ヒストリックハウス名:ケニルワース

所在地域:イギリス、ウォーリックシャー

訪問:2017年3月26日

エリザベス1世の居間から眺める風景、向こうにみえるのは舞踏会が行われたグレートホール跡

Robert Dudley (1532/33-88)

レスター伯爵ロバート・ダドリー

イギリスの歴史に名を残した人物で、無理とわかっていても、どうしても本人に会ってみたい人物の1人が、このロバート・ダドリーです。

ロバートは、エリザベス1世(1533-1603)の寵臣で、政治的・軍事的にはさしたる手腕はありませんでしたが、女王の心を長年に渡り、強力に支え続けたということで歴史上、大きな意味がある人物といえます。

エリザベス1世は、ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブリーンの娘として1533年に生まれますが、ロバートも同じ年に生まれます。

ロバートの父、ジョン・ダドリー(1502-1553)は途方もない野心をもつ策略家でした。ヘンリー8世の前では大人しくしていたものの(父エドマンドはヘンリー7世の忠臣だったがヘンリー8世により処刑死)1547年にエドワード6世(1537-1553)が少年王として即位すると、その野心がにわかに動き出します。まずは王に迫り、ウォーリック伯位を手にいれます。そしてエドワード6世が病弱で弱っていくときに自分の4男ギルフォード(1535-1554)とジェイン・グレイ(1537-1554、ヘンリー7世の曾孫)を結婚させ、エドワード6世没後にジェインを王位につけるクーデターを策します。ジェインにも王位継承権はあったものの、ヘンリー8世の娘メアリー(1516-1558)の継承が優位にありました。

このジョン・ダドリーの策略は失敗に終わり、ジョン、ジェイン・グレイ、ギルフォードはロンドン塔で処刑されます。ロバートは、ギルフォードの一つ違いの兄で、半年間ロンドン塔に幽閉されたものの、メアリー女王の恩赦で解放されます。このロンドン塔幽閉時に、ジョンは同じく幽閉されていた同い年のエリザベスと、仲良くなります。

エリザベスは女王となったメアリー女王が最も憎むアン・ブリーン(ヘンリー8世の1人目の妻キャサリン・オブ・アラゴンがメアリーの母親。アン・ブリーンがヘンリー8世に近づいたことからキャサリンは離婚されて幽閉の末、病死。)の娘で、メアリーはエリザベスに対して常に警戒しており、このときエリザべスはメアリー廃位の計画嫌疑で幽閉されていました。

男子を熱望していたヘンリー8世は、エリザベスが生まれたとき大きく落胆、まさにエリザベスは生まれたその時から受難の道を歩んできました。実母の処刑、ヘンリー8世はその後4人の妻と次々と結婚、父の死、異母弟エドワードの戴冠、病死、異母姉メアリーの戴冠、

プロテスタントとカトリックの終わりなき反目・・・国家レベル、家族レベルの全てのことにエリザベスはいつも命の危険を感じハラハラせざるおえない立場にいました。

ロンドン塔に収監されていたエリザベス、ロバートは、共に20歳。将来への希望とエネルギーに溢れながらも、世の中の恐ろしさ、自分の将来の不安定さに怯え、これらはエリザベスとロバートにぴったりと共通するのでした。

父は策略家でしたが3男のロバートは、どこかおっとりとした、人を安心させる気質の持ち主でした。そして、183センチのスラリとした長身で脚が長く、細身ながら、ひきしまった筋肉質の身体。剣術に長ける人によくある、無駄な動きのない、美しく堂々とした立ち振る舞いもロバートの魅力でした。

ロバートは、兄たちと一緒に家庭教師の丁寧な教育を受けており、神話や詩作をよく知り、またそれらを会話に実に自然に織り込むので、会話をしている人をなにかとても特別な神秘的な気分にさせるのでした。

ハンサム好きで知的なエリザベスは、幽閉中、ロバートと話すのが唯一、心休まる時間でした。2人が幽閉されていたのは、半年ほどでしたが、この時の二人の時間は、エリザベスとロバートの一生を通しての関係の礎となりました。

ロバートは、エリザベスに話しませんでしたが、実は17歳の時にノーフォークの大地主の女相続人エイミー・ロブサートと結婚していました。父親ジョンが取り決めた結婚ではありましたが、ロバートはエミリーのことを妻として愛しており、子供はいなかったものの特段の不満はありませんでした。また三男であるロバートは父から相続できる財産は無く、エイミーとの結婚で得た所領からの収入は、宮廷に出入りする対面を保つには欠かせないものでもありました。

