初代ペンブルック伯が建てた東棟、入り口上はエドワード6世の紋章

ヒストリックハウス名:ウィルトンハウス

所在地域:イギリス、ウィルトシャー

訪問:2015年8月4日、2016年8月30日

ウィルトン・ハウスは、ギリシャ、ローマ時代の美術品が並ぶ教会風回廊がよく知られ、観光に興味のなかったベンジャミン・フランクリンも英国を訪れた際に、唯一訪れています。古くは女子修道院だったウィルトンは、ヘンリー8世が教会破壊で没収し、初代ペンブルック伯爵ウィリアム・ハーバートへ下賜、以来現当主18代ペンブルック伯爵ウィリアム・ハーバートまで、470年超にわたり直系子孫に引き継がれてきています。

ウィルトンの歴史には、数々の興味深い人物がいますが、今回はPart1としてウィルトンを建築した初代伯爵ウィリアム、次回Part2では、建築家イニゴ・ジョーンズ、最終回Part3では建築家ジェームズ・ワイアットについて書きます。各人の足跡は、いずれも現ハウスに見ることができ、ウィルトンは1代で完成されたハウスではなく、代々の改築を重ねて今の姿になっています。

2015年に初めて、ウィルトンを訪れた時、映画のロケ準備中で、ハウスに入ることができず涙を飲んでガーデンのみを見学(このことで訪問前日にwebでハウスの情報を確認する重要性を知りました、今から思うと当時は鷹揚でした)、リベンジで翌年にまた訪れハウスの中を見学しました。その時は、他に見学者がおらず、1人で静かに見学できたことを思い出します。ハウスの中は、撮影禁止だったので、写真は外観とガーデンのみとなります。正方形の形をしたシングルキューブ・ルーム、正方形を二つ合わせた格好のダブルキューブ・ルームがその豪華な内装でよく知られます。

William Herbert, 1st Earl of Pembroke (1501-1570)

初代ペンブルック伯爵ウィリアム・ハーバート

ウィルトン・ハウスは500年近くの歴史を持つペンブルック伯爵ハーバート家の本拠地です。

ウィリアム・ハーバートは25歳の時に、宮廷侍従を務める父リチャードの縁故採用で、ヘンリー8世の武具装着係として、宮廷でのキャリアをスタートします。父は侍従と言っても一介のエスクワイアに過ぎず、顕著な功績もなかったようですが、勤勉なタイプで息子の宮廷入りはすんなりと受け入れられました。

ところが、父と違ってウィリアムには衝動熱血的な一面があり、街中で喧嘩の成り行きから殺人を犯し宮廷にいられなくなります。逃げるようにして故郷のウェールズに戻り、静かに7年を過ごします。そして、ほとぼりが冷めた頃にロンドンに戻り、アン・パー(1515-1552)と結婚します。ウィリアム33歳、アン19歳でした。

アンは、ヘンリー8世の宮内財務官トマス・パーの末娘でした。そして父親の縁故採用で、ヘンリー8世王妃付きの女官を務めていました。結婚前にはキャサリン・オブ・アラゴン、結婚時にはアン・ブリーン、続いてジェーン・シーモア、アン・オブ・グレーブス、キャサリン・ハワードと次々に替わるヘンリー8世の王妃に仕え続けます。

そして、ウィリアムに大きな幸運がやってきます。

1543年ヘンリー8世は、妻アン・パーの実の姉、キャサリン・パーを6人目の王妃として迎えたのです。

キャサリンとアンの父パー卿は、アンが2歳の頃に亡くなり、教養豊かな母モードは宮廷で子供達に神学や語学を教えていました。そしてキャサリンとアンも母から教育を受けて、教養と分別のある心優しい女性に育ちました。年老いた(といっても52歳)ヘンリー8世は若さや美しさ、情熱よりも、落ち着きと分別を求めていて、既に2度夫に先立たれ、これまでの妻達にはない、優しさと分別が感じられた未亡人キャサリン(31歳)に求婚したのです。

ウィリアムには衝撃のニュースでした。国王の義理の弟になったのです。

同年、早速ウィリアムは騎士に叙爵され、Sir Williamに。同時にウェールズのアバーガベニー・カースル(Avergavenny Castle)とウィルトンを下賜されます。

翌年1544年、ヘンリー8世のブーローニュの戦いでは100名の軽騎兵を連れて駆けつけています。伝統的に王家の軍隊は、ウェールズ国境付近の弓兵に頼るところがあり、ヘンリー8世は軍編成上、欠かせないこの地域を血気盛んで上昇志向が強く、王家に忠実な妻を持つウィリアムに任せ、イギリス軍の保全を図ったのでした。

