ヒストリックハウス名:バーリーハウス

所在地域:イギリス、リンカーンシャー

訪問:2017年3月31日

エリザベス時代様式、30年以上かけて建設された
重厚な中に優美さが、感じられる美しいゲート

David Cecil,  6th Marquess of Exeter(1905-1956-1981)

デイビット・セシル、第6代エグゼター侯爵

エリザベス1世(1533-1558-1603)が映画で登場する時、側で助言をする黒服の老人が必ず出てきますが、その人は実在の人物、ウィリアム・セシル(1520-1598)です(フランシス・ウォルシンガムの場合もある)。ウィリアム・セシルは40年以上に及び、エリザベスの右腕、枢密院トップとして国政、外交を支えたイギリスの歴史の中でも名高い人物です。

バーリーハウスは、ウィリアム・セシル(以下ウィリアム)の子孫が今も住む、エリザベス時代を代表する大規模カントリーハウスです。

ウィリアムは2度結婚しています。1度目の結婚(1541? 、妻Mary Cheke)の息子はトマス・セシル(1542-1623)、2度目の結婚(1546、妻Midred Cocke)の息子がロバート・セシル (1565-1612)です。

トマスはウィリアムの息子であるという以上に、実績を残すことは特になく、ウィリアムの主要な政治的ポジションは全てロバートが引き継ぎ、父親亡き後、エリザベス女王、ジェームズ1世を最側近として支えます。

エリザベス1世から頼りにされていたウィリアムは、女王から相応の待遇を受け、自身の資産を堅実な投資で順調に増やしていました。ウィリアムのメインのカントリーハウスはロンドンにほど近いセオバルズ(1563年購入、ロバートが継承、現在はわずかな廃墟のみ残る)、他に今回のバーリーハウス(1555~1587に建築、トマスが継承)、王室から無償貸与されていたウィンブルドン・ハウス(トマスが後年王室より購入)などがありました。

ウィリアムが大規模、最新の設備を備えたカントリーハウスを持つ第一の目的は、巡幸するエリザベス1世に相応しい宿泊所を提供するためでした。セオバルズは、ロンドンから北方に向かう途中の休憩地点にあり、エリザベスを迎えるために建てられたようなもので、1572年から1596年の間、エリザベスは8回も訪れています。

それに対して、主要な道から離れたところに建つバーリーハウスには、エリザベスは一度も訪れていません。

エリザベス1世の死後、王位についたジェイムズ1世(1566-1603-1625)はエリザベス1世の重臣だったウィリアムの息子であるトマスとロバートを、全く同じ日に、それぞれを伯爵に叙爵し厚遇します。スコットランドからやってきたジェイムズ1世、イングランドの忠臣はしっかり味方につけておきたかったことでしょう。

1605年ジェイムズ1世により、トマスは、初代エグゼター伯爵に、ロバートは初代ソールズベリー伯爵に叙爵され、イングランド宮廷での地位は、確固たるものになります。

時代は下り、両伯爵の子孫は、ジョージ3世の時代に、それぞれ侯爵に叙爵されます。1789年第7代ソールズベリー伯爵ジェイムズ・セシルはソールズベリー侯爵に、1801年第10代エグゼター伯爵ヘンリーはエグゼター侯爵に叙爵されます。

ウィリアムのエグゼター系、ソールズベリー系両子孫は侯爵となってからも直系で脈々と継承されてきています。両家ともに、ラストネーム「セシル」を代々、現代に至っても名乗っています。

上段真ん中、ライトがあてられているのがウィリアム・セシル、ヘンリー8世はついでに飾られているという感じ

今回のバーリーハウスは、トマスから続くエグゼター系子孫の本拠地です。

ソールズベリー系の本拠地は、セオバルズだったのですが、ジェイムズ1世からのハットフィールドハウスとの交換の提案(命令)で、ハットフィールドに代わりました。

ハットフィールドについては、次回に書きます。

お楽しみにお待ちください。

今回は、トマスの350年ほど後の子孫、第6代エグゼター侯爵デイビット・セシルについて書きます。

デイビッドは、イートン校からケンブリッジ大学マグダレンカレッジへ進みますが、かねてから足が早く、ケンブリッジの仲間と共に本格的なトレーニングを積み、ケンブリッジ大学アスリートクラブ会長を務めるまでになります。

