ヒストリックハウス名:ロングリート

所在地域:イギリス、ウィルトシャー

訪問:2016 年3月31日

16世紀まだ珍しかったイタリアルネッサンス様式、玄関から下へ向かって広がる階段も特徴

Sir John Thynne (1515-1580)

ジョン・シン卿

イギリスは階級社会でありますが、流動的・階級社会であるとも言われます。そのことを改めて納得させてくれるのが、この人、ロングリートを建てたジョン・シン卿です。

ジョンは、農家に生まれますが、ヘンリー8世の宮廷のキッチンでチーフを務めていた伯父の紹介で、宮廷のキッチンボーイとなります。

そして、機転がきくところを見込まれ、エドワード・シーモア(1506?-1552)に仕えます。

エドワードの妹ジェイン・シーモア(1509-1537)は、1536年にヘンリー8世と結婚し、

ヘンリー8世が切望していた男子エドワード(のちのエドワード6世 1537-1547-1553)を出産。貴族でもなく、ジェントリの息子であるだけだったエドワードは、妹の王子出産で一気に昇進し、ヘンリー8世からハートフォード伯爵に叙され、さらにヘンリー8世が死亡し1547年、エドワード6世が王位に就くとサマセット公爵に叙されます。(妹ジェインは出産後数日で死亡)。

エドワードの昇進により、ジョンの活躍の機会も増え、またジョンが収入や領地を得るチャンスも増えていきます。全く自分の土地を持たなかったジョンですが、 1540年にロングリートの修道院破壊跡地 60エーカーを53ポンドで購入しました。

そして、ジョンは修道院破壊跡を利用し、新しいハウスを1546年に建て始めます。翌年1547年には、対スコットランド戦、ピンキーの戦いで活躍したとし、戦場でエドワードより卿に叙せられ、キッチンボーイは遂に貴族の仲間入りをしました。

しかし1550年、サマセット侯エドワードは、宮廷内の権力闘争でウォリック伯に負け、 ロンドン塔に収監されてしまい、1552年に処刑されます。エドワードの側近中の側近であったジョンも同様に収監され、処刑寸前までいきますが、妻クリスチャンが議会に夫の救命を嘆願、クリスチャンの実家グレシャム家がロンドンの有力資産家だったことが幸いし、ジョンは罰金2,000ポンドと自宅(ロングリート)での禁錮に減刑されます。

この一件でジョンは、権力に近すぎることの怖さを身を持って知ります。宮廷に近づくこともできなくなり、37歳のジョンの野心は領地経営とハウス建設に向けられます。そして時代は、メアリー1世女王(1516-1553-1558)に駒を進めます。

宮廷から遠ざけられていたジョンですが、メアリー1世により、エリザベス王女(のちのエリザベス1世1533-1558-1603)の宮内主事に任命されます。ジョンにとっては、ありがた迷惑な任命でした。エリザベス王女とメアリー1世は表沙汰にはなっていないにせよ、緩やかな対立関係にあり、エリザベス王女に近づきすぎることは、命の危険があることでした。

権力に近すぎることの怖さを忘れられないジョンは、ロングリートがハットフィールド(エリザベス王女が女王になるまで住んでいた。本サイト、ハットフィールドをご参照ください)から比較的離れていることを理由に、滅多にハットフィールドには行かず、最低限の義務を果たして、のらりくらりとやり過ごしていました。

そして、エリザベス1世が女王に即位、ジョンはホッとしたものの、女王に近づきすぎないように・・・それがジョンの行動指針でした。

ジョンが情熱を注いでいた建設半ばのロングリートは、1567年火事で全焼してしまいます。ジョンは8ヶ月間、じっくり考えた上で、修道院跡を利用して建てていたこれまでに館とは違う、貴族になった自分に相応しい大規模なカントリーハウスの建設を決意、そして建てられたのが、現在に残るロングリートです。

ジョンはこれまでのイギリスのカントリーハウスとは違う、イタリア・ルネッサンス様式でロングリートを建てるのですが、その設計を、若き才能ある建築家ロバート・スマイソン(1535-1614)がサポートします。

しかし、人を信用することができず、全て自分で仕切りたいジョンは、プロのロバートの意見を得ながらも、ほぼ自分で設計していたようです。

ジョンは、超合理主義者で、それが行き過ぎで、不幸にも人を思いやること、人を信じることができなかったようです。大量に残されている手紙のどこにも、相手を気遣う言葉は見当たらず、ただ1度、生まれたばかりの長男が風邪をひかないようにと、妻に書いていいるだけでした。

キッチン・ボーイから貴族になり、仕えていた侯爵が斬首になってしまった今、ジョンの自己実現は、ただ一つ、ロングリートの館なのでした。

ルネッサンス様式の壮麗な館をジョンが建てた。エリザベス女王の耳に届かないわけがありません。エリザベス女王はジョンを呼び出しては、「そちが望むなら、行けないこともないが」などと、遠回しに何度も招待を迫るのでした。

