ヒストリックハウス名:Corsham Court
所在地域:ドーセット
訪問:2027年8月26日

コーシャム・コート正面、むかって右側にピクチャー・ギャラリーがある
正面玄関、名画を紫外線から護るためか窓にはスクリーンがぴっちり

Corsham Court (以下、コーシャム)は午後2時にオープン。1時間ほど早く着いたので、Corshamの町を散策し、カフェでサンドイッチを食べてから、開門を待って入りました。

コーシャムの町、石壁にフラワーハンギングがいい感じ

コーシャムは、ヴァン・ダイク、ルーベンス、レイノルズなどを含む300点以上の名画を所蔵し、私が訪問した日は150点ほどが展示されていました。

これらの絵画を収集したのはポール・メシュアン卿(Sir Paul Methuen、1672-1757、以下メシュアン卿)。父はポルトガル駐在大使だったジョン・メシュアン( John Methuen, 1650-1706)で、ポートワインの交易をイングランドが求める条件で取りまとめたメシュアン条約 (1703) が功績です。

メシュアンはパリで教育を受けた後、父と同じく外交官になり、1697年からはリスボンに駐在。1706年に父が亡くなると父を継いでポルトガル大使となりました。メシュアンはそのあとも海軍卿、財務卿、枢密院、国王主席秘書官、王室家政監督官など政府の要職を務めました。

メシュアンは交渉に長け、相手の気持ちを尊重しながら国益を護る人物であったと評価されています。

一方でメシュアンはイタリア、フランス、オランダ、フレミッシュ(現ベルギー)の巨匠たちの名画を数多く収集しました。現在残る300以上の名画の約半分がメシュアンの収集によるものです。

メシュアンの名画コレクションは、ロンドンのグロヴナー・ストリートにある邸宅に保管されていました。生涯独身で子供がいなかったメシュアンは、メシュアンが名付け親の51歳年下のポール・メシュアン( Paul Methuen, 1723-95、以下ポール) にコレクションを残すことを生前から決めていました。

ポールは1582年に建てられたこじんまりとしたコーシャムを1745年に購入し、1749年頃にはメシュアンの名画コレクションを飾るのにふさわしい家とすることを目的に、増築をスタートしました。改築をはじめたとき、メシュアンは77歳、ポールは26歳でした。

メシュアンは、きっと安堵の気持ちだったことでしょう。

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メシュアンの死後、ポールの増築への熱意は一層高まり、当時大人気だった造園家ランセロット(ケイパビリティ)ブラウン(Lancelot ‘Capability’ Brown, 1716–1783)を建築主任とし、さらにロバート・アダム(Robert Adam, 1728–1792) 、ジェイムズ・アダム (James Adam, 1732–1794), トマス・チッペンデール(Thomas Chippendale, 1718–1779)ら錚々たるメンバーに内装を任せ、名画を飾るための邸宅は1772年に完成しました。

名画が架かるのは3つの大きな部屋が連なる「ピクチャー・ギャラリー」。そのサイズは幅7.3メートル、天井高7.3メートル、奥行き21.9メートル。壁には真紅のシルクのダマスク織の生地が貼られ、置かれている椅子にも壁と同じ真紅の生地が貼られています。18世紀後半、金の額縁の絵を飾るのに最適な背景は、真紅のシルクのダマスク織の生地であるとされていました。天井は白い漆喰細工、壁中央にある白い暖炉の上にはメシュアンの胸像がおかれています。

ヴァン・ダイクの『キリストの捕縛』(The Betrayal of Christ)、ミケランジェロの『二つの果物』( two fruit pieces ) やレイノルズ (Joshua Reynolds, 1723-92) の『ポール・メシュアン』(Paul Methuen) など、ギャラリーには150点ほどの名画が架けられています。名画とインテリアの相乗効果で創られた真紅の美空間にいると、自分が生まれ変わるような気がします。

名画を所蔵するカントリーハウスは少なくなく、ピクチャーギャラリーを持つカントリーハウスも多くありますが、コーシャムは、すでにある名画に合わせて建築されたことで、部屋が名画を最大限に引き立てる造りとなっています。

ガーデンのバス・ハウス、入ってすぐのところに深いプールがある

参考: Corsham Court, 2004., Corsham, A Catalogue of the Pictures at Corsham Court , revised version of 1938.