ヒストリックハウス名:ノッテインガム・カースル

所在地域:イギリス、ノッティンガムシャー

訪問:2017年3月29 日

1st Earl of  March Roger Mortimer  (1287-1330)

初代マーチ伯ロジャー・モーティマー

ノッテインガム・カースルの歴史を眺めると「争乱の拠点」、さらに突き詰めると「負の拠点」と表現したくなる城です。

ウィリアム征服王が、1068年にノッテインガムの砂岩の丘に築いて以来、ノッティンガム・カースルは王家の中部拠点の一つでした。今回は、このノッティンガム・カースルのいくつかの負の歴史の中でも特に目立つ人物、ベッドルームで襲撃逮捕され死刑になった王妃の愛人、初代マーチ伯ロジャー・モーティマーをご紹介します。

ロジャーは、1287年に、父・第2代モーティマー男爵エドマンド・モーティマーと母マーガレットの間に生まれます。14歳でジョアン・ド・ジェネヴィルと結婚した際にラドロー城はじめウェールズ国境地帯の土地を多数相続します。17歳で父がウェールズで戦死したため、エドワード1世の意向でエドワード皇太子(1284-即位1307-1327のちのエドワード2世)の側近ピアーズ・ギャヴィストンがロジャーの後見人になります。

このピアーズ・ギャヴィストンはエドワード皇太子の親友を超えた存在で、エドワード皇太子はギャヴィストンがいないとオロオロしてしまうほど頼り切りで、しかもギャヴィストンは享楽退廃、破壊的な性格。皇太子はことあるごとに悪影響を受け、国王エドワード1世(1239-即位1272-1307)にとっては頭痛の種でした。

例えば、スコットランドとの戦いの前線で兵士が大勢負傷している中、エドワード皇太子とギャヴィスタンは戦場に持ってきた多数のコスプレ衣装で「コスプレごっこ」に興じたり、上位貴族の前で本人を茶化すような冗談を二人で言い合って笑い転げるなど、周りの怒りを買う言動を続け、人々はギャヴィスタンへの相当な怒りと怨みを蓄積していきます。

一方、ロジャーは戦場での活躍、宮廷での誠実な言動を見込まれ、1306年19歳で、ウェストミンスター寺院において、エドワード1世により騎士に叙任されます。このとき67歳のエドワード1世は、頼りにならない皇太子エドワードの側に一人でも多く信頼のおける若い騎士を配しておきたく、日々、叙任が続いていました。スコットランドとの戦いで恐れを知らず立ち向かっていたロジャーは勇気ある騎士としてエドワード1世から認められ、将来を特に嘱望されていました。

翌1307年、エドワード1世は死去、エドワード皇太子がエドワード2世として即位します。

エドワード2世は1314年にバノックバーンの戦いでスコットランドに大敗、もともと不人気でしたが、この大敗で貴族たちの国王への怒りが噴出、その矛先はギャヴィスタンへ向かいます。永久追放しても、いつの間にかまた国王の側に戻ってくるギャヴィスタンへの怒りは頂点に達し、1315年ギャヴィスタンはウォーリック城でウォーリック伯、ランカスター伯、アランデル伯によって殺害されます。

エドワード2世は激怒するものの、実力貴族らの手による殺害とあってどうすることもできず、また皇太子エドワードが誕生するという慶事があり時は流れます。

ギャヴィスタン死亡の翌年1316年、29歳のロジャーはアイルランド総督に任命され、スコットランドとの戦いに健闘。1319年にはイングランドで最高法官に任命され32歳で宮廷トップの一人となリました。

この頃、同性愛傾向が強いエドワード2世と王妃イザベル・オブ・フランス(1292-1358)の仲は、冷え切っており、エドワード2世は人前で王妃を侮辱することさえありました。かねてから自分を軽んじ、ギャヴィスタンを寵愛するエドワードに怨みを募らせていたイザベル。頼れる軍人を探していた彼女は若くして宮廷のトップメンバーとなり、軍事に精通、人脈広く、美麗ではないものの騎士特有の壮健さ、誠実さに溢れたロジャーに目をつけます。

ある秋の夕暮れ、イザベルはエドワード2世に「私に近づくな、そちのことなど見たくもない」と冷たく言われ、ノッティンガム・カースルの閑散とした庭を女官とそぞろ歩いていました。イザベルは怒りが体に満ちてくるのを感じていました。王妃として妻として、そして皇太子の母として、自分は責務を果たしているのに、なぜこんな扱いを受けるのかと。

イザベルは、フランス王家の王女、大切にされること敬われることは、彼女にとってはなくてはならない生きていくベースとなるものでした。

事前にイザベルの指示で女官から呼ばれていたロジャーが、庭の大木の陰に立っていると、偶然を装ってイザベルがその前を通ります。そこでイザベルはロジャーに「ロジャー、私をひっそりと見守ってくれてありがとう・・・この国のこともどうぞ守ってください」と囁き、ロジャーの手を取りました。ロジャー35歳、イザベルは30歳でした。

政治の中心にいたロジャーですが、ヒュー・ル・デスペンサーがエドワード2世に取り入り政治を牛耳ることに成功すると、ロジャーは反デスペンサー派とみなされロンドン塔に収監されてしまいます。

ロジャーは、イザベルの手配でロンドン塔からの脱走に成功し、パリへ亡命。パリで反ディスペンサー陣営で集まっているところに合流。そしてイザベルは1322年に即位した新フランス王シャルル4世(イザベルの兄)への挨拶を口実に1325年、パリへやってきます。

