ヒストリックハウス名:Hughenden (ヒューヘンデン)
所在地域:イギリス Buckinghamshire
ビクトリア時代の首相の一人、ディズレリが住んでいた家。
✴ハウスの概要✴
生まれながらの貴族ではないディズレリは、自身の野望と努力のパワーでビクトリア時代に首相になりました。そんなディズレリがほっと一息ついていた館。愛する妻メアリーアンと過ごしたHughenden には、二人の温かな空気が今でも感じられます。
父親が住む家に近く、またバッキンガムシャーに親しみと思い入れがあったディズレリは、ヒューヘンデンのロケーションを気に入ります。しかし購入にあたっては予算が足らず£35,000のうち£25,000が借入資金でした。もともとの館は白い漆喰塗りの外観でしたが、購入後、妻のメアリーアン主導で改装し、現存のレンガの外装や装飾的な窓枠が加わりました。同時代の貴族のカントリーハウスに比べれば、はるかに小規模で質素なつくりでありながらも、天井の漆喰飾りや暖炉の細工など細かなところに、こだわりが感じられます。またガーデンはシンプルでありながらも、建物を引き立てるように設計されており、噴水花壇から館を臨むと丁寧に計算されて庭がデザインされていることがわかります。
ビクトリア女王が1877年にランチに訪れたダイニングルーム。ビクトリア女王自らから贈られた大きな肖像画がかけられています。天井の漆喰飾り、おさえたトーンのブルーの壁紙、こった造りのダークブラウンの椅子は重厚な雰囲気を演出しますが、縦長の窓から
差す外光がより軽やかに感じられます。晴れた日のランチであるならばその重厚さと軽やかな光のコントラストが独特の調和を生み出し、気持ちを明るくしてくれたことでしょう。
キッチンガーデンは、ウォールドガーデン。ウォールドガーデンは、作物を野生の動物から守り、また日光の熱をレンガの壁が昼間に吸収して、夜間に熱を放出し作物の生育を助けるという効率的な造りです。ハウスでは野菜や果物、花を育てて自給自足に近い生活をしていました。館の規模が小さいので、キッチンガーデンも小規模で歩いてすぐに一回りできます。小さい規模でも、育てられている種類は葉野菜やリンゴなどは多彩で、ビクトリア時代の食卓の様子が伝わってくるようです。
冬場に訪れる際、靴に泥がついていると入口で靴を脱いで、ハウス内に入ることになることがあります。駐車場からハウスまでは土の道を通るので、雨や雪の後だと靴に泥がつきます。ハウスにビニールのシューズカバーが用意されている場合もありますが、状況によっては無い場合もあります。ハウスの床は底冷えしますので、冬場に訪れる際は厚手の靴下を持っていかれると安心です。特に地下のマップルーム(ヒューヘンデンは第二次世界大戦時に地図を作成する秘密施設でした)は冷え込みます。
South Lawnの外側を通る散歩道からバッキンガムシャーの雄大な自然が見渡せます。風景を臨む斜面にすわってちょっと一息も。
~ディズレリのある日の独り言~
ヒューヘンデンにいるときは、ほんとうに心が安らぐ。厩の前で馬車をおりて、館までの坂道を歩いておりるときは安堵の気持ちから自然に笑みがうかぶ。貴族たちの大きな館に比べれば猫の額のように狭い玄関ホールだが、一歩はいると実に心が落ち着く。自分の家とはいいものだ。窓をとおして見えるガーデンの先には、バッキンガムシャーの自然が拡がっていて、その緑は疲れた目を癒してくれる。
今日の議会は本当に疲れた。なぜこうも反対されなければいけないのか。私がユダヤ系だからなのか。いいや、それだけではない。新しいことには常に反対したい人たちがいるのだ。女王にまた、ゆっくり話を聞いてもらおう。今度はどんなブーケをもっていこうか。女王はいつも美しい花をもっていくと素直に喜んでくれる。女王をもう何十年も務めていても、花を心から喜ぶような純粋な感性が彼女の中にはしっかりとあり、私は、そんな女王が好きだ。世間では、私がおべっかを使うとか、太鼓持ちとか私のことをなんだかんだ言っているみたいだが、私は一人の女性として女王を尊敬しているし、また純粋な気持ちで物事を捉える性格がかわいらしく、愛おしいという感情も抱いている。女王も私には、いくばくかの厚い友情を感じてくれているようだ。二人の人間が魅かれ合って信頼関係を持つことのなにが悪いのか。周りはジェラシーを感じているのかもしれないが、そんなことまで気にしていられない。いまはいろいろな種類のダリアが庭に咲いている。赤いダリアを選んで、ネイビーのベルベットのリボンで束ねてもっていこう。リボンは幅が広いものがいいな。女王の喜ぶ顔を見るのが楽しみだ。
セリーナ(ブラッドフォード伯爵夫人)は、どうしているだろうか。今日、食事のあとで手紙を書こう。ヒューヘンデンに遊びにきてくれるといいのだが、伯爵夫人である彼女にはこの家は少し狭すぎるようだ。セリーナは本当に美しく愛らしい。最近は会えていないのが残念だ。会っていないことを、セリーナは不満に思っているだろう。
書斎で手紙を書いていると心が落ち着く。両親の絵に見守られ、少年の頃から使っているライティングスロープの上で筆を運んでいると、私の内から英知が湧き出てくるようだ。メアリーアンがいた頃の快活さや陽気さ、楽しさはもうこの家にはないが、それを懐かしむだけの心の余裕が私にあることを幸せに思うことにしよう。
※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。