ヒストリックハウス名:ストークセイ・カースル
所在地域:シュロップシャー
訪問:2024年6月26日

朝一番にストークセイ・カースルのレセプションに到着し、ガイドブックを購入しようとすると、「今日はインターネットがダウンしているから、現金のみね、あなたは(イングリッシュ・ヘリテッジ)会員だからディスカウント後の値段は£4. 05」と言われたので、£5札をだすと「5pはない?」と言われ、「無いわ…」と答えると、横で順番を待っていた老紳士が、5ペニーを「ほいっ」という感じで、キャッシャーに投げてくれました。老紳士にお礼を言ってご厚意に甘え、£1のお釣りを受け取りました。
そんなご親切を受けた直後に見た、ストークセイ・カースル(以下ストークセイ)のゲート・ハウスは、穏やかな空気に包まれているように見えました。
ストークセイは、13世紀後半に羊毛取引で、巨額の富を得たラドローのローレンス(Laurence of Ludlow) により建築され、その後350年間、ローレンスの子孫に継承されました。
私が目にしたゲート・ハウスは、1640年頃にクラヴェンが建築したものです。13世紀にローレンスが建築したストークセイを、クラヴェンは、現在の姿に改築したのです。
しかし、負債に苦しんだ子孫の夫は、1598年にジョージ・メインワーリング(George Mainwaring, d. 1628) にストークセイを売却。
1620年には前ロンドン市長未亡人のエリザベス・クラヴェン ( Elizabeth Craven, d. 1624)と息子ウィリアム・クラヴェン(William Craven, 1608-97、以下クラヴェン) が、ストークセイを購入しました。
今回は、このクラヴェンについて書きます。
William Craven (1608-97) 1st Earl of Craven、ウィリアム・クラヴェン、初代クラヴェン伯爵
クラヴェンが幼少の頃、イギリス国王はジェイムズ1世(スコットランド国王としてはジェイムズ6世、James I, 1566-1625)でした。ジェイムズ1世には、7人の子供がいましたがそのうち4人は夭逝し、大きくなったのは皇太子のヘンリー(Henry Frederick, 1594-1612)、長女のエリザベス(Elizabeth Stuart, Queen of Bohemia, 1596-1662、以下エリザベス)とチャールズ(後のチャールズ1世, 1600-1649)の3人でした。
皇太子のヘンリーは、快活でスポーツ万能、国民から人気があり次の国王として嘱望されていましたが、18歳で病死。
ヘンリー逝去後、チャールズ(後のチャールズ1世, 1600-1649) が皇太子となりますが、当時チャールズは病弱な子供で、成人まで育つのは難しいと見られていました。一方、16歳の王女エリザベスは、12歳で4ヶ国語を流暢に話し、活発で乗馬が得意、慈愛にあふれて、美しく、国民から人気がありました。王女時代のエリザベスの活発さは、フランス、ドイツの記録にも残っており、ある狩猟パーティーで、牡鹿3頭を仕留めたことが賞賛されています。
1613年、エリザベスはプファルツ選帝侯フリードリヒ5世(Friedrich V, 1596-1632) と17歳で結婚。エリザベスの結婚は、イングランドでは国家的一大イベントあり、嫁ぎ先のハイデルベルグでは国家の慶事として、祝宴、仮面舞踏会、馬上槍試合などの祝賀行事が連日行われました。
またプロテスタント国イングランドと、プロテスタント・ドイツ選帝侯の結婚は、「テムズとラインの合流」と言われ、ヨーロッパ諸国の関心の的でした。
しかし、2人の生活が安定していたのは、ほんの短い期間でした。
1619年、ボヘミアのプロテスタント貴族たちは、カトリックの神聖ローマ皇帝、ハプスブルク家のフェルディナント2世を王位から降ろすために、プロテスタント同盟の有力メンバーであったフリードリヒにボヘミア王位に就くよう懇願します。23歳のフリードリヒは、ボヘミア王位を受け入れ、エリザベスはボヘミア女王となりました。
フリードリヒは、プロテスタント同盟の王として、カトリック勢力との戦いを始めますが、1620年バイエルン公マクシミリアン1世に敗れます。
フリードリヒとエリザベスがボヘミア王であった期間は1619年から1620年にかけての冬の間だけだったので、2人は「冬の王」「冬の女王」と呼ばれることに。
1623年、フリードリヒ5世の管轄地と選帝侯位を剥奪する勅令が公式に出され、それらはマクシミリアン1世に与えられました。そして、フリードリヒとエリザベスは、結婚10年で追放の身となってしまったのです。
フリードリヒ、エリザベスと家族は叔父オレンジ公マウリッツ(フリードリヒの母の兄)を頼りに、オランダへ亡命、ハーグで暮らすことになりました。
エリザベスは、父ジェイムズ1世やオランダ、フランスなど諸外国と連絡をとり、フリードリヒの復位を働きかけます。しかし、フリードリヒの動きは鈍く、諸外国との連携もうまくいかず、 フリードリヒは、36歳で病死。
ここで、今回の主役クラヴェンの登場となります。軍人で資産を持つクラヴェンは、未亡人エリザベスをサポートするために、オランダへ渡りました。クラヴェンは、エリザベスの12歳年下です。
オランダ、ドイツでエリザベスを支えていたクラヴェンは、1633年、1640年にイギリスに戻り、ストークセイの大改修工事を行い、現在のカースルとゲートハウスを建築します。この改築時、クラヴェンは亡命中のエリザベスをストークセイに迎えることを考えていたかもしれません。