王家に生まれたエリザベスは、美人ではないものの、独特の威厳のある美しさ、そして知性が魅力の女性でした。またその威厳あるエリザベスが自分に心を許していることに、ロバートの自尊心は大きく満たされて幸せを感じ、また同時にエリザベスが女王になったら・・・と考えてしまうのは、自制心の弱いロバートにとっては抑えがたいことでした。

ロバートは妻がある身でありながらも、エリザベスと自分が特別な関係に発展していけることを確信し、若者独特の思慮のなさ、ロバートが生来もつ無責任な楽観からエイミーとの結婚のことは、いずれ何とかなると深く考えないことにしてしまったのです。

1558年メアリー女王が亡くなり、エリザベスは25歳で女王となります。

エリザベスは、すぐにロバートを主馬頭という女王側近の中でも格別に高い地位につけ、ロバートはエリザベスの第一の寵臣として常にエリザベスと共に行動し、ほぼ毎日のように2人で馬の遠乗りにでかけ、恋人のような日々を送ります。

しかし、エリザベスはある日、ロバートに妻がいることを他の廷臣から告げられ、驚愕します。ロバートに事実を問いただしたところ、口ごもるロバートにエリザベスは激怒、しばしロバートを自分から遠ざけます。

しかし、ロバートの姿を見るにつけ、ロバートと話したい激情にかられ、行き場のない怒りと愛情にエリザベスは悶々とした日々を送ります。側近の秘書長官ウィリアム・セシルはこのエリザベスの情緒不安定にうまく対処して、エリザベスをスコットランドに出兵させるなど重要政務を次々にエリザベスに提案し、エリザベスの実績づくりをしつつ、ロバートを忘れさせようとします。

そんななか1560年にロバートの妻、エミリーが自宅の館で階段から転落して死亡するという不審な事件が起き、ロバートの犯行が噂されたことから、実質的にこの事件をもってエリザベスとロバートの結婚は、不可能となります。

そんな衝撃的な事件も、時が経つとともに人々の記憶から薄れていきます。若く野心溢れるロバートはエリザベスへのアプローチをあきらめることなく、機会を見つけては、「私にはあなたしか見えません」というようなことを囁き続けるのでした。

エリザベスは、対スペイン戦での活躍を理由に1564年にロバートをレスター伯爵に叙し、王室領のなかでも広大かつ壮麗なケニルワースをロバートに与えます。この頃にはエリザベスとロバートの関係は、結婚は無理だが、恋人は続けたいというお互いの暗黙の理解のもと、妙なバランスを保って安定して続いていました。

ロバートは、エリザベスから与えられたケニルワースに、エリザベスを迎えるために

最高の設備を整えた新しいレスター棟の建築を始めます。4階建てのこの新棟には

エリザベスのベッドルーム、居間、応接間、ギャラリー、女官用ベッドルーム、荷物室が

配置され、エリザベスが滞在する各部屋には、その当時、流行の最先端をいく大きな窓が設計され、当時贅沢品であったガラスがふんだんに付けられました。

3階にあるエリザベスの居間の大きな窓からは、ケニルワースの歴史ある建物とともに、どこまでも広がるケニルワースの領地が臨め、また夜には星空が広がり、解放感のあるマンチックな雰囲気を醸し出すのです。

ロバートは、この部屋でエリザベスがこれまでにない解放感を感じて、外交や政治のさまざまなしがらみから解き放たれた新しい心持になり、ロバートとの結婚を決断するだろうと目論んだのです。

そして、レスター棟が完成し、1572年エリザベスはちょっと寄ってみようかしら、という感じを装って国内巡幸の折、ケニルワースに立ち寄ります。自分のために建てたというレスター棟を見て、エリザベスはロバートがまだ「本気の恋心」を持っていることを直感し、そして自分がロバートを決して忘れられないことを確認します。

エリザベスは、この時39歳。当時の感覚ではもう老境に入ろうという頃ですが、エリザベスはまだ気持ちが若く、自信に満ちていました。しかし、これ以上年齢を重ねていったとき、果たしてロバートは自分にどのような気持ちになるのか。老婆になったら、きっともう見向きもしないのではないか・・・。

女王でありながらも、ロバートに好かれていたい、崇められていたい・・・という気持ちは常に変わることなく、結婚という選択肢がにわかにエリザベスの心を占めるようになります。そして、エリザベスは自分の気持ちに整理をつけるために、ケニルワースでの長期滞在を決め、ロバートは狂喜します。

