに使った、きっちりと
左右対称の美しくも荘厳な造りです。そして、ハウスの頂には、ES(Elizabeth Shrewsbury)のイニシアルと伯爵夫人のコロネット(小冠)がどの方向から見てもわかるように、何か所にもつけられ、燦然と輝きます。
建築家は、ロバート・スマイソン、ノッティンガムのウォラトン・ホールを建てた人物で、ベスはウォラトンを見て、ロバートに頼むことを決めました。このハウスを建てる石材、木材、鉛、ガラスは、全てベスの領地で採掘され、加工されたものです。そんなところからも、ベスの才覚がわかります。
400年経った今でも、ハウスの頂にある「ES」は、「私、エリザベス・シュールズベリー伯爵夫人が、このハウスを建てました。」と、静かに語るのです。「私は、これだけのハウスを建てる財力と美意識の両方があるの。」とも聞こえます。しかし、ベスは、財力や人生力を周りに喧伝することが目的でなく、自分の子孫に、自分の経験や教訓を、長きに渡り、半永久的に伝えたかったのです。
ベスの人生は、4回の結婚を経て、貧しいジェントリーの娘から伯爵夫人まで上り詰めていく、ドラマティックかつ苦労に満ちたもので、ベスの才覚こそがその人生を切り拓きました。
ESと建物につけておけば、何百年たっても、いったい先祖のESさんとは、どんな人・・・と調べて、そしてその人生から、なにかを感じ取るであろう、と後世への贈り物として、ESをつけたのです。
ハウスの外観、広がるガーデンの造りは、ベスの几帳面かつ、美しいものにとても敏感であった感性を感じさせられます。そして、ハウスの内部は、工夫と演出に富んだ造り。ベスの機知やクリエイティブな才能が、ぞんぶんに発揮されています。
例えば、客人をもてなすメインの客間「ハイ・グレート・チェンバー」は、その当時にしては珍しく2階(日本の3階)に、造られています。そして、エントランスからその客間に、進んでいく道筋には、入念に計算されたドラマティックな展開「ベス劇場」が用意されているのです。
まず、前庭から高い天井のエントランスホールに入ると、先祖代々の武具が、高い位置から多数、吊り下げられています。少なからず、威嚇されたような気持ちになったあと、ゆるやかな階段へ進むと、その当時、贅沢品だった超大判のタペストリーが、広い階段の壁にまるで緞帳(どんちょう)のように掛けられ、一枚かと思えば、また一枚、とタペストリーは、延々と続き、自然と、いったい何枚、この超大判タペストリーをお持ちなの・・・と自問してしまいます。
タペストリーに目をうばわれながら、階段を昇るので、階段であることを忘れてしまう造りです。
そして、階段は、上がるにつれ、徐々に緩やかになり、ああ、昇ってくると、階段が楽になるように、配慮されているのね・・・と自然と思うように設計されています。
そして、これまでと違う、まるで舞台のセットかのような階段のカーブが突如、現れます。

カーブの先には、何があるのかしら・・・と期待を、抱かずにはいられないように設計された、そのカーブを曲がるとそこには、ハイ・グレート・チェンバー(大客間)の入り口があるのです。
入り口をはいると、数えきれないガラス窓(当時は、ガラスは大変な贅沢品)の先に、広大なダービーシャーのベスの領地の景色が果てしなく、広がるのです。ここで、目を見張らない人は、おそらくいなかったでしょう。16世紀半ば、高い建物は、珍しく、ガラス越に遠くまで見渡す・・・といった経験はできない時代でした。
エントランスから、2階(日本の3階)の客間まで、「ベス劇場」が続いているのです。
そして、我に返って、部屋をみると、窓以外の3方の壁には、すべて石膏彫刻がほどこされ、すばらしい彩色がされています。その石膏彫刻は、ギリシャ神話のオデュッセウスの物語。夫に貞淑であったオデュッセウスの妻ペネロペの物語は、ベスの人生の隠喩なのです。
「私の人生は、ペネロペにつながるものがありますから。」と、ここでベスは、自分のアピールを、壁面でしているのです。その石膏彫刻壁の見事なこと。客人は、ただ、ただ、圧倒され、ため息をつき、ダマスク織のテーブルクロスがかかったテーブルの席に着くのでした。
そして、ハイ・グレート・チェンバーをでると、当時、イギリス最大規模のロング・ギャラリーがあります。その広さ、長さ、天井の高さは、圧巻で後世の子孫である第6代デボンシャー侯爵(前回のチャッツワースで書いたジョージアナの生涯独身の息子)は、ここで犬のレースをしていたそうです。
ハードウィックは、子孫に受け継がれていきましたが、みなベスのオリジナルを大切にし、大きな変更を加えることはありませんでした。ハードウィックには、後世には、変化を加えさせない強い意志があるのです。
第11代デヴォンシャー侯爵は、相続税支払いのために、やむおえずハードウィックを手放しましたが、現在はナショナル・トラストが、ベスの時代を尊重して、管理しています。
私は、2度訪問しましたが、最初は、青空が美しい、花々が咲き乱れる夏の日で来訪客もたくさん。二度目は、傘の骨が折れたほど、強い雨風の晩秋で、殆ど人がいない日でした。
どちらの日も、美しいハードウィックでしたが、晩秋の日の訪問のほうが、ハードウィックにはマッチしていて、鮮烈な記憶として残っています。
映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」(Mary Queen of Scots)2018 年では、エリザベス1世の宮殿として、ハードウィックニューホールがロケ地になっています。
参考:「Hardwick」National Trust ,「Hardwick Old Hall」English Heritage