しかし、その後、清教徒革命が始まり、王族であるエリザベスをイギリスに迎えることは、難しくなります。清教徒革命は、エリザベスの弟チャールズ1世を支持する王党派とチャールズ1世に反する議会派が争った国内戦争です。
ストークセイがあるシュロップシャーの多くの地主層は、王党派でした。しかし、1645年2月22日には議会派がシュールズベリーを征服し、シュロップシャーは清教徒革命の主戦場の一つとなりました。
800人の議会派の兵士が、シュロップシャーの主要都市の一つであるラドローへ送られ、ラドローの征服に向けた闘争が始まります。シュールズベリーとラドローの中間地点にあるストークセイは、主要拠点と見なされ、降伏要求が送られてきました。
クラヴェンの兵たちは、一度目は要求を断ったものの、二度目の要求の際は兵站が窮乏していた為、議会派への降伏を余儀なくされました。しかし、戦いが行われたわけではなく、死者もでませんでした。降伏後、ストークセイを囲む城壁は、破壊されたものの、ゲートハウスもカースルも破壊されることはなく、現在に残ります。
1649年にはチャールズ1世が処刑され、エリザベスはイギリス王室からの経済的援助が受けられなくなり、困窮。クラヴェンの亡き父親はロンドン市長で、クラヴェンは父親の莫大な資産を相続していたことから、クラヴェンは王室に代わってエリザベスを経済的に支え続けました。
1660年には王政復古となり、エリザベスの甥のチャールズ2世が復位。エリザベスは64歳でした。
新国王の叔母、エリザベスはイングランドに帰国します。クラヴェンは、エリザベスにロンドンのデュルリーレーンにある自らの邸宅を提供し、エリザベスのためのカントリーハウスをイーストサセックスのアッシュダウンで建築を始めました。
ロンドンでは、ペストが猛威をふるっていたため、クラヴェンはエリザベスを田舎に避難させる必要があったのです。
王政復古後、ストークセイは、領地とともにチャールズ2世(Charles II, 1630-1685) からクラヴェンに返還されました。しかし、クラヴェンは狩を好むエリザベスのために、狩場のある新築カントリーハウスをエリザベスに提供したかったのでした。
クラヴェンは、アッシュダウンに狩場を持ち、エリザベスが居住するのに、最適だと判断したのです。
しかし、アッシュダウンハウスが完成する前に、エリザベスは亡くなります。エリザベスは彼女の手紙類、狩の表彰トロフィーや肖像画を、クラヴェンに遺贈しました。2人の関係がどのようなものであったかは、今となっては誰も知ることはありませんが、強い信頼関係で結ばれていたと言えるでしょう。
エリザベスとフリードリヒの13人の子供のうち、次男、カール1世ルートヴィヒ(1617-1680)はヴェストファーレン条約(1648)後、新選帝侯としてドイツに戻り復位しました。そして、エリザベスとフリードリヒの12人目の子供であるゾフィー(1630-1714)は、ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグスト(Ernest August, 1771-1851) と結婚し、ゾフィーとアウグストの子供、エリザベスの孫となるジョージが、イギリス国王ジョージ1世(1660-1727)となりました。
ジョージは、エリザベスが逝去する2年前、1660年に誕生しました。6歳の時に父フレデリックを亡くしたゾフィーは、クレヴェンの経済的援助で、王族としての体面を保てる生活をなんとか送っていました。
現在のイギリス王族とイギリス王継承権保持者は、全員ジョージ1世の子孫であり、すなわち全員エリザベスの子孫になります。クラヴェンの名前が、英国王室の歴史で語られることは、あまりないと思いますが、重要な役割を果たした人物といえるのではないでしょうか。
アッシュダウンは、訪れたい邸宅の一つです。アッシュダウンを画像でみると、どことなくストークセイがもつのと同じ穏やかさが感じられるように思います。



参考 : Marie Hay, The Winter Queen, 1910,Henry Summerson, Stokesay Castle, 2022