しかし、その度ジョンは、「畏れ多くも、まだ陛下をお呼びするところまで建設が進んでおりません」と何年にもわたり、やんわりとお断りしていましたが、その言い訳が5年にもなろうという頃。

エリザベス「そろそろロングリートの建設も終盤ではないのか」

ジョン「はっ、陛下、建設は終盤なのですが、大変申し上げにくいのでございますが、

館の中でどうも、使用人の1人に感染症の疑いが持ち上がっておりまして。。。」

エリザベス「シン!何を戯言を言っておる!いい加減にしろ!!!!」(バッと立ち上がり、跪くジョンを見下ろし、扇を投げて激しく怒る)

ジョン「はっ、はっ、陛下、申し訳ございません。大変な光栄、陛下、お待ち申し上げます」(土下座近くまで跪く)

女王、鼻息荒く、立ち去る。

このようなやり取りが、実際あったことが記録に残っていて、

ジョンは、来てほしくない。女王は、どうしても行きたい。ことが明らかでした。

エリザベス女王の夏の巡行は毎年の恒例行事で、目的は二つ。

①ホワイトホール宮殿の衛生目的の大掃除。

②臣下のカントリーハウスに数週間滞在する滞在費は、全て臣下持ち。宮廷費を節約。

よって女王の滞在は、名誉あることの反面、料理、宴会やプレゼント、エンターテイメントの用意、花火や演劇など女王を喜ばれせるのに莫大な費用がかかることだったのです。

超合理主義者のジョンは、ロングリート建設の借金が嵩んでいることもあって、できれば来て欲しくない気持ちでいっぱいだったのですが、新しいもの好きなエリザベス女王は

ルネッサンス様式の新ハウスを見たくてたまらなかったようです。

ジョンは女王の訪問を断ることはできないことを悟ると、一流のコックを雇い、 大きなエメラルド、ダイヤモンドとルビーが合わせて50個、ペンダントの真珠がセットになったフェニックスセットと呼ばれる宝石をエリザベスへの贈り物として、購入します。

1574年9月中旬のエリザベス女王のロングリートへの巡幸は、無事終了し、ジョンは宮廷から「女王は無事に宮廷に帰着した。良い訪問だったと女王は喜んでおられる」という手紙を受け取り、ほっとするとともに、膨大な請求書の処理にかかるのでした。

ジョン59歳、エリザベス女王は41歳でした。

キッチン・ボーイから女王をお迎えする館の当主に。ジョンの周りには常にそれを羨む人々がおり、ジョンの失脚を虎視眈々と狙う人々は少なくなく、宮廷での居心地は決して良くありません。心許せる友人もなく、50代が終わろうとしている今でも、ジョンは常に闘争体勢にありました。

女王が来ることを経済的な考えから、拒否していたジョンでしたが、「女王が喜んだ」という手紙を宮廷から受け取り、自分で予想もしていなかった大きな達成感と歓喜が、自分の中に湧き上がってくることを、ジョンは抑えることをできませんでした。

初めて、ジョンは、「嬉しい」とはこのことなのか、と素直に思ったのでした。

ジョンは、ロングリートで1580年5月21日、65歳で家族に見守られて亡くなります。

ジョンの子孫は、1682 年にチャールズ2世によりウェイマス子爵、シン男爵に叙され、さらに1789年にジョージ3世によりバース侯爵に叙されます。現在もロングリートはジョンの子孫バース侯爵一家のファミリーホームです。

イギリスで初めてサファリパークを開園、それを記念したライオンの銅像
こちらは迷路でなく、整形庭園の一部

ロングリートで印象に残っているのは、ジョン当時のまま残されているグレイト・ホールです。他のハウス部分は、今もゲストが泊まることが多いようで、現代風に使いやすく整えられていました。

そして、庭園は遊園地のようになっているのですが、世界一面積が広いと言われる迷路が

あります。この迷路、出口がないというか、入った入り口から出るのです。ですから、すごく長距離を歩くのですが、納得感が得られない迷路でした。

圧巻なのは、ハウスへのアプローチです。Warminster という近くの町から車で行くと、

丘を下ってハウスに向かうのですが、壮大なハウスの全容が、突如として丘の向こうに現れ、その姿に驚きながら、丘を降りていく、という場所に建てられています。

エリザベス女王もきっと同じ風景を見て、

「ジョンのやつ、やるじゃない」と、苦笑いしたことでしょう。

美しく整えられたフランス風整形庭園

オランジェリーの外には大きなオレンジ?が
ブリッジハウス

参考:David Burnett, LONGLEAT, Chales Philips Carles, Palaces & Stately Houses of Britain &Ireland, 森護「英国王室史話」