ヒストリックハウス名:コンプトンハウス
所在地域:イギリス、サマセット
訪問:2019年9月4日

Dear Patricia,
I am delighted to write about your Compton House based on the history you told me and given to me. It was such a wonderful stay at your place and I enjoyed your house tour and your intelligent talk. Huge thanks for your warm hospitality for me. Best,
Thomas Prowse (1677-1767)
トーマス・プローズ
コンプトンハウスは、サマセットの小さな町、中世の趣きが色濃く残るアクスブリッジの外れにあります。アクスブリッジの人口は今では2,000人余りですが、16世紀テューダー時代までは布地の生産交易地として栄えた賑やかな町でした。王室との関係も古く、ジョン王のハンティング・ロッジは今も博物館として残っています。

このアクスブリッジでチャールズ2世王政復古の時代から、ジョージ3世の時代までおよそ90年間を生きたのが、コンプトンハウスを今の姿にしたトーマス・プローズです。
トーマスが生まれたコンプトンハウスは、祖父が17世紀初めに購入した土地にあります。祖父は、周辺ウェルズ地域の土地の買い増しに成功し、農場経営を大きく広げました。トーマスの父も近隣チェダーでの牧畜に経営を広げ、プローズ一家は富裕な農家となりました。
トーマスはそんな富裕なプローズ家の長男として、1677年11月にコンプトンハウスで生まれます。農場経営は一年中休みがなく、クリスマスは農場で働く人たちと盛大に祝うので、トーマスの洗礼式は1678年1月1日に行われました。
トーマスが子供時代を過ごしたコンプトンハウスは、テューダー時代に建てられたまま、改築をしておらず、石造の壁の窓には、ガラスがなく木の扉。木の床はあちらこちらが反って割れていて、冬の隙間風は耐え難いほど冷たいのでした。
もっとこの家は、住みやすくならないものか・・・幼い頃からトーマスは家に対して、強く興味を持つようになりました。アクスブリッジの中心にあるジョン王のハンティング・ロッジ、聖ジョン教会を見るたびに、立派な建築物は何度でも繰り返し感動を人に与えるなあと、感心するのでした。

田舎の富裕な農家の長男として、トーマスは苦労なく育ち父の死後、コンプトンハウスと農業経営を引き継ぎます。トーマスは、カントリージェントルマンとして、地域の福祉や教育に尽力し、人々との信頼を築いていきます。
そして、アクスブリッジのみならずサマセット、ドーセットと広い地域の人々と社交を持つようになりますが、人を招くためには、もっと設備が整った快適な家が必要であることを痛感し、コンプトンハウスの改築にかかります。
コンプトン・ハウスの古くからある梁や石壁を活かしながらも、その時代に好まれた建築要素をふんだんに取り入れます。
多くのガラスを嵌め込んだ枠付き窓、クリノリン階段(ドレス姿で階段を無理なく昇降できるよう階段の幅が広く造られている、クリノリンとはドレスのスカートを大きく膨らませるためのスカート内の骨組み)、オーク材の床や扉、壁全面のパネリング、飾り付き暖炉、イタリア風に開放した南面、フラッグストーンを敷き詰めたテラス・・・これらの最新流行を取り入れて改築されたコンプトントンハウスは、見違えるように美しく快適に生まれ変わり、小さめながらも最先端のデザインの家として、多くの客でいつも賑わうようになります。

訪れる客の中には、建築家や芸術家も少なくなく、リバイバル・ゴシック建築でよく知られるサンダーソン・ミラー(1716-1780)もコンプトンハウスをよく訪れ、トーマスと建築談義を楽しみました。
農場経営を安定して行い、地域に貢献し名士となったトーマスは地域の保安官を5回務めたのち、サマセット代表下院議員となり、ロンドンとコンプトンハウスを行き来する生活となります。地域とロンドンを結ぶ役目は、62歳から90歳で死亡するまで続き、いかにトーマスがアクスブリッジのみならず、サマセット全域から頼りにされていたかがわかります。
今でこそ、90歳の人は珍しくありませんが、17世紀中盤では稀。昔のことをよく知る経験豊かなトーマスを訪ねて、多くの人々がコンプトンハウスにやってきて、居心地の良いドローイングルームで色々な相談をしていたことでしょう。


トーマスの死後、コンプトンハウスは、フライファミリーが購入し、数10年前までフライファミリーの子孫が住んでいました。
今は、パトリシアというマダムがオーナーで、猫2匹と共にB&Bを営んでおられます。私は3泊したのですが、最初2泊は私一人だったので、パトリシアがハウスの歴史について丁寧に話をしてくれ、色々な部屋を見せてくれました。
改築、増築を繰り返した影響で、こんなところに?というところに階段があり、部屋と部屋が繋がっていたりして、忍者屋敷のような面白さもありました。
パトリシア(おそらく70代)がなぜ、ロンドンからここに移ったのか、そしてそれからの彼女の人生についても静かに話してくれました。じっと聞き入りコンプトンハウスでの時の流れに感じ入りました。
パトリシアが数十年前にハウスを購入したときには、ハウスは空っぽで家具は何もなかったそうです。しかしハウスの中は、まるでハウスと一緒に数百年を過ごしてきたかのような大きな家具やインテリア、小物、写真でいっぱいです。これらは、亡くなったご主人のロンドンの実家にあったものを、巨大なトラックで全て運んできたとのこと。

私が泊まった部屋のドレッサーの引き出しには、古い白黒写真が何枚も入っていて、アクセサリーも無造作に入れられたまま。100年ほど前に、引き戻される気分でした。

プローズ家、フライ家の子孫には、コンプトンハウスの存在をご存知の方もいらっしゃり、アメリカからわざわざ訪ねて来られた方もいたそうです。コンプトンハウスを訪れた子孫の方々は祖先の住いを見て、とても感慨深くしていらっしゃったそうです。
コンプトンハウスのように、400年~500年前に建てられた家が、いまだに現役であることはイギリスでは決して珍しくありません。500年前に建てられた家の中に日常があり、そして数百年後も、きっとそうなのでしょう。





