ウェールズ、カーナフォン城。1968年に現イギリス国王チャールズ3世のプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子の称号)の叙爵式が行われた場所です。エリザベス2世とチャールズ皇太子は式後、写真に写るバルコニーから国民に挨拶されました。バルコニーは叙爵式のために新設されました。

今年も「英国歴史の館」をご覧いただき、ありがとうございました。

みなさまにとって、2024年はどんな年だったでしょうか?

私は夏に3週間ほどイギリスへ行き、40箇所の歴史の館を訪れました。移動につぐ移動で、運転距離は1,200マイル(約1,920km)。よく走りました!今年のハイライトは、北ウェールズの古城群(コンウィ、ビューマリス、カーナフォン、ハーレイなど)でした。イングランド・コッツウォルズでは猛暑(ホテルなどにエアコンは無い)で汗だくでしたが、北ウェールズへ移動すると、すーっと涼しくなり、そして寒くなり、ホテルでは暖房をいれるほどに。温かいコーヒーが嬉しかったのを思い出します。

旅の間、色々なことがおき、様々な出会いがありました。今となっては全て良い思い出です。

今年3月に大学院の修士課程を修了しました。2年間での大学院での学びは、私の視野を広げ、思考を深くしてくれました。指導してくださった先生方には、改めて感謝いたします。

このサイトでは2025年も引き続き、毎月第四金曜日に古城・邸宅に関する一話を公開します。ご覧いただければ嬉しいです。

写真のカーナフォン城は、ウェールズを征服したエドワード1世(1239-1307) によって1283年から建築された要塞です。

最初の写真のバルコニーから、城内部を臨む。
丸いステージの上で、チャールズ皇太子のプリンス・オブ・ウェールズの叙爵式が行われました。
丸いステージから、バルコニーがあるクイーンズ・ゲートを臨む。
塔と塔は、このような通路でつながる。通路は整備されているものの、小雨で滑りやすかったです。
塔の上から、コートヤードを見下ろす。
左手に見えるクイーンズタワーの中は、軍事博物館。奥のイーグル・タワーは、屋上に3つの塔が建つユニークな造り。ウェールズの旗がたなびいていました。
入り口付近にある城の全体像がわかるジオラマ。手はエドワード1世の手ですね、きっと。
入り口があるキングス・ゲート。石像はエドワード2世。

エドワード1世の長男エドワード(Edward II, 1284-1327) 2世は、カーナフォン城で生まれました。イギリスでは、君主が皇太子にプリンス・オブ・ウェールズというタイトルを与えることがあります。ウェールズで生まれたエドワードをエドワード1世がプリンス・オブ・ウェールズと呼んだことから始まった慣習です。(皇太子=プリンス・オブ・ウェールズではなく、君主がタイトルを与えたときのみ。与えないこともある。)

エドワード1世はカーナフォンの居住者を、40人の兵士(内15人はクロスボーと呼ばれる石弓の射手と指定)、聖職者、鎧職人、武器職人、大工、石工、鍛冶職人と女性召使と洗濯人と規定していました。城の中では村のようなコミュニティが形成され、王の留守中も人々の生活が営まれていました。私が訪れたときは人が少なく静かでしたが、当時は職人たちの槌の音、女性達の声が賑やかだったことでしょう。

2時間ほど運転してカーナフォンに着いたのは、開館前の朝8時頃。まだ開いている店はなく、スーパーのカフェへ。寒い小雨の日、温まるために二度目の朝食をとることにしました。温かいスクランブルエッグとクロワッサン、カフェオレが心身をほっとさせてくれました。9時になるのを待ってカーナフォン城へ。開館直後で人は少なく、寂寥とした雰囲気を味わうことができました。階段が狭くて急で、段差は均等でなく(慣れていない敵を転ばせるために意図的にそうなっている)、しかも雨で滑りやすく、転がり落ちては大変と緊張しました。明かりは小さな窓から差し込む自然光だけで、真っ暗な部屋や通路もありました。城内を一周し、その広さと難解な通路の造りを実感しました。スパイや敵が入り込むと迷ってしまうことでしょう。

エドワード1世は、特別なエネルギーと知力の持ち主であったことがわかりました。鉄道も車もないのにはるばるイングランドから馬でやってきてウェールズを征服し、大規模な要塞を短期間でいくつも建築。建築物は、何百年経っても施主の美意識や知力、情熱、エネルギーレベルと実行力を伝えてくれます。建築物=施主、その人です。