こうして1575年7月9日から19日間にも及ぶエリザベスのケニルワース滞在が決まりました。エリザベスは42歳、まだまだ体力、気力ともに十分にあり、自分で乗馬してケニルワースまでやってきました。

エリザベスの19日間のケニルワース滞在は、国家的イベントとなります。ロバートとエリザベスとの結婚は間違いなし、といった感じでおめでたいイベントとして、国中からあらゆる商人、貴族や見物人がケニルワース周辺に集まり、エリザベスが来る1ヵ月ほど前から大変な騒ぎとなりました。

ロバートは、湖に舟を浮かべて行う大がかりな歴史劇、庭園で妖精に扮した役者たちがエリザベスを称える歌を歌う、花火や松明のパフォーマンス、趣向を凝らした狩りや舞踏会などで、知的センスが溢れる演出を行い、エリザベスを喜ばせます。

ロバート自身は、全身を白で統一した軍服や、黒に深紅をあしらった夜会服、洗練されたデザインの帽子とコーディネートした狩猟ウェアなど、女性陣が目を見張り息をのむような服装で、エリザベスをエスコート。

エリザベスはロバートの容姿のすばらしさに改めて嘆息し、「どうしたら、この男をあきらめられるのか、女王の自分はどうするべきなのか」と何度も自問自答してしまうのでした。

いよいよ最後の晩、グレートホールでの舞踏会。楽団が演奏する中、エリザベスはロバートとダンスを何時間も続けて踊り、心地よい疲労を感じて、自分の居間に戻ります。

エリザベスは、広い窓から降るような星空を眺め、大きくため息をつきます。

「もうこれで満足だわ。結婚する必要などない。結婚はものごとを複雑にする。」と呟き、穏やかな眠りにつきました。

エリザベスは、ロバートと過ごす時間が好きで、見目麗しいロバートを見るのも好きでした。

しかし、エイミーと結婚していることを自分に明かさなかった事実は、何年経ってもロバートへの信頼をどうしようもなく妨げ、信頼できない相手との結婚は、女王エリザベスにはありえないことでした。

ケニルワースでの19日間の滞在は終わりました。エリザベスの臣下の館での滞在で

19日間は最長で歴史に残る滞在となりました。

このあと、エリザベスとロバートは距離をおいた関係となります。

ロバートはエリザベスに僕にはあなたしかいません、というそぶりを続けながらも、エセックス伯未亡人のレティスと1578年に秘密結婚。またしてもエリザベスを激怒させます。

1588年ロバートは55歳で病死。亡くなる直前に、エリザベスに思いを綴った手紙を震える手で、したためました。ロバートの死亡を聞いたエリザベスは、呆然自失となり、しばらく口をきくことができませんでした。

エリザベスはこの手紙を宝箱にいれ、数えきれないくらい読み返し、70歳で亡くなるときもこの手紙をそばに置いていました。

エリザベスはロバートの死亡後、33年下のエセックス伯ロバート・デヴァリュー(ロバート・ダドリーの実子という説もある)を愛人にしますが、のちに反逆罪で処刑しています。エセックス伯を相当可愛がっていたようではありますが、ロバートの代わりにはなり得ず、またロバート・ダドリー以上に自制心がないエセックス伯がエリザベスに対して傲慢な態度にでるようになったことに、エリザベスは心が冷め嫌気がさしました。

エリザベスにとっては、ロバートはずっと唯一の恋人であり一番の親友でした。老境に入ったころロバートが結婚を隠していたことなどは、もうどうでもよくなっていました。ロバートという人物がいたこと、ロバートと自分が一緒だった時間が、ただ懐かしく思い出されるだけなのです。

機嫌がよいとき、エリザベスは、ロバートを「スウィート・ロブ」と呼んでいました。ロブがひざまずいて、黒い澄んだ目で自分を見つめ微笑む、自分の手をとり指先に力を込めてくる、その瞬間がたまらなく好きでした。

ケニルワースの滞在は、エリザベスの数少ない甘く楽しい思い出で、ロバートから贈られたケニルワースの館を描いた絵を見るとき、ロバートがエリザベスに与えた華やかな甘い心地よい気持ちを思い出すのでした。

※実話に基づいたストーリーです。

参考:「Kenilworth Castle」English Heritage、「英国王室史話」森譲

エリザベスとロバートが狩を楽しんだ領地を、今はフットパスで歩ける
左の建物が、エリザベスのために建てられたレスター棟、ロマンチックな窓も朽ちてしまった。
賓客を迎えたステートアパートメントもすっかり廃墟に。