ヒストリックハウス名:キャリスブルック・カースル
所在地域:イギリス、ワイト島
訪問:2015年8月9日

キャリスブルック・カースルの城門

キャリスブルック・カースルは、チャールズ1世(1600-1625-1649)が、処刑前約1年、監禁されていたことで、知られます。

歴史を遡ると、キャリスブルック周辺は、ウィリアム征服王(1027?-1066-1087)の征服前から、サクソン、ヴァイキングの居住拠点がありました。ワイト島は、イギリス本土とフランスの間に位置する防衛最前線拠点の一つ。ウィリアム征服王は、征服直後に、側近の一人、従兄弟のウィリアム・フィッバーにワイト島の領主を任せ、要塞を築かせます。

ところが、フィッバーの死後、フィッバーの息子がウィリアム征服王に反抗したため、ワイト島は、いったん王領として没収されます。そして、ウィリアム征服王死後、征服王の三男ウィリアム2世ルーファス(1060頃-1087-1100)を経て、征服王の四男ヘンリーが、王(ヘンリー1世1068-1100-1135)になると、ワイト島は、側近のリチャード・デ・レヴァースに与えられます。

リチャードが、当時主流であったモットー・アンド・ベイリー式の要塞を築城し、この要塞が、現在の城の原型となります。

ところが、ヘンリー1世の死後、ヘンリー1世の娘マティルダ (1102-1167)と、甥のステファン(1097?-1135-1154)の間で、後継争いが起こり、リチャードの息子ボルドウィンは、マティルダ側につきますが、ステファンが勝利し、ワイト島は、再び王領に、没収されてしまいます。しかし、1153年には、レヴァース家に再度、与えられ、レヴァース家最後の当主となるのが、今回の主役のイザベラです。

Countess Isabella de Fortibus (1237?-1293)
フォーティバス伯爵夫人イザベラ

イザベラは、レヴァース家の女系子孫でした。1260年23歳の時に、夫ウィリアム・デ・フォーテバスが死亡し、北部を中心とした広大な領地を、相続します。そして、2年後、ワイト島、ハンプシャー、デボンの領主であった実兄のボルドウィンが、死去するとイザベラが兄の領地を相続します。この2つの相続で、イザベラは26歳にして、イングランド有数の領主となり、56歳で亡くなるまで、二人から相続した土地の領主であり続けました。広大な領地を持つことから、権利関係に絡んだ、訴訟も多かったようですが、イザベラは訴訟に強かったようです。

イザベラは、再婚をせず、子供もいなかったようです。

そして、広大な領地の各地には、おそらく多数の邸宅を持っていたと思われますが、彼女は、キャリスブルックを本拠地としました。

イザベラは、要塞だったキャリスブルックを快適な住居にすべく、常にアイデアをもち、改築し続けました。イザベラ存命中の約30年間は、いつも工事中であったようです。

イザベラは、グレートホールの横に、自分専用の聖ピーターチャペルを建設、グレートホールの北には、自室「グレート・チェンバー」を建設します。このグレート・チェンバーには、イザベラの、快適さや美しさへのこだわりが、感じられる窓があります。

その窓は、厚い壁をくり抜いたアルコーブの奥に造られた、尖塔アーチ形。4段の階段を上がったところに窓があり、窓際にくつろげるベンチシートが、造られています。高さがある所に設けられた窓からは、ワイト島の眺めが広がります。

また、新しいキッチンを増設し、日時計のあるハーブガーデン、鮮魚を飼育するフィッシュタンクを作ります。

現代に至るまで、代々使われ続けている、管理人住居そして、牢獄も建設します。

イザベラは、1293年に亡くなるとき、死の間際に、キャリスブルックを時の王、エドワード1世に返還することを、言い残し、その後ワイト島は、再び王室領となります。

その後、エドワード4世に任命されたアンソニー・ウッドヴィル、エリザベス1世女王から任命されたジョージ・カーニーらが、ワイト島知事となっています。しかし、清教徒革命時には、ワイト島は、早々と議会側におさえられ、キャリスブルックは、上流階級者、専用監獄となります。

そして、1647年11月から1648年9月まで、チャールズ1世が収監されました。その後、チャールズ1世は、1649年1月30日にロンドンで、処刑されます。

チャールズ1世の収監生活は、前半は、比較的のんびりした自由なもので、自分の臣下や使用人も一緒で、ボウリングを楽しむためのボウリンググリーンもチャールズ1世のために、造られました。

しかし、反議会の行動を起こす計画の発覚で、行動制限が厳しくなり、後半は臣下とは離され、見張りも強化され、不自由な日々だったようです。

長年、王室領だった城は、王の牢獄となってしまったのでした。

城内、キープ(城内の最後の砦となるようなところ)へ上がる狭い階段

ワイト島は、サイクリングで周遊しました。キャリスブルックは、要塞にふさわしく、小高い丘の上にあり、とても自転車では登れなくて、暑い日に汗をかきかき、自転車を押して登りました。本当に、暑かった。。。

丘の上にあるキャリスブルックは、水の確保のために、とてもとても深い井戸があるのですが、その井戸は、昔はロバによって汲み上げられていました。そして、その「ロバ労働」のデモンストレーションが行われていました。井戸小屋の中に、大きな水車の様な輪があり、その輪のなかで、ロバが歩行することにより、水が汲み上げられるというものです。説明ガイドの方が、「井戸を覗く時、メガネに気をつけてくださいね!絶対に戻ってきませんから!」と何度も言っていたのを、覚えています。井戸は、相当に深いようです。

「昔は、ロバは、1日10時間以上働いていたけれど、今は最高でも1日4時間ですから、安心してくださいね。」とも。

外壁上から広がるワイト島の風景は、素晴らしかったです。

外壁から反対の外壁を臨む。外壁の向こうには、耕作地が広がっている

チャールズ1世も、ほぼ同じ景色を見たことでしょう。

イギリス初めてのサイクリングで、巡ったワイト島。今から振り返ると、結構な冒険だったようにも思えます。まだ小学生だった息子と、大学時代からの友人と3人で、
未体験ゾーンを走り抜けた、感動あり、アクシデント多数あり、疲労あり、の素晴らしい旅でした。

キャリスブルックは、後年、ヴィクトリア女王の末子、ベアトリス王女が領主となり、夏期は、キャリスブルックをお住まいとされました。

ベアトリス王女が亡くなってからは、ワイト島を代表する観光スポットとなっています。

参考 : English Heritage, Carisbrooke Castle、今井宏編『イギリス史1.2.』山川出版社