ヒストリックハウス名:Powderham Castle
所在地域:ドーセット
訪問:2027年8月26日

映画『日の名残り』(The Remains of the Day, 1993, カズオ・イシグロ原作) は、カントリーハウスが舞台の映画です。外観はディラム・パーク(当サイト参照)で撮影され、室内は今回ご紹介するパウダーハムをメインに、その他いくつかのカントリーハウスで撮影されました。
印象的な場面の一つは、ミス・ケントン(エマ・トンプソン)とスティーブンス(アンソニー・ホプキンス)が下写真の階段を背景に話す場面。この階段で他のいくつかの場面も撮影されました。

ガイドの方は「マーマイト・ステアーズ」(マーマイトとはイギリスで販売されているパンなどに塗って食べる発酵食品で、その独特な味は好き嫌いがはっきり分かれます、ステアーズは階段の意味)だと表現し、苦手な人もいるテイストだと説明していました。ちなみに私はマーマイトは好みではありませんが、こちらの階段は好きです。

続いての印象的な場面はダーリントン卿主催の晩餐会で、下写真のミュージック・ルームで撮影されました。このミュージック・ルームは同作品の最後のシーンでは、卓球台が置かれ家具には白い布がかけられて、迷い込んだ鳩が逃がされるシーンが撮影されています。

ミュージック・ルームは、晩餐会と最後では、全く印象が違い、同じ部屋とは思えないほどです。


大理石風の柱が並び、ペパーミントグリーンの壁には装飾が施され、ピンクのカーペットには楽器の柄が織り込まれているミュージック・ルーム。
このミュージック・ルームはウィリアム・コートネイ(以下コートネイ)が建築家ジェイムズ・ワイアット(James Wyatt, 1746–1813)に設計させました。
裕福な子爵の一人息子として、13人の姉妹と育ち、絵画や音楽を好んだコートネイ。壁にかかる絵画のいくつかはコートネイによって描かれ、パイプオルガンの演奏も上手だったそうです。

20歳のとき、父 ウィリアム・コートネイ(William Courtenay, 2nd Viscount Courtenay, 1742–1788) が亡くなるとコートネイは第3代コートネイ子爵(3rd Viscount Courtenay)になりました。子爵となったコートネイは、自身の成人大祝賀会(イギリスでは21歳) に大勢の客を招けるようにとミュージック・ルームの増築を決めました。しかし、頼んだ先は工事が遅れる建築家・ワイアット。工事はここでも大幅に遅れ、祝賀会は外に設営した大テントで行われました。
若く富裕なコートネイ、何の苦労もなさそう… ところが当時は認められていなかった同性愛者だったコートネイはイバラの道を歩むことに。当時は同性愛者は死刑の対象。告訴されたコートネイは1811年にアメリカへ逃亡、しかしコートネイは、アメリカではスパイの疑いをかけられ収監されてしまいます。2年後パリへ逃れたコートネイは、その後生きてイギリスへ戻ることはできませんでした。
フランス滞在中1831年にコートネイは先祖の伯爵位の復活が認められました。しかし伯爵になってもイギリスには戻っていません。この爵位復活はコートネイ死亡後第10代デヴォン伯爵となる9歳年下のコートネイの親戚、貴族院の書記官ウィリアム・コートネイ(William Courtenay, 1777–1859)の働きかけによるものでした。
コートネイはいつかパウダーハムへ戻ったときのためにと、自身のベッドルームのリフォームを遠隔で行いベッドもあつらえましたが、コートネイがこのベッドで眠ることはありませんでした。

パリで亡くなったコートネイの遺体は今、パウダーハムの敷地内で眠っています。
そしてコートネイの美意識が反映されたミュージック・ルームは、映画の背景となり、世界中の人々が見ることになったのでした。

参考:パウダーハム・公式ガイドツアーでの説明をもとにしています