ロジャーはこの頃には、王妃イザベルの愛人となっており、イザベルはロジャーの軍事力を使っての国王エドワード2世の廃位、息子エドワード皇太子即位を画策し始めていたのです。

イザベルはしばらくして皇太子エドワードをフランスへ呼び寄せることに成功。イザベルはエドワード2世を操るヒュー・ル・デスペンサーの追放を要求し、追放しないと皇太子共々、帰国しないと王に伝えます。

これは、ロジャーと共にクーデターを起こす、いわば「口実」、目論見どうりオロオロし、デスペンサーをどうしようもできない王の動きを見て、1326年イザベルはロジャーに軍を編成させイングランドに攻め入ります。大半の貴族は、軍組織をもつロジャーに味方し、エドワードに従う国軍の兵もおらず、精鋭の兵で編成したロジャーの軍は、エドワードとデスペンサーをあっという間にウェールズ国境まで追い詰め、エドワードは降伏します。

1327年1月にエドワード2世の廃位決定、15歳の皇太子エドワードがエドワード3世として即位します。退位したエドワードはイザベラの指示のもと、この年のうちに密かに殺害されました。

35歳のイザベラは、自分を軽視、侮辱し続けたエドワードの死を心から喜び、傍にいるロジャーを満足気に見つめました。「ロジャーを見込んだのは、間違いではなかったわ。ロジャーはよくやってくれたわ。エド(エドワード3世)が一人前になるまで、ロジャーが頼りだわ」と微笑むのでした。

ロジャーは、イザベラの提案で1328年41歳でマーチ伯爵に叙爵されます。

15歳で即位したエドワード3世は、日々、心身共に成長します。生まれ持った聡明さ、冷静さがあり衝動的に行動するのではなく、長期的に計画し、人心を踏まえて慎重に行動する人物でした。

1330年3月ロジャーを国王摂政、伯爵にしただけでは、権力の集中が不十分と感じたイザベルは次の行動にでます。ことあるごとに、意見してくるエドワード3世の伯父ケント伯をすでに死亡している先王救出、復位計画の反逆罪でエドワード3世に無断で、ロジャーに処刑させたのです。

18歳になっていたエドワード3世は、身内に濡れ衣を着せた無断処刑に激怒。かねてから国王の自分を蔑ろにし、宮廷を牛耳るロジャーと母イザベルの処分の機会を窺っていて、これ以上の我慢は必要なしと即決します。

同年1330年11月、ノッティンガム・カースルが建つ砂岩の丘の麓からカースルの「王妃のベットルーム」へと通じるトンネルが、掘られ始めます。ロジャーの軍に漏れる前に、ロジャーを逮捕する必要があるため、計画は急を要します。柔らかな砂岩は、掘り進むのも早く、エドワード3世の勅命の元、昼夜を通して掘り進められトンネルがついに夜半、王妃のベットルームの壁まで通じます。

大きな音をたてて、ベッドルームの壁が崩れると、大勢の軍人がベッドルームになだれ込み、ベッドにいて慌てふためくロジャーとイザベラを捕らえました。

ロジャーとイザベラは、寝間着、裸足のままトンネルから外へ引きずり出され、

ロジャーは、すぐさま極刑となり、領地と爵位は剥奪されました。イザベラは、死亡するまで28年間、一度も外へ出ることなくあちこちの城で幽閉されました。

エドワード2世の愚行がイザベラの復讐を呼び、ロジャーが手段となり、息子エドワード3世が正した、という流れです。

ロジャーに全く野心がなかったとは思いませんが、イザベラのエドワードへの自分を軽んじたことへの蓄積された憎しみと怒りのエネルギーが沸騰しクーデターを産んだと私は思います。ある意味、ロジャーは被害者と言えるのではないかと・・・。

興味深いことに、ロジャーは極刑になり領地、爵位を剥奪されましたが、エドワード3世は、孫のロジャー・モーティマー(1328-1360)に領地、爵位を復活させます。そして極刑になったロジャーの玄孫第4代マーチ伯ロジャー・モーティマー(1374-1398)は、エドワード3世の三男の娘が母親であったことからリチャード2世により王位後継者に指名され、またこの第4代マーチ伯ロジャーの曾孫が国王エドワード4世となり、さらにエドワード4世の娘エリザベスはヘンリー7世と結婚したことから、現在のエリザベス2世女王陛下まで、その血脈は延々繋がっているのです。

エリザベス2世女王陛下の先祖が、ノッティンガム城のトンネルから寝間着、裸足で引きずり出されていた・・・と考えるとイギリス王室の奥行きの深さというか、懐の深さというか、歴史に対する寛容さというか、さまざまな深さが感じられます。

ロジャーが引きずり出されたトンネル「モーティマー・ホール」は、ガイドつきツアーでのみ見学することができます。本業は役者というガイドのドラマティックな説明を聞きながら、真っ暗なトンネルを見学、結構長くて足元も悪く、ロジャーが連行された時の恐怖の時間を追体験しました。

しかし、母と母の愛人をトンネル掘って捕らえてしまうエドワード3世の実行力も

モーティマーホール出口から戻ろうとするガイドさん

すごいと感服いたします。祖父エドワード1世と母イザベラのアグレッシブな遺伝子かと思わずにいられません。

次回は、ノッティンガム・カースル「負の拠点」後編となります。後に続くノッティンガム・カースル起点のストーリーをご紹介します。お楽しみに!

史実に基づいたストーリーです。

参考:「英国王室史話」森護、Nottingham Castle website