ハウスの概要

ヒストリックハウス名:Sudeley Castle (スードリーカースル)

所在地域:イギリス、Glouchestershire、コッツウオルズ(Winchcombe近く)

1000年以上の歴史に渡り英国の歴史と深く関わり、王室所有だった時代も長く、ヘンリー8世の6人目の妻、キャサリン・パーの墓所があります。

スードリーはウィリアム征服王がイングランドを統治する前からあり、王室が所有していた時期が短くありません。エドワード4世、リチャード3世、ヘンリー7世、ヘンリー8世が所有していました。ヘンリー8世の死後は、6番目の妻であるキャサリン・パーが、ヘンリー8世の家臣であったトマス・シーモアと住み、スードリーで出産の後、亡くなります。キャサリン・パーの墓所が敷地内のセント・メアリー教会の中にあります。キャサリン・パーの死後はトマス・シーモアの兄のノーザンプトン侯爵の所有となりますが、ジェーン・グレイを王位につけようと策略したことにより斬首されます。その後しばらくメアリー女王の所有となった後に、ジェーン・グレイを処刑場まで連れて行ったジョン・ブラッジに譲渡します。ジョンはのちにシャンド―卿に叙爵されます。こののち、シャンド―卿の家系がスードリーを所有し、住むことになります。ジョンの孫のギルスは1592年にアルマダ海戦勝利記念の行幸でスードリーを訪れたエリザベス1世を迎えます。ギルスは、エリザベス女王からの今後の特別待遇を大いに期待し、他貴族とは一線を画したおもてなしをしようと心に決め、3日間の大宴会を催します。牡牛の催し、馬上槍試合、観劇、豪勢な牡牛のロースト、ビール、ワイン、エリザベス女王をとても喜ばせた大花火を打ち上げ、舞踏会を開きました。しかしその結果、財産を使い果たし破産寸前となりましたが、残念ながら宮廷での待遇に特に変化はありませんでした。

 

シャンド―卿のファミリーは静かに時を過ごしていましたが、1642年にチャールズ1世を応援するために進軍したことから、スードリーは難しい時に立ち向かうことになります。戦いが進むにつれ、スードリーはチャールズ1世の拠点となりましたが、チャールズ1世の処刑のあと、二度と王党派の拠点となることがないように、建物の屋根などが破壊され、軍事拠点として使われることはその後、なくなりました。そして後の200年間、スードリーは廃墟同然となり、朽ち果てていきました。

 

18世紀終わり頃に、朽ち果てたスードリーは、ロマンチックな郷愁を感じられる場所として観光名所となり、ジョージ3世も何度か訪れました。ジョージ3世はオクタゴンタワーの上まで上がろうとしましたが、急な石階段ですべって転び落ち、近くに住むコックス夫人が階段の下で身を挺してジョージ3世を受け止め、ジョージ3世は怪我をせずにすみました。御礼として、コックス夫人の息子は守備兵に抜擢され、その後、自身の力で大いに昇進を遂げました。

 

1782年のある日、スードリーを訪れていた婦人たちがキャサリン・パーの墓の敷石を偶然に見つけ、農夫に掘り起こさせたところ、鉛の棺が発掘され、その中から、死亡した直後の状態のままのキャサリン パーの遺体がでてきました。遺体はリネンで6~7重にくるまれて、皮膚はまだしっとりしている状態でした。しかし発掘された遺体はその後、朽ちていってしまいました。スードリーは手袋のビジネスで成功したデンツファミリーの手に渡り、現在は、デンツファミリーの傍系の子孫が所有し、公開されています。

 

スードリーは王室が所有していた時期が長いといっても、大きな壮麗な宮殿というわけではありません。リチャード3世が増築したバンケティングホール(宴会場)は、議会派によって打ち壊されてしまい、趣ある廃墟となっています。リチャード三世は、ここでこの立派な壁を見上げて、どんなことを思ったのか・・・。現在ある建物は、デンツファミリーの時代に整えられたもので、王室の住まいというよりは、ヴィクトリア時代の富裕層のファミリーホームといったつくりです。

見学できる部屋はごく一部ですが、Morning room, Library はここで、ゆっくり過ごしてみたいなと思う落ち着いたインテリアでした。クイーンエリザベスコリドアから外にでると、小規模なノットガーデンがあります。この庭はエリザベスI世の時代のドレスの柄に基づいてデザインされています。ノットガーデンに続いて、小さなクイーンエリザベスガーデンがありますが、ここは、エリザベス1世がスードリーに滞在したといわれる部屋があった場所とのことです。ワイヤーでつくったエリザベス1世が佇んでいました。

