
ヒストリックハウス名:スタッドリー・ロイヤル
所在地域:イギリス、ノースヨークシャー
訪問:2019年4月21日
John Aislabie (1670-1742)
ジョン・アイズラビー
ヘンリー8世によって廃院になったファウンテンズ・アビー(別記事参照)がある領地は1597年にジェームズ一世に叙勲されたステファン・プロテクターにより購入され、1627年にはジョン・メッセンジャーに売却されます。一方隣接する広大なスタッドリー・ロイヤル領地は、17世紀初にウィリアム・マロリーが購入し、それ以来マロリー一族が所有し、結婚でアイズラビー家所有に移ります。
代々、ファンテンズ・アビーをもつ一族とスタッドリー・ロイヤルをもつ一族は折り合い
が悪く、互いにいがみあい、暗殺さえ企てたこともあったようです。
今回は、世界遺産となったスタッドリー・ロイヤルの庭園を開発したジョン・アイズラビーをご紹介します。
ジョンの父親ジョージ・アイズラビー(1617-1674)は45歳でマロリー家の女相続人メアリーと結婚。ジョンは農家の息子でしたが法務官としてキャリアを積み、勤勉実直な人柄
がメアリーの父の目にとまり、結婚となりました。13年の結婚生活で11人の子供が生まれ
ます。しかしジョージは57歳の時、決闘で負った傷が元で死亡。ジョンはまだ4歳でした。
兄二人が若くして死亡したため、1693年ジョンは23歳で、スタッドリーの主となります。同時にジョンは政治家になり、下院議員、リポンの市長と若くして成功を収め政界でのキャリアを積んでいきます。一方、私生活では、1701年にロンドンの家が火事になり、妻と赤ちゃんの娘を亡くすという不幸に見舞われますが、長男ウィリアムは窓から放り出され一命を取り留めます。
父親譲りの温厚実直な性格、父方の親族の影響からか質実な生活を好むジョンは地域の人々の信頼も厚く政治家として順調にキャリアを積み、大蔵大臣まで上りつめます。
が、ここで時代の不運に打ちのめされます。
1711年に設立された南海会社(The South Sea Company) はイギリスの財政危機を救うための国債発行の引受会社として設立され、本来は貿易で得る利潤によりその国債購入費用を賄うとされていましたが、スペインとの関係悪化、海南事故などでそれがかなわず、国債引受と株式発行と売却を組み合わせて、実態のないバブル取引を繰り返していました。
ジョンは、国王ジョージ一世(1660-1727)の南海会社株式の運用責任者でしたが、1720年にバブルが弾け(南海泡沫事件)、国王の資産に大きな損害を与えたことから罪人とされ、ロンドン塔に収監されてしまいます。2年後に保釈金を払い釈放、この時ジョンは52歳になっていました。以降、ジョンは公職につくことを禁じられ、実質的に政界追放となりました。
ジョンは、スタッドリーの家に戻り暖炉の火を見ながら思うのでした。
「政治の世界での成功なんて、結局、瞬間的なものだ。そして、その瞬間すら本当の成功ではない実体のない幻想的なものだ。私は30年もあの世界での成功に満足し、何かを成し遂げている気になっていたが、なんの悪意もないのに罪人に追い込まれ、追放だ。これまで国のため、地域のために貢献したいという一心で尽くしてきたのに…実体のないものは、もうたくさんだ!私は、人々が感嘆する、心底から美しいと思うものを造りたい。それは、庭園だ。後世の人々が見て心が動かされるそんな、恒久的な風景を創るのだ。美しい風景を見れば、心が和み、豊かになり、おのずと人々は幸せの意味を考える。それこそが、私が人々に真に貢献できることだ!」
ジョンがこれまで政界でのキャリアに注いでいたエネルギーは、これ以降、スタッドリーの庭園開発に向けられます。
庭園開発は、まず庭に相応しい平地にならすことから始められました。手付かずで放置されていた自然そのままのスケル峡谷は、起伏が激しい土地で、100人以上の人夫を雇い平地に整えられました。そして、湾曲する自然の川の流れを変えて導き、直線に伸びる水路、風景が映り込む鏡のような半円の池を造ります。庭の遊歩道は、歩く人が見る景観のインパクトを最大化するために、イチイの生垣を随所に設け、生垣をぬけると感動的な眺めが目に飛び込んでくるといった工夫が凝らされています。
中でも、ファウンテンズ・アビーを遠く離れた高台から、池と水路を挟んで見るダイナミックな遠景は素晴らしく、ジョンのこだわりがじんわりと伝わってきます。ジョンは、アビーも含めての庭園開発を夢見ていて、アビーの持ち主メッセンジャー家に何度も売却交渉をしますが、不成功に終わっています。
アビーの寂れた風情と木々の溢れる生命力の組み合わせに、ジョンはいつも見惚れていました。1742年に72歳で死亡するその時、ジョンは「スタッドリー庭園が永遠に将来の人たちに残されるように…」と祈りました。
ジョンが死亡した後は、息子のウィリアム・アイズラビーが庭園開発を引き継ぎ、1767年に財政難に陥ったメッセンジャー家からアビーを購入することについに成功。
ウィリアムは、ヘンリー8世の強制廃院後、200年放置されていて荒れ放題だったアビーを
調え、庭園のハイライトとします。
こうして、ファウンテンズ・アビーとスタッドリー・ロイヤルは一体化され、1986年に
世界遺産の認定を受けます。ジョンの願いは244年後に具体的に叶えられたと言えるのでは
ないでしょうか。
私が訪れたときはイースターの休日、雲一つない晴天でたくさんの人々がピクニックに訪れていました。スタッドリーの庭園のその広さといったら!森林の中を歩いているのですが常に水路、池との調和がとれた情景があり、そして所々、劇的な景観が開ける。そして遠くにファンテンズ・アビーを臨む高台に立つと、もう他のことは忘れてしまう、そんな心が開放される感覚に満たされるのでした。
参考:「Fountains Abbey and Studley Royal」National Trust
※実話に基づいたストーリーです。

