リチャード3世が生まれ(1452)、スコットランド女王だったメアリーが処刑された(1587)フォザリンゲイ・カースル。今は城壁の一部が残るのみ。

今年も「英国歴史の館」をご覧いただき、ありがとうございました。皆様にとって2025年は良い年でしたでしょうか。

私は大学院後期博士課程に入学し新たにイギリスの歴史に取り組むことになりました。いまのところ研究は17世紀前半が主な対象です。夏と初秋、イギリスへ2回行き50ヶ所以上の館を訪れました。夏はサセックス、初秋はノーザンプトン周辺の館を巡りました。これまでの訪問数は通算で265ヶ所ほどに。そしてこのブログは来年8年目を迎えます。

あえてハイライトを挙げるとすれば、ウェルベック・アビー付属のハーレー・ギャラリー (The Harley Gallery) でチャールズ1世が処刑時につけいてたピアス(レプリカではない実物)を見たこと、2026年9月イギリスで公開予定の映画『Sense & Sensibility』の撮影にお邪魔できロケ弁を頂いたこと、そして今回ご紹介するフォザリンゲイ・カースルを偶然に訪れることができたこと、の3つかな。

フォザリンゲイはリチャード3世 (1452-1485) が生まれ、メアリー・スチュアート( 1542-1587) が処刑された場所ですが、メアリーの処刑後、荒廃が進み、今では写真のように城の壁の一部と城が立っていた丘が残るのみとなっています。

いつか訪れたいと思っていましたが、残るのは城壁の一部だけということで後回しになっていたのが、偶然に近くにあり訪れることができました!旅は入念に計画していきますが、今回のように見落としいたスポットを、現地でおやっと見つける喜びはなんともいえないものです。

城の配置がわかる案内板。ウィリアム征服王 (1027?-1087 )らの築城スタイル、モット&ベイリー(motte-and-bailey)。盛り土をして小高い丘 (motte)をつくり、丘のふもとに塀や堀で囲まれた台地(bailey) を築いて住居などを配置する。フォザリンゲイもこのスタイルだった。
後ろにmotte 跡が見える。実際に歩いて登りましたが、写真の印象より高くて急勾配。
城跡の周りは、草原が広がる

映画やドラマではメアリーの処刑は外で行われていますが、実際はグレート・ホールで行われたようです。元スコットランド女王に敬意を払ってか、ノーザンプトンの天候を考えてのことか。処刑を描いた当時の絵を見ると、多くの処刑立ち合い人がいるので雨だと大変そうです。

メアリーはリンリスゴー (Linlithgow Palace、当サイト参照 )で生まれ、エディンバラ・カースル( Edingburgh Castle )でジェイムズ(のちのジェイムズ1世)を出産し、ジェイムズの洗礼式をスターリン・カースル (Stirling Castle )で行い、フォザリンゲイで処刑されました。リンリスゴー、エディンバラ、スターリンは訪問したので、これでメアリーの聖地訪問は四ヶ所目。

2026年が、皆様にとって素晴らしい年になりますように!

来年も「英国歴史の館」をよろしくおねがいします。