16世紀に造られた門、紋章にはイングランドを象徴するライオンとスコットランドを象徴するユニコーンがみえる

ヒストリックハウス名:スクーン・パレス

所在地域:スコットランド

訪問:2023年6月28日

スコットランドの代々の王は、15世紀半ばまでスクーン・パレスにおいて戴冠されていました。そして戴冠の時、王は「スクーンの石」(the Stone of Scone)に座るのです。

この「スクーンの石」の発祥の地が、スクーン・パレスです。

2017年にスコットランドを訪問したとき、スクーンは通り道にあったのですが、時間の関係で訪れることができず、残念でした。

なので、今回は、今度こそ!という意気込みで、朝一番に訪問しました。

スクーン・パレスは、昔日は王家の城でしたが、ジェイムズ6世(James VI & I, 1566-1625) が、1600年に現当主のマンスフィールド伯爵家の祖先、デイビッド・マリー (Sir David Murray of Gospetrie, 1st Viscount Stormont, d. 1631) に与えて以来、マリーの子孫、マンスフィールド伯爵家の城となりました。マリーは、ジェイムズ6世の飲み物係(Cup bearer) で、肖像画では大きな盃をもっています。盃が立身出世のきっかけになったからでしょう。

今回は、スクーンが王家の城だった時代に、「スクーンの石」を誕生させたケネス・マクァルピンについて書きます。

銃眼とゴシック窓の組み合わせは、19世紀初頭に建築された邸宅によく見られる

Kenneth I, MacAlpin  (d. 859)

9世紀初頭、スコットランドではスコット族のダルリアダ王国とピクト族のオールバ王国は対立していましたが、王族には婚姻関係がありました。

ケネス・マクァルピン(以下ケネス)は、父王の死により、839年~841年頃にダルリアダ王国の王になりました。祖母がピクト族であるケネスは、スコットとピクトの両族統一を目指し、846年にはオールバ王国に一大決戦を挑んで圧勝しました。

ケネスは、オールバ王を宣言し、ダルリアダ・オールバ連合王国の統一国王ケニス一世となりました。ケネスの軍事力とリーダーシップは、数世紀続いていたピクトとスコットの抗争を終わらせ、後にスコットランドが統一される基盤となりました。

その背景には、ピクト族がピクトの血を引くケネスを、受け入れやすかったこともあるでしょう。血縁が、人間に寛容をもたらした例といえます。

ケネスは、王国の宮廷を西部のオウバン(Oban)の北にあるダンスタフニッジ(Dunstaffnage)からオールバ王国の中心であったスクーンに移し、スクーンで政治を行いました。

歴代のダルリアダ王は、「運命の石」(Stone of Destiny, or  Fatal Stone)を戴冠の座として使用してきました。伝説では、石は聖地パレスティナで聖ヤコブの枕であったとも、スペインの聖地にあったものを持ってきたとも言われています。

ケネスは、遷都時に「運命の石」もスクーンに移し、この石に座って、846年にダルリアダ・オールバ王としての戴冠を受けました。

以来、歴代のスコットランド国王は、この石に座って戴冠を受けることになりました。石は「スクーンの石」と呼ばれ、いつしかスコットランドを象徴する存在となります。

しかし、1296年スコットランドを攻めたイングランド王エドワード一世( Edward I, 1239-1307)は、スコットランドの象徴「スクーンの石」を戦利品としてイングランドに持ち帰ってしまいます。

エドワード一世は、イングランド王が戴冠時に座る椅子を新たに作らせ、その椅子にスクーンの石をはめ込みました。イングランド王として戴冠されるとき、スクーンの石の上に同時に座ることになります。エドワード一世は、イングランド王=スコットランド王であるという概念を椅子に持たせたのです。

エドワード一世、わかりやすい椅子を作ったものです。

この椅子はウェストミンスター・アベイに置かれ、エドワード2世以降の歴代イングランド王は、「スクーンの石」がはめこまれたこの椅子で戴冠されています。

2023年5月6日のチャールズ3世の戴冠式でも、チャールズ3世はエドワード一世が作らせた戴冠専用椅子に座っていました。そして、スクーンの石も椅子の下にありました。

ケネス以降、ジェイムズ4世(James IV, 1473-1488)が宮廷をエディンバラのホリールード宮殿(本サイト参照)に移すまで、スクーンは政治の場であり続けました。

1600年以降はスクーンは王の家ではなくマリーの子孫の家となり、スクーンの石はイングランドの戴冠椅子の中に700年間置かれ続けました。しかし、それでも「スコットランド王はスクーンで戴冠される」という「しきたり」は残りました。

