ヒストリックハウス名:Doddington Hall
所在地域:リンカーンシャー(Lincolnshire )
訪問:2026年5月13日

エリザベス一世時代では画期的だった中庭をもたない造り。ハードウィック・ホールやウォラトン・ホールとよく似ている

ドディントンに到着したのは、朝9時半頃。駐車場に隣接して、ファーマーズ・マーケット(地元の地産品を販売する食品スーパー)とカフェがありました。マーケットで美味しそうな野菜や乳製品を見学してから、誰もいないガーデンを散策していると、強い風と折り畳み傘が壊れそうな横殴りの強雨がいきなり始まり、ずぶ濡れになりそうに。

ハウス側から臨む風景、遠くにフォーカル・ポイントの三角の塔がある
ガーデン側から見るハウス、植栽と建物の高さバランスが良い!
ボーダーと呼ばれる花壇。多種類の植物が植物同士の相性や高さ、色合いを考慮して植えられている

ガーデンから小走りで引き返してカフェへ避難。地元の人々が賑やかに談笑するなか、温かいコーヒーで一服しました。

ハウスが開く11時、外を見ると豪雨は霧雨に変わっていました。

この旅では、強い雨風が突然にはじまり30分ほどすると霧雨に変わり、そして青空へ、というサイクルが繰り返される日が多くありました。到着して車から降りた途端に豪雨!ということもあり、閉口したのも懐かしい思い出です。

ドディントンは、エリザベス1世時代にリンカーン司教区の登録官として財を築いたトマス・テイラー (Thomas Tailor, 1561-1607) が建築しました。トマスが自分の富を見える化するために建築したドディントンは1601年に完成。しかしトマスは6年後、46歳で死亡。その後、ドディントンは、女系により姓は変わるものの220年以上トマスの直系子孫に承継されてきました。

施主、トマス・テイラー、襟と袖口が素敵です

ところが、トマスの子孫ではない人物が1829年にドディントンの当主になりました。売却ではなく、「恋人への遺贈」がその理由です。

Sarah Hussey Delaval (1875-1825): サラ・ハッセー・デラファル

サラは8代目当主エドワード・ハッセー・デラファル(Edward Hussey Delaval, d. 1814) の唯一の子で、父の死後、ドディントンの9代目当主となりました。

サラの夫はドーヴァーの名門ガンマン家出身で25歳年上のジェイムズ・ガンマン(James Gunman, d. 1824) 。ガンマンは税関長官、関税徴収官、ドーヴァー市長を務めました。サラは結婚後、ドディントンから離れてドーヴァーに住みます。

ドーヴァー・カースルはナポレオン戦争時、重要な軍事拠点でした。そこへ赴任してきたのが、ジョージ・ジャーヴィス(Colonel George Ralph Payne Jarvis, 1774-1851, 以下ジャーヴィス)。1805年、共に30歳の軍人ジャーヴィスとサラはドーヴァーで知り合うことになりました。

ジャーヴィスは1802年に結婚し既婚でしたが、妻フィラデルフィアは1816年に死去。独り身となったジャーヴィスと、25歳年上の夫をもつサラ… 2人は、どのような関係だったのか。

時は経ち、サラの夫ガンマンは1824年に亡くなって独身同士となった2人。しかし翌年、サラは結核で50歳の若さで亡くなってしまいます。

当主だったサラは、実母サラ・スコットにドディントンを遺