ヒストリックハウス名:Lanhydrock(ランハイドロック)

所在地域:イギリス、サマセット

✴ダリアの訪問・一言感想✴

ランハイドロックは、7万エーカーという広大な敷地に建つハウスで、景観保護を目的にナショナル・トラストが引き受けました。広大な森が広がる敷地で、レンタルバイク(自転車)でサイクリングすることもできます。

森を左右に見ながら坂を下っていくと、それ自体がまるでお城の一部のような立派なゲートハウスが現れ、続いてジャコビアン風の大きな館が目に入ります。

特徴的に刈り込まれた大きな植栽との組み合わせが、独特な風景を描きます。ハウスの中は、数えきれないほどの部屋があり、当時のインテリアや生活小物がそのまま残っている一つ一つの部屋をじっくり見ていると、あっという間に時間が経ってしまいました。

最後の部屋、天井に込み入った石膏細工(創世記の物語描写が一面にほどこされている)ギャラリーは、圧巻です。このギャラリーは、1881年4月4日の大火災を奇跡的に免れ、17世紀の石膏細工がオリジナルのまま残っています。

ハウスの裏手にあるガーデンは、坂を上りながら見ていく設計で、迷路のような散歩道をゆったり歩き、このハウスで生涯を送った人々のことをイメージするのでした。

帰国してから、映画「十二夜」(1996年、監督:トレバー・ナン)を見たところ、殆どの場面がこのランハイドロックで撮影されていました。(もうひとつのロケ地はセント・マイケルズ・マウント、本サイトの別記事をご一読ください。)特徴的なゲートハウスや植栽ですぐにわかります。ランハイドロックに行かれる方は、ぜひ「十二夜」をご覧になることをお勧めします。

✴ダリアのインサイト✴

~ノブレスオブリージュの悲しい結末~

ランハイドロックは、16世紀からロバーツ一族が、1881年の大火災がありながらも、継続して住み続け、領地を運営してきていました。この館が最も賑やかだったのは、ヴィクトリア時代、第2代トーマス卿と妻、メアリーそして彼らの10人の子供たちが、80人の使用人と共に生活していたときだったでしょう。大人の生活から隔離された上の階にあるナーサリー(子供部屋)やスクールルーム(当時、男子は、パブリックスクールに上がるまで、女子は結婚年齢に達するまで、家で家庭教師から教育を受けていた。)は、子供たちの声で常に賑やか、大人たちは広い館で日々、社交に興じ、広大な領地の運営は、豊かな生活を支えていました。

そして第2代トーマス卿の長男、トミー・アガー・ロバーツ(1880-1915)は、イートン校からオクスフォード大学クライストチャーチ・カレッジに進み、政治家となり、次世代の当主として、順調なキャリアを歩んでいました。双子の妹ジュリアを含む8人のきょうだいの兄として育ち、リーダーシップに富み、生来の勇気と機知に富み、社交界でもいつも中心にいて、それでいて偉ぶることなく、優しさに溢れるトミー。両親は、そんなトミーに全幅の信頼をおき、次世代の明るいランハイドロックは約束されていると、何の不安もなく20世紀を迎えたのでした。

トミーは、恵まれた環境に育ち、その時代の最高の教育を受けて、ノブレスオブリージュ(高貴な者が負う責任)を骨身に沁み込ませながら、育ちました。第一次世界大戦が始まり、知人友人、地元の仲間、領地の使用人が出兵していくのを日々見る中、トミーは将校でありながらも、前線にいない自分を、どうしても許せなくなります。

自ら志願して、フランスの前線地ルースに行き、胸を撃たれ、戦死してしまいます。5人の成人した息子のうち2人が戦死、1人は心身症に陥り自死。娘たちも独身、または子供がおらず、第2代トーマス卿の10人の子供の次の世代は、女子レイチェルただ1人となり、ランハイドロックはナショナル・トラストに引き継がれました。

トミーが戦死した、その時からランハイドロックの一族の館としての“終わり”が始まったのでした。トミーは、ヴィクトリア時代の全ての“ハイクラス”を持って生まれ、生まれてから必要とされる“ハイクラス”を身につけ、高い志を常にもち、時代が求める“ハイクラスの素晴らしい”人物だったのです。しかし、そうだったからこそ、次の時代に繋がることができなかった。ノブレスオブリージュという概念が、そこにあったから。

何が正しいのか、どうあるべきなのかは、明快に判断することはできません。

ただ、母親メアリーの悲しみは、どこまでも深く、その落胆を、どうすることもできないまま、トーマスの死後6年後、68歳で亡くなりました。

トミーのベッドルーム、トミーのトランクと帽子

※史実に基づいた筆者の考察です。

参考資料:「Lanhydrock」National Trust