2年後1546年には枢密院メンバーに任命され、ロンドン、ベイナーズ・カースル、ウェールズのカーディフ・カースルも下賜されます。

そしてウィリアムはヘンリー8世の遺言執行人に指名されるまでになり、1548年のヘンリー8世死亡時には、宮廷での実力者の1人になっていました。

機を見るに敏という感じのウィリアムは、エドワード7世治世下ではサマセット公エドワード・シーモアに仕えますが、サマセット公失脚(1552年処刑)後は、すぐにノーザンバーランド公ジョン・ダドリーに仕え、世の中の波を見誤らない眼力を見せています。

1549年にウィルトシャー、ドーセットで民衆の反乱が起きたときは、早々と武力で鎮圧したことを認められ、サマセット公の計らいでガーター騎士団員に。1551年にはペンブルック伯爵に叙爵され、飛ぶ鳥を落とす勢いで昇進します。

ウィリアムが叙爵されたペンブルック伯爵位は、スティーブン王により1138年に創設されてからウィリアムまで9回、違う一族への叙爵そして断絶が繰り返されていました。ウィリアムの直前のペンブルックは、処刑されたヘンリー8世の二番目の妻アン・ブリーンに、結婚前1533年侯爵として叙爵されています。

ヘンリー8世の父、ヘンリー7世はウェールズ、ペンブルック・カースルの生まれという背景から、アンに公式地位を与える目的として、由緒あるペンブルックの名はぴったりだったようです。

とはいえ、2年後1535年にアンは処刑され、ペンブルック侯位は王家に戻ります。

ウィリアムがペンブルック伯位を受けたのは、ウィリアムの父リチャード が、エドワード4世より8度目の叙爵を受けたペンブルック伯ウィリアム・ハーバート(1423-1469)の婚外子だったことに由来しています。

1552年には、新築したウィルトンで、15歳のエドワード6世を華々しく迎え、王を迎えるハウスを持つ貴族の仲間入りを果たします。ウィルトンの東ゲートハウスには、エドワード6世の紋章が彫られ、今も残ります。在位期間の短さ(6年)と訪問の少なさから、エドワード6世の紋章が残るハウスは珍しいかもしれません。

そして、ノーザンバーランド公の失脚時(1553 年処刑)もウィリアムは失敗しませんでした。

自軍の強化を常に行っていたウィリアムは、メアリー女王がカレーの戦いで苦しむときに、St.Quentionの戦いで勝利を収め、女王から感謝されます。この時に、フランス軍から奪った甲冑は長くウィルトンに飾られていましたが、後世の伯爵が売却し、今はニューヨークのメトロポリタン美術館所有になっているとのことです。

そうした武勲が評価され、強い兵力をもった伯爵として、メアリー女王、エリザベス1世の時代にも、頼りにされ宮内武官として仕えます。

ウィリアムの時代から今に残るのは、現在、東西南北4棟あるハウスの東棟のみです。

メインの東棟は、ウィリアムが仕えたサマセット公が建てたサマセットハウス(ロンドン)の影響を受け、当時流行の最先端をいくルネッサンス様式の造りとなっています

しかし、同じ16世紀後半に建てられたバーリーハウス、ロングリート、ハードウィックなどと並んで称賛の対象となることがあまり無いのは、ウィルトンは17世紀以降の改築や修繕の影響で大きく変貌を遂げ、17世紀以降のウィルトンの方がよく注目されるからでしょう。

サマセット公失脚後にウィリアムが仕えたノーザンバーランド公は、イタリア・ルネッサンス建築に興味を持ち、ジョン・シュートをイタリアに派遣。シュートは「The First and Chief Gounds of Architecture」というイギリスで初めてとされる建築書を著します。ウィルトンは、ジョン・シュートの指南を受けていたかもしれません。

石工棟梁はロンドンから連れてこられたトマス・コリンズ(d.1594)で、ベイナード・カースルの建築も手がけ、ペンブルック伯爵家お抱え石工棟梁でした。建築家という職業がまだ登場しないこの時代は、石工棟梁が工事全般を見渡しながら、自らも仕事をしていたようです。

妻アンによりヘンリー8世の義理の弟となったことで、大きく人生が拓けるきっかけになったのですが、ウィリアム自身の軍の指揮統率力、時勢を見極める才覚でトップ貴族となり、そして500年近く続いているペンブルック伯爵家は、数ある伝統貴族の中でも、まさに貴族の「お手本」という印象です。さらに500年、そして、もっと永きに渡り、ウィルトンとペンブルック伯爵家は、続いていくことでしょう。

ウィルトンのガーデンで楽しかったのは、囁きのベンチ(The Echo Seat )。石造りの半円形ベンチ(直径3m ほど?)の両端に2人がそれぞれ座り、シートに向かって、小さな声で囁くと、反対側にいる人に反響で伝わるというもので、心踊るベンチでした。

詩心ある恋人たちが囁きあったら、あっという間に半日くらい経ってしまいそうです。

参考:

Charles Philips ,Palaces & Stately Houses of Britain & Ireland,原書房 (2014)

John Martin Robinson, WILTON HOUSE ,Rizzoli International Publications(2021)

森護「英国王室史話」上下、中央文庫 (2010)