1649年にチャールズ1世(Charles I, 1600-1649) が処刑された後、息子のチャールズ2世(Charles II, 1630-1685) はスクーンでスコットランド王として1651年に戴冠されます。しかし、クロムウェルに追われ、数ヶ月のうちに国外逃亡となりました。

名誉革命(1689) 後、ジェームズ2世( James II, 1633-1701)の次男※、ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュワート老僭王 (James Edward Stuart, the Old Pretender, 1688-1766)は、1715年にスクーンへ戴冠目的でやってきましたが、イングランド軍に追われ、戴冠前にフランスへ逃げざるおえなくなりました。

このように「スクーンの石」の象徴的意義は、年月を経ても無くならず、むしろ重要性を増していった、と言えるかもしれません。

熱烈なスコットランド愛国者の青年たちが、1950年にウェストミンスター寺院に置かれている戴冠椅子から、「スクーンの石」を持ち出し、スコットランドへ持ち帰りました。

「スクーンの石」は警察によって見つけ出され、ウェストミンスター寺院に戻りますが、1996年からはイングランド側の政治的配慮により、エディンバラに保管されています。チャールズ3世の戴冠時は、エディンバラから運んできて、一時的に戴冠椅子にはめこんだようです。

私は、以前ウェストミンスター寺院で、戴冠椅子を見ましたが、石は、はめこまれていませんでした。エドワード一世が作らせた戴冠椅子は、さすがに年季が入っていて古く、どちらかというと古ぼけた印象でした。しかし、チャールズ3世の戴冠式では、とても立派に見えました。王とセットになると見え方が変わります。

「スクーンの石」は、本物か?という謎は今も残ります。

偽物説①

エドワード一世が持ち帰ったのものは偽物説:エドワード一世が攻めてくることを事前に知り、司教らが本物を隠し、よく似た偽物の石を所定の場所に置いた説。

偽物説②

もし、エドワード一世が持ち帰ったものが、本物であったとしても

1950年にスコットランドの青年たちが運び出し、どこかへ秘蔵。警察が見つけ出したのは、よく似た偽物だった説。

1383年にJohn of Fordoun (d. 1384) が、年代記に「スクーンの石があるところが、スコットランドを統治する者」と書き残していますが、問題は現在「スクーンの石」だとされているものが、本物の「スクーンの石」であるかはいまだに不明、ということのようです。

日本語でも英語でも「石」というのは、石そのものよりも、「石」という言葉がもつ威力というか、威厳が意味を持つと思います。数千年を経ても、多少形は変われど、「石」は存在し続けるからでしょうか。「スクーンの石」すなわち ‘the Stone of Scone’ は、石そのものよりも、伝統的戴冠石が存在するという概念の存在が、スコットランドの人々の結束を強くしているように思います。よって、今の石が本物か、偽物かというのは、多くの人にとって、あまり大きな問題ではないのかもしれません。

「スクーンの石」は、民族の結束には、なにか目に見えるものがあるのが重要、ということを教えてくれます。

「スクーンの石」のレプリカが置かれていました。どちらかというと小さな石で、石そのものから何かを感じる、といったものではありませんでした。ギフトショップで、「スクーンの石」グッズは見つけられませんでした。「スクーンの石」消しゴムやマグネットなどありそう。。。と思ったのですが。文法具にするような対象ではないようです。

レプリカは、邸宅敷地内のチャペル近くにある
エドワード1世が持ち帰るまで「スクーンの石」はここにありました、と
なぜリングがついているのかな?

スクーン・パレスは、現在もマンスフィールド伯爵家が実際に住まわれているため、ハウス内の写真撮影は禁止でした。

ボールのように刈り込まれた植木が、現代味をそえている
入り口には誰もいないが、近づくと中から扉を開けてくれる。細いゴシック窓がアクセント

第3代マンスフィールド伯爵デビッド(David William, 3rd Earl of Mansfield, d. 1840) がゴシック様式に改築したハウスは、ヴォールト天井、尖頭アーチを多用した内装です。書斎(The Library)では、尖頭アーチの形のガラス扉をもつ書棚がずらりと並んでいるのが見事でした。中央に置かれたデスクの側面4面にも、金細工の尖頭アーチがびっちりとほどこされ、ゴシック様式への熱意が伝わってきました。

※ジェームズ2世の長男は愛妾アラベラ・ステュアートとの間に産まれたジェームズ・フィッツジェームズ, James FitzJames, 1670-1734。

敷地内に、多くの孔雀がいて、キーキーと鳴いていた
スコットランド王が戴冠を受ける地であり、スコットランド議会が開かれた場所でしたと、書かれている

参考 : Jamie Jauncey, Scone Palace, Jarrold, 2022, 森 護『スコットランド王国史話』、1988年