
ヒストリックハウス名:パラム
所在地域:ウェスト・サセックス( West Sussex )
訪問:2025年5月23日
パラムには16〜17世紀の王室関連の肖像画が多数あります。ジェイムズ1世 (James I, 1566-1625)、チャールズ1世 (Charles I, 1600-1649) 、チャールズ1世妃ヘンリエッタ・マリア (Henrietta Maria, 1609-1669) 、ヘンリー皇太子 ( Henry Frederick, Prince of Wales, 1594-1612) 、チャールズ1世の姉エリザベス・ステュアート(Elizabeth of Bohemia, 1596-1662) 、デンビー伯爵夫人(Susan Villiers, Countess of Denbigh, 1583-1652, ジェイムズ1世の廷臣ジョージ・ヴィリアーズの妹で、チャールズ1世王妃ヘンリエッタ・マリアの女官)、エリザベスI世の廷臣ロバート・ダドリー (Robert Dudley, 1st Earl of Leicester, 1532-1588, )、ヘンリー8世の廷臣ヘンリー・ハワード (Henry Howard, Earl of Surrey, 1516-47) など。



これらを見ると、17世紀内乱時、当主は王党派だったことが伝わってきます。
目を引くのは、カストロ ( L. A. Castro, b. 1644) が描いた戦艦「海の主権者号」(Sovereign of the Seas) です。

「海の主権者号」は、チャールズ1世が議会を開かず自ら政治を行なっていた1630年代に建造されました。イングランド初の本格的三層甲板戦列艦で100門以上の大砲を積んだ当時としては最強クラスの戦艦。船尾にはゴールドと金でつくられた王家の紋章や勝利の女神ヴィクトリーが彫られた豪華な装飾がありました。建造費は約40,853ポンドとされ、その財源は「シップ・マネー」(船舶税)。この船舶税はチャールズ1世の独断で徴収され、のちに内乱を招く原因の一つになったとされます。
カストロによる絵画は王政復古後、懐古的に描かれたものです。「海の主権者号」や17世紀の王室肖像画が飾られているのは、内乱期に王側について大変な思いをした当主、エドワード・ビショップを偲んでいるのかもしれません。
Edward Bisshopp (1601-1649), 2nd Baronet: エドワード・ビショップ、第二代準男爵
ヘンリー8世 (Henry VIII, 1491-1547) はパラムのマナーハウスをロンドンの商人ロバート・パーマー (Robert Palmer, d. 1544) に与えました。ロバートの孫トマス・パーマー(Thomas Palmer, 1574-1605、以下トマス) はフランシス・ドレイク(Francis Drake, 1543-1596) の部下で1596年のカディスの戦いで功績をあげた軍人。パラムで過ごすことはあまり無く、トマスはパラムを1598年から国会議員のトマス・ビショップ(Thomas Bisshopp of Henfield、1554-1626、以下ビショップ)にリースし、1601年にはビショップに£4,500で売却しました。ビショップは1603年ジェイムズ1世戴冠の年に騎士に叙爵され、1620年には準男爵位を購入しました。
ビショップが死亡すると、息子エドワードが25歳で第二代準男爵を承継しました。
エドワードは1640年の短期議会、1643年の長期議会の両方で議員に選出され、議会派と国王派が対立する内乱が始まると、国王派に。
チャールズ1世はエドワードを国王派の重要拠点の一つであったアランデル・カースル(Arundel Castle) の総督に任命しましたが、アランデルは1644年1月に議会派に占領されてしまいました。
エドワードはロンドン塔に収監され、パラムの領地は没収され、1645年には7,500ポンドの罰金が課されました。罰金額はのちに4,790ポンドに減額されたとはいえ、エドワードにとっては大変な負担だったようです。
1640年代の内戦での死者数は、第一次世界大戦のイギリス人死者数の数倍であるとされています。一方、議会による王党派の処刑は限られていました。王軍の貴族やジェントリーは地方統治に不可欠であり、社会秩序の維持のためには処刑するよりも罰金を課すほうが議会にとって利が多かったからと見られています。
しかし議会による王党派の処刑はゼロではありませんでした。1648年のコルチェスター包囲戦の後にはCharles Lucas (1613-48) とGeorge Lisle (1610-48) が、降伏後も抵抗を続けたことを理由に銃殺で処刑されています。1949年にはジェイムズ・ハミルトン (James Hamilton, 1st Duke of Hamilton, 1606-1649)、アーサー・カベル(Arthur Capel, 1st Baron Capel of Hadham, 1604-49)、ヘンリー・リッチ (Henry Rich, 1st Earl of Holland, 1590-1649) ら王党派3名が処刑されました。
エドワードはチャールズ1世が処刑された年に死亡しましたが、処刑の記録は無く、死因は明らかにされていないようです。エドワード死後、没収されたパラムは家族に返されました。





参考: Emma Barnard, Parham, 2018.
