ヒストリックハウス名:アランデル・カースル

所在地域:ウェスト・サセックス

訪問:2025年5月22日

ファール、正面玄関、左右対称の新古典主義様式

イギリス南部サセックスにあるファール・プレイス(以下ファール)を訪れた日は、青空が広がる暑い日でした。近年、イギリスでも5月は暑い日が多い!

半円のベランダが素敵です

領地の門を入ると緑の牧草地が、延々と続きます。「子羊がいるので速度に注意」(制限時速10マイル)という標識を何度も見て、ハウスはまだ?と思った頃に、白いハウスが青空に浮かぶように現れました。「パーキング」のサインはどこにもありませんが、ハウスの門の前の草地に無造作に車が数台、とりあえず私も並ぶようにして駐車しました。門を入っても何もサインがないので、なんとなくこっちかなーと歩いていくと、テラスでお茶を飲んでいる方々が数人。

この日、ファールはツアーでないと見学ができない日だったので、てっきりお茶を飲んでる人々はツアーに参加する人だと思い込み、私もテラスの周りを散歩するなどしてのんびりしていました。しかし、いつまでたってもツアーが始まる様子がありません。

心配になってカフェの方に訊ねると、集合場所は別の場所! 開始3分前。猛ダッシュで、集合場所であるハウスの玄関にかけつけると、ガイドの方が人数を数えているところでした。ギリギリの到着になってしまいましたが、にこやかに迎えてくださいました。

John Gage (1479-1556 ), ジョン・ゲージ

主階段の一番目立つところにあるジョン・ゲージの肖像画、肖像画を囲む装飾がひときわ立派で、子孫が敬意を示していることがわかる

ヘンリー8世 (Henry VIII, 1491-1547) といえば、6人の妻、そして臣下を次々に処刑したことで知られます。しかし、ファールを建築したジョン・ゲージ(以下ゲージ)の履歴からは、ヘンリー8世の意外な一面が見えるような気がします。

ゲージの祖父ジョン・ゲージ(John Gage, d. 1475 ) は、エドワード4世により騎士に叙爵されましたが、祖父、ゲージの父ウィリアム (William Gage, d. 1497) 共にそれ以上の昇進はありませんでした。貴族でなく、親の権力行使をあてにできない身でしたが、ゲージはロンドン市議員の守衛から自分の才覚と実力で、ヘンリー8世が遺言執行者に指名するほどの側近になり、ファールを建築する財力を手にいれ、東サセックス一帯の大地主になりました。

さらにゲージはヘンリー8世が敵とみなしたカトリック信者でしたが、それを隠すこともしませんでした。

自分の離婚を認めないローマ教皇と縁を切って、英国国教会を設立し自らがその首長となったヘンリー8世にとってカトリックは異端。カトリック教徒たちはイギリス国教会への改宗を迫られ、応じないものには処刑、罰金、降格、追放などの措置が待っていた世の中でした。

1503年、24歳のゲージはロンドン市議員の守衛から王家の下僕に転職、そしてヘンリー8世のフランス遠征に従軍、この従軍で功績をあげたゲージはカレー (Calais, 1347年~1558年はイギリス領、場所はフランス北部でドーバー海峡のドーバー対岸)の監査官に任命されました。1528年にイギリスに戻ると、ヘンリー8世の副侍従 (Vice-Chamberlain to the King) に。次には近衛兵隊長にまでなり、1629年にはサセックスの代表議員、1540年には王家の牢獄であるロンドン塔の塔主となります。

さらに1541年には、今でもイギリスで最高の栄誉とされるガーター騎士の叙勲を受けました。

ゲージは祖母からファールの土地を相続していましたが、1541年頃までにさらに周辺の土地の買い増しを続けて東サセックスの大地主になり、今に残るファールを建築しました。1543年には王家の領地であるランカスター公領の宰相にもなり、ヘンリー8世のゲージへの厚い信頼がわかります。

ヘンリー8世はローマ教皇と縁を切ったあと、イングランドのカトリック修道院や教会を没収して破壊し、臣下に売却または下賜しました。1541年にリューズ (Lewes) 修道院の専有権を得たゲージは、破壊されたリューズ修道院の大量の石材をファールの建築に使いました。

修道院からきた石材でしょうか、白い花との調和が美しい

ゲージは、1542年のスコットランド戦、1544年のブーローニュ(Boulogne) 包囲戦にも参戦し、ヘンリー8世と共に戦っています。

ヘンリー8世の臣下トマス・モア (Thomas More, 1478-1535)、トマス・クロムウェル (Thomas Cromwell, 1st Earl of Essex, 1485-1540) らはヘンリー8世の信頼が当初は厚かったものの、後に処刑されています。カトリックでありながらヘンリー8世の信頼を失うことなく昇進を重ね、富と栄誉を与えられたゲージの存在は、ヘンリー8世の「臣下の実力重視主義」を私達に伝えているかもしれません。何度もヘンリー8世と共に従軍したゲージ。ヘンリー8世はゲージの戦場での戦いぶりからも信頼を高めたことでしょう。

ゲージの時代から残る暖炉

カトリック教徒だったゲージは、伯爵などの位階を与えられることはありませんでした。しかし、信頼から得た富で東サセックスの大地主となりファールを建築し、土地と館は今に至って子孫に承継されています。

この周辺で地主といえばゲージ一族のこと。ゲージの頑張りは500年後の子孫にも恩恵をもたらしているのです。

ゲージの子孫によって内装が変えられた応接間、円柱や肖像画の上の飾りに新古典主義様式の影響がみられる
暖炉の周りの大理石の装飾と暖炉上の肖像画のフレームの組み合わせが、美しい
肖像画それぞれにライトがつけられている
お皿も装飾品になっている、お皿の下の本棚は実用目的かな
キャスターつき回転式ミニ本棚、便利そうです
もともとはレンガ造りだった壁に石材を貼り付けていることがわかる壁。蔦系植物と調和し、いい感じになっている

参考:Tim Knox. Firle Place, East Sussex, 2000