ヒストリックハウス名:ディーン・パーク
所在地域:ノーザンプトン
訪問:2025年8月25日

2025年2回目の旅はノーザンプトンを中心に巡りました。ノーザンプトン周辺には16世紀、17世紀またはそれ以前に建築された館が多く残り、ディーン・パークもその一つです。
車を降りると川の向こうにゴシック的な塔がアクセントになっている優雅な館が小さく見えました。駐車場と館の間には、川があります。川にかかる美しい橋を渡る時、館への期待感が高まります。カントリー・ハウスの目的は施主の富やセンスを見せつけること。初めて来る訪問者にどんな気持ちを抱かせるか… 館に近づいて行くアプローチはセンスの見せ所です。
橋を渡って期待感は大きく膨らみましたが、さて、どこが入り口なのかがわかりません。

迷路にはいったかのような不思議な感覚に。
入り口はどこかな?ハウスの裏側へ続く道を辿っていると若い女性が現れ「入り口はあちらです」と、にこやかに案内してくれました。中庭に入るとそこは、石畳のイタリア風パティオ。

入り口のように見えるところには「出口」(Way Out) の表示。どこから入るのかな??
改めて女性に尋ねると、「あちらから入ってね」と。示された方をみるとパティオの片隅に地味な扉がひっそりと開いていました。お邪魔します、という感じで入ると見学の方が数人。ここからは撮影禁止でした。
現在に至るまで500年以上、ディーン・パークに住むのはブルーネル一族。
ブルーネル一族は14世紀にリチャード2世(1367-1400) に仕えて以来、宮廷で権力を徐々に増し、16世紀になるとロバート・ブルーネル (Robert Brudenell, 1461-1531 ) が1505年に国会議員、そして国王付き裁判官(King’s Attorney) になりました。
ロバートは社会的地位の上昇とともに土地の取得をすすめ1514年にディーンを入手、死亡するときには7つの地域に土地をもつ領主になりました。

ロバートの領地は息子トマス(Thomas Brudenell, 1497-1549) 、孫エドマンド(Edmund Brundenell, 1521-85) に引き継がれました。
エドマンドが改築を手がけた1600年頃、イギリスではまだ新古典主義様式(ローマ、ギリシャの建築の要素を取り入れた建築様式)はあまり普及していませんでしたがエドマンドはパティオなど同様式の要素を取り入れているのが興味深いところです。玄関のポーチのフリーズ(幅の広い帯状の部分)ではマーメイドと天使がエドマンドと妻アグネス・バッシーの紋章を支えてるレリーフ(浮き彫り)がありますが、レリーフつきのフリーズは新古典主義建築の特徴の一つといえます。
グレートチェンバー(The Tudor Great Chamber ) の石膏細工のある天井はイタリアの建築家セルリオ(Sebastiano Serlio, 1475–1554) のデザインを基につくられ、ここでもエドマンドは新古典主義様式を取り入れています。
今回の主役は子供がいなかったエドマンドから1606年にディーンを継承したエドマンドの甥でロバートの曽孫であるThomas (Thomas Brundenell, 1578-1663、以下トマス)です。
ブルーネル一族は英国国教会設立後も改宗を拒み続けた、カトリックです。
Thomas Brudenell (1578- 1663), トマス・ブルーネル、初代カーディガン伯爵
曽祖父ロバートが残した土地から年間5,500ポンドの収入(1635年)があったトマスはディーンを増築し豪奢な生活を送りました。トマスが増築したベッドルームの一つ「タワールーム」(The Tower Room ) の天井にはトマスと妻メアリーの紋章をあしらった石膏装飾があります。紋章をモチーフにした装飾は増築、改築をした施主を知る手掛かりとなります。
トマスはカトリックであることを理由にしばしばロンドン塔に収監されました。収監されている間、トマスは館に保管されていた古文書を読むことに時間を費やし、ヘンリー7世がロンドン市長ヘンリー・コレット(Henry Colet) と共にディーンに滞在したことを確信しました。「ヘンリー7世の部屋」(King Henry VII’s Room) はそうした確信から名付けられたようです。
ボウ・ルーム (The Bow Room ) の書架には、トマスの蔵書が今も収められています。クロムウェルの軍が1643年にディーンを占領したときにトマスの蔵書はロンドンに持ち去られましたが、内戦後、トマスはほとんどの本を取り戻しました。しかしトマスは自分の本をとりもどすのに対価を払わなければならず激怒したということです。書架には、義理の父、トマス・トレシャム (Thomas Tresham, 1543-1605、以下トレシャム) の本も300冊ほどあり、そのうちの多くにトレシャムのブックプレートがつけられているということです。
トマスの妻、メアリー (d. 1664) は熱心なカトリック教徒だったことで知られたトレシャムの娘でした。トレシャムは英国国教会へ改宗を拒んだことからトマス同様、度々、多額の罰金を課せられ、ロンドン塔に収監されました。そういった抑圧にもめげずトレシャムはカトリックへの信仰を建築で表現しました。トレシャムが建築したリヴデン・ニュービルト(Lyveden New Bield) とトライアンギュラー・ロッジ(Triangular Lodge ) はカトリック信仰を明らかに示していることで知られます。カトリック、王党派、そして建築好きということで、トマスとトレシャムには共通点が少なくとも3つあったといえます。
トマスは財力を爵位にも投じました。ジェイムズ1世の時代、爵位は相応の条件を満たしていれば購入が可能で、トマスは1611年に準男爵位を1,000ポンドで1628年に男爵位を6,000ポンドで購入し、貴族の仲間入りを果たしました。
そして、トマスが伯爵位へとアップグレードするチャンスがやってきます。
議会軍によりワイト島のキャリスブルック城(当サイト参照)に収監されていたチャールズ1世はトマスの爵位への野望を逆手にとってか、1,000ポンド送ってくれたら伯爵位を与える!と書き送りました。その後チャールズ1世は処刑されてしまったものの、王政復古後、チャールズ2世はトマスをカーディガン伯爵位に叙爵しました。トマスはすでに80代でした。
グレートホールには、老いて弱々しい表情をした80歳のトマスの肖像画があります。内戦の間、何度もロンドン塔、ノーザンプトンの牢屋に入れられたトマス。チャールズ1世処刑後、王政復古までの間は相当な緊張が続いたのではないでしょうか。肖像画の表情はその疲れを今に伝えるかのようです。


参考:Charlotte Brudenel, Deene Park, 2023