そして、デイビッドは1928年アムステルダムオリンピック、400mハードルでなんと金メダルを取ります。

1931年には地元選出の国会議員となりますが、1932年にはロサンゼルスオリンピックに議会を休んで出場し、400mX4リレーで銀メダルを獲得。1933年にはIOC(国際オリンピック委員会)メンバーに。 1936年には英国オリンピック委員会会長、1952年から1966年の間は、IOCの副会長を務めます。

映画「炎のランナー」( 1981年イギリス、原題「Chariots of Fire」)に登場する主人公の友人、貴族の御坊ちゃま、アンドリュー・リンゼイ卿(貴族出身のナイジェル・ヘイワースが好演)はデイビッドをモデルにした人物です。映画の内容全てが事実ではないので、デイビッド本人の意向により、名前が変えられているそうです。

1956年父の第5代エグゼター侯爵が亡くなり、IOC副会長を務めるデイビッドは、51 歳で第6代エグゼター侯爵となります。

バーリーハウスは建物が壮麗なだけでなく、内装、所蔵品も豪華絢爛。

絵画、家具は17世紀、18世紀にイタリアから買い付けたものが多い
ベッドの支柱、天蓋、奥のキャビネット、燭台、家具というより美術品
ハウス内チャペル、一族の洗礼式、結婚式はここで。祭壇にある大きな絵はイタリアから運ばれた

エグゼター系の先祖には、美術品蒐集に情熱を燃やしたことで名を残す人物が2人。まずは第5代伯爵ジョン(1648-1678-1700)で、妻はデボンシャー伯爵の娘、つまり美術品で溢れるチャッツワース(本サイトでご紹介しています)で育った、アン・キャベンディッシュ。

この2人はグランドツアーの走り。芸術品購入に入れ込むカップルで大陸、特にイタリアに何度も出かけ、300点以上の絵画を購入しました。しかし最後には38,000件に及ぶ負債を残して亡くなるという子孫泣かせの夫妻でした。

第9代伯爵ブラウンロー(1725-1754-1793)も芸術品に情熱を燃やすタイプで、内装を古典復古主義のスタイルに一新し、庭園はケイパビリティ・ブラウン(1716-1783)に設計させ、この時代の先端をいく「風景庭園」に造り変えます。

バーリーハウスには、これら先祖が残した一級品の美術品(主に宗教画)、装飾品、内装がデイビッドの時代になってもまだ多くが残されていました。少なくないカントリーハウスの美術品や装飾品が相続税の支払いのために売却され、20世紀初頭には無くなってしまっていたことを考えると、バーリーハウスはよく頑張ってきたものです。

1956年に爵位とハウスを継承したオリンピック金メダリスト、51歳のデイビッドには頭の痛い問題がありました。

それは、次の世代への継承です。

デイビッドは1929年に最初の妻レディ・メアリー・テレサ・モンタギューダグラス (1904-1984)と結婚、3人の娘と1人の息子(1歳で死亡)が生まれ、1946年に離婚。2度目の妻ダイアナ・ヘンダーソン (1911-1982 )との結婚で一人娘レディ・ヴィクトリア・セシルが生まれます。

問題は、デイビッドには爵位、ハウスを引き継ぐ息子がいないのです。

爵位の継承は、血族の男性子孫であることが必須とされており(君主の判断で例外が認められることも稀にある)、このままいくと継承者はデイビッドの弟のマーティン(1909-1988)なのですが、マーティンはカナダで農場を経営しており、爵位はともかくバーリーハウスを継承するのは、とても難しい状態でした。

デイビッドの使命は、バーリーを時代に合わせて必要な変化を加えながらも(例えば電気を導入するなど)、できるだけ変えないで後世へ引き継いでいくことです。

もう一つのセシル子孫、ソールズベリー侯爵には1946年生まれのロバート・ガスコイン・セシル(現第七代侯爵)を始め4人の男子(のち1960年に六男が誕生、五男は誕生後死亡)がいて、継承に問題は無さそうです。

デイビッドは、ウィリアム・セシルの二つの子孫、ソールズベリー系、エグゼター系の両方がハウスと共に継承されていくことに大変な意義を感じていました。

悩むデイビッドは、ハウス相続の専門家、爵位相続の専門家、紋章院など各方面への相談を重ね、現実的な解決策に至ります。

爵位は、カナダにいる弟、マーティンが自分より長く生きている場合は相続する、そしてマーティンの息子マイケルが次の継承者となる。

以降、マイケルの子孫の男子がエグゼター侯爵位、セシル姓を継承していく。(2021年7月現在は1935年生まれ第8代エグゼター侯爵マイケル・セシル、カナダ在住、マイケルには1958年生まれの息子ジャミン・セシルがいる)

一方、バーリーハウスは、運営信託団を新たに設立、2度目の結婚での娘ヴィクトリア・ダイアナ・セシルを長とする。以降、信託団の長は、ヴィクトリアの子孫が司る。(2021年7月現在は、ヴィクトリアの娘ミランダが信託団の長として運営)

これで、エグゼター侯爵位を絶やすことなく、バーリーハウスはデイビッドの子孫が居住し、「できるだけ変えないまま」引き継いでいける見通しがたちました。

デイビッドの孫娘、ミランダの経営は順調でバーリーハウスの来訪者はパンデミック前、順調に倍増していたそうです。

バーリーハウスのホームページを見ると、ウィリアム・セシルの誕生 500年を記念する様々なイベントが企画されています。なるほどバーリーハウスの「顔」は、今でも建てた人、ウィリアム・セシルだと、納得します。

私が訪れたのは、穏やかな春の日の午後。見学コースは、キッチンから始まります。キッチンの壁に亀の甲羅がたくさん掛けてあるので、ちょっと不思議に思って見つめていると、キッチンのスタッフの方が、「改修の時、土の中からそれはたくさんの亀の甲羅が発掘されたんですよ。昔は、亀を使ったスープが、贅沢なご馳走で、バーリーではおもてなしによく供されました」と説明してくださいました。思わず、「私のペットは亀なんです」と私が言うと、そのスタッフの方は形相を変えて、「ええっ!ごめんなさい!!!」と私の手を取って謝ってくれたことが、忘れられません。

ヴィクトリア女王が泊まった部屋は特に豪華。

ベッドルームの天井にシスティナ礼拝堂のようなフレスコ画がある
ヴィクトリア女王が眠ったベッド、階段でベッドに登る
銀製のシャンペンクーラー、イギリスで一番大きいとスタッフの方が言っていた
グレートホールのハンマービーム

中世に生きエリザベス1世に仕えたウィリアム・セシルはおそらくこんな豪華好みではなかったと思うのですが、16世紀に建てられたエリザベス時代様式の建物に、18世紀のカントリーハウス全盛期に買い付けた美術品がぎゅうぎゅうに詰められて、ケイパビリティ・ブラウンが造った庭に囲まれて、大切に子孫によって引き継がれていてる。

バーリーハウスは、カントリーハウスの「基本形」のように思えます。

ブラウンが造った風景庭園が、周りを取り囲む

参考:Burghley House Website, 「英国カントリー・ハウス物語」彩流社、「英国王室史話」森護、Wikipedia, Cambridge University Press 「Theobalds , Hertfordshire :

The Plan and Interiors of an Elizabethan Country House」 17November 2017 Emily Cole,