ヒストリックハウス名:ストアヘッド
所在地域:イギリス、ウィルトシャー
訪問:2016年8月29日
前編では、ホア・バンクを設立した、リチャード・ホアとその息子、ストアヘッドを購入し、ハウスを建てたヘンリー・ホアについて、書きました。今回は、ヘンリーの息子で、同名のヘンリー(子孫からは”偉大な”ヘンリーと呼ばれている、以下ヘンリー)について、書きます。

Henry Hoare “The Magnificent” (1705-85) 偉大なヘンリー
子孫から、「偉大な」ヘンリーと呼ばれることになる、そのわけは、イギリスでも指折りの美しい風景庭園をゼロから造り、ストアヘッドの名前を世に拡めたからです。
ヘンリーは、ホア家をより富ませることになった結婚を、2度します。
1度目の妻は、アン・マーシャム。この結婚では、宮廷に仕えていたアンの母が、宮廷の口座をホアバンクへ移し、ヘンリーの収入増、信頼増に貢献します。
アンが出産で死去した後は、クラップハムのステファン・コルトの女相続人、スザンナ・コルトと結婚し、コルト家の主要財産を相続します。しかし、スザンナは13歳の息子と11歳と6歳の娘を残して1743年に病死。
2度、妻に先立たれたヘンリーは、これ以降は、結婚せず、ホアバンクの経営の傍ら、ストアヘッドの庭園開発に取り組むことになります。
庭園開発を始める以前も、ヘンリーの家業である「ホア・バンク」と庭園開発は、密接に結びついていました。
時代の人気造園家であったウィリアム・ケント、人気建築家でブレナムパレス(本サイト、ブレナム・パレス参照)を代表作とするするジョン・ヴァンブラ、壮麗大規模なカースル・ハワードを建築中のカーライル伯爵(本サイト、カースル・ハワード参照)、新古典様式の推進者として知られ、チズウイック・ハウスを建てるバーリントン卿らは、皆、ホア・バンクのの貸付先であったのです。
造園家が風景庭園を、建築家が新様式のハウスを、貴族やジェントリーたちに提案する。風景庭園や、新しい様式のカントリーハウスを造りたくなったが、現金に乏しい貴族やジェントリーたちは、ホアバンクから借金して、造園家、建築家に発注。発注をもらった造園家や建築家はさらに発注を増やすために、ホアバンクから借金をして、社交に励む、という流れで、ホアバンクを中心に、造園・建築業界の資金は動いていた、とも言えるかもしれません。
1741年に母親が死亡したことをきっかけに、ヘンリーはストアヘッドに引っ越し、1743年の妻の死亡後、庭園開発に本格的に取り組み始めます。
しかし、ヘンリーはビジネスのことばかり、考えていたのではなく、文化、芸術の知識に長け、自らの庭園で、「想像上の異教徒(キリスト教以外)の世界」、「感情はどのように庭で表現されるか」、「自然美と新古典様式建築の融和」などをテーマとして構想を練り、一つの芸術作品としての風景庭園を目指したのでした。
風景庭園は、どの地点から見ても、「美しい風景」となるように、丘を崩し、また丘を造り、最適なスロープに整え、谷を埋めては、また谷を造り、新たな地形を造成します。そして、植林する木々のために理想的な日当たりを確保し、森や林を新たに造ります。さらに、近隣の川から水を引いて、湖や池を新たに造る。仕上げに、ギリシャ風の神殿や洞窟、橋などをフォーカルポイントとして、おきます。

こうして入念に設計された広大な風景庭園は、どこで立ち止まっても、絵画のように美しく、均整のとれた風景が、あたかもまるで自然の姿のように、目の前に拡がるのです。
最短コースでもひと回りするのには、1時間以上は、かかる庭園ですが、変化していく風景の美しさに、時が経つのを忘れ、新たな思索に誘われます。
ヘンリーは、庭園の開発に加えて、絵と彫刻のコレクションにも熱心でした。イギリスのみならず、ローマやパリのディーラーから、プッサン、ウートンなど一流の作品を、買い付けます。
孫のリチャード・コルト・フォアは、ヘンリーのことを、「背が高く、優雅。立ち振る舞いも、言動も優雅な人だった。」と表現しています。全てに対して、美意識が高い人だったのでしょう。
ヘンリーの唯一人の息子は、21歳でナポリで客死します。娘のアンは、従兄弟のリチャードと結婚し、二人の息子で、ヘンリーの孫、リチャード・コルト・ホアが、ヘンリーの相続人となります。
ヘンリーは、アメリカ独立(1776年)とロンドンで起きたゴードン暴動(1780年)を悲観し、ストアヘッドをより確実な形で、次の世代に引き継ぐことを決心します。それは、孫リチャードが、家業である銀行ビジネスから離れることを条件に、ストアヘッドの当主となることでした。
急激に変わる世界情勢の中、ホアバンクの行く末によっては、ストアヘッドがホア家から離れてしまうことを、警戒してのことでしょう。リチャードは、銀行ビジネスを離れても、ヘンリーの信託資産から毎年6,000ポンドを生涯、受け取ることが、約束されました。
ストアヘッドと銀行ビジネスを切り離す決断。老年になったヘンリーは、ストアヘッドと銀行の両方の行く末を、案じたのでしょう。
リチャードにストアヘッドを引き継いだヘンリーは、別邸Claphamに引退し、1885年に80歳で亡くなります。
その後、ストアヘッドは、代々、ホア家親族に引き継がれ、1946年にナショナル・トラストへ譲渡されました。
ヘンリーが開発した風景庭園は、ナショナル・トラストにより美しい姿を保ち、
多くの人が、今も、その風景を楽しんでいます。
私が訪れた日は、とても良いお天気で、多くの家族連れがピクニック(食べ物を持ってきて外で食べる)を楽しんでいました。
風景庭園という触媒を通して、ヘンリーの美意識を、感じられたかもしれない、そんな思いになった、ストアヘッド訪問でした。

参考 : National Trust, Stourhead House, David Watkin 「西洋建築史~18C新古典主義から現代建築まで」