ヒストリックハウス名:ロッキンガム・カースル

所在地域:ノーサンプトンシャー( Northamptonshire )

訪問:2025年8月31日

矢狭間がアクセントになっている城門、手前のアスファルト道路は内戦前は堀だったが、内戦終了時に議会により埋められ、非要塞化された

Lewis Watson (1584-1653), 1st Baron Rockingham: ルイス・ワトソン、初代ロッキンガム男爵

ウィリアム征服王が建築し王領だったロッキンガム・カースル(以下ロッキンガム)は、1544年にヘンリー8世 ( 1491-1547) がエドワード・ワトソン(1549-1617) に貸出して以来、現在もワトソンの子孫が住んでいます。

ジェイムズ1世(James I, 1566-1625, 以下ジェイムズ) はイギリス国王になった1603年にワトソンを騎士に叙爵し、翌年ロッキンガムを訪問。訪問期間中に今回の主役、ワトソンの長男ルイス (Lewis Watson, 1584-1653, later 1st Baron of Rockingham、以下ルイス) を騎士に叙爵しました。

ルイスは1614年と1625年、リンカーン代表の議員になり国政に参加し、ジェイムズの寵臣バッキンガムの友人に。そしてバッキンガムが勧めたのか、ジェイムズは再び1619年にロッキンガムを訪問。この二度目の訪問までにルイスは王室からロッキンガムを買取っています。

ルイスは最初の妻が結婚1年目に出産で亡くなったあと、エレノア・マナーズ(Elenor Manners, d. 1679 )と再婚しました。

内乱が始まると、エレノアの父系ラットランド伯爵家(エレノアの父はジョージ・マナーズ、George Manners, 1569-1623、ジョージの祖父はトマス・マナーズ、初代ラットランド伯爵) は議会派に。ルイスは迷うことなく王党派でしたが、万が一の場合を考えてのリスク分散だったのでしょうか、自分の金銀財宝をラットランド伯爵家のメインのハウスであるビーバー・カースル(本サイト参照)に預けました。

しかし、ビーバー・カースルは王党派に占拠され、預けていた金銀財宝は王党派のものとなってしまいました。。

さらに1643年にロッキンガムは議会軍に占拠されました。王党派の人々は「ワトソン、すぐに降伏しすぎ」とルイスを責め、チャールズ1世の命令によりルイスは逮捕され、皮肉なことにビーバー・カースルの牢獄に収監されてしまいました。

ルイスはビーバー・カースルから王党軍本陣のオックスフォードの牢獄に移されましたが、ルイスの収監中にオックスフォードは、議会軍に占拠されました。牢獄にいたルイスは議会軍から、「国王軍に味方した罪」の罰金として5,000ポンドを課され(今だと数億円という計算もある)ました。

王党軍に財産をもっていかれたうえに逮捕されて収監され、議会軍には自宅を占拠され罰金を課され、名誉も財産もメンタルもズタズタになってしまったルイスですが、議会派に鞍替えすることはなく、1645年にロッキンガム男爵に叙爵されました。

内戦終結後、議会はロッキンガムを非要塞化することを決定し、ウィリアム征服王が築城したキープと城壁は破壊され、堀は埋められてしまいました。

内戦時に、財産を王軍、議会軍の両方に吸い取られてしまった気の毒な貴族の一例です。

ハウスの入り口、内部は撮影禁止
煙突の下は暖炉、建物外観は16世紀から変わっていない
ウィリアム征服王時が建築した要塞があったところは、今はガーデン

参考: James Saunders Watson, Rockingham Castle, 2019