 

敷地内にある聖メアリー教会の中には、キャサリン パーの墓所があります。教会の床は美しいモザイク模様で目を引きます。

教会を出て、クイーンズガーデンを進んでいくと、その先には、コッツウォルズの広大な牧草地がひろがります。そしてたくさんの羊たちが見えます。以前に私はコッツウォルズを5日間で70キロほど歩いたことがあるのですが、その時、通ったフィールドが外に見えました。スードリーを訪れたかったのですが、時間が遅くもう閉まっていたのでした。

 

キャサリン・パーのある日の独り言

1547年のある日

スードリーに移ってきて、半年。少しずつ本当の自分に戻ってきたような気がする。結婚したのは4年前・・・もう随分と昔のことのような気がする。あのとき、私は31歳だった。

ヘンリー(ヘンリー8世)との結婚は私にとってありえないことであったけれど、私は同じくらいトミッシュ(キャサリンがトマス・シーモアを呼ぶときの愛称、トマス・シーモアはヘンリー8世の3番目の妻のジェイン・シーモアの弟)との結婚についても迷っていたことを思い出す。トミッシュとテムズ川のほとりを歩く時、時々聞こえる木々の葉のざわめきすら、心地よい音楽のように聞こえたわ。トミッシュはひざまずいて、私を見上げて、にっこり笑う・・・そんな仕草がどんなにあの頃の私を幸せにしたか。でも、トミッシュは、もうひとつ信用のおけない男でもあったわ。いつも宮廷の高位にある他の女性たちに興味があって、一緒にいるときはいいけれども、他の女性たちに常に積極的であるのは考えものだったわ。

そんなときに、ヘンリーとの結婚話がもちあがって・・・。ヘンリーはあのとき、確かもう52歳。強気ではあったけれど、からだの衰えは隠せなかったわね。私は、ただ、ヘンリーと宮廷の人たちの役に立てるのであれば、と思ったから結婚に踏み切ったわ。エリザベス(後のエリザベス1世)はまだ幼いのにいじめのような仕打ちをされていたし、エドワード(後のエドワード6世)も、まともな教育をうけているとはいえなかったわ。私から言わせると宮廷には、“あるべき姿”があるけれども、ヘンリーの長年の力による支配で、随分とひずみがきていたのよね。5回の結婚というのも・・・やはりよくなかったわね・・・

ヘンリーは“世継ぎ”という概念に取りつかれていた、または支配されていた半生だったといえるわ。気の毒だわ・・・。私との結婚は6回目になるけれども、もうここまでくれば5回も6回も同じよね。だから、私は結婚に踏み切って、すこしでも“あるべき姿”を取り戻そうと私なりに努力してきたつもり・・・。エリザベスは聡明な女の子だわ。ラテン語もフランス語もすぐに覚えて、これからが楽しみだわ。王位継承権も復活したことだし、エドワードにもしものことがあっても、メアリーがいるけれども、そのあと、万が一、そんなことはまあ、ないでしょうけれども、エドワードが世継ぎを残すのが望ましいのだから、でも万が一、エリザベスが女王になったならば、きっと宮廷の“あるべき姿”を実現できるのではないかしら。彼女にはその力がある、といっては言い過ぎかしらね。

ヘンリーを見送ってから、トミッシュからの猛烈なプロポーズがはじまって・・・。私を好きなのか“元王妃”の私を好きなのか。まあ、よくわからないけれども、もうここまできたら、私も宮廷ではやるべきことはやったと思えたから、トミッシュとの結婚を決めたわ。やっぱりトミッシュから笑顔で、“ずっと好きだ、君の魅力にかなう他の女性はいないよ”と言われるのは嬉しいわね。鏡をみて、もう30代半ばのすっかり年老いた私でも、胸が躍ってしまう。

スードリーは、美しい城。リチャード3世が建てたバンケティングホールはすばらしく豪華で、ここで舞踏会を催したら、皆喜ぶでしょうね。私には、そんな気力はもはやないけれど。

 

静かな牧草地を見ていると、これまでの宮廷での目まぐるしい毎日が、まるで一瞬の夢だったかのように思えるわ・・・今日もトミッシュはロンドンに行っていて、ここにはいない・・・多分エリザベスを訪問していることでしょう。今日は、少し本を読むことにしましょう。私には読むべき本がたくさんあるのですから。

※歴史的史実をベースに創作したフィクションです。

 

 

参考資料:「A STORY OF KINGS AND QUEENS & A GUIDE TO SUDELEY CASTLE AND GARDENS」 Sudeley Castle and Gardens, 「英国王室史話上」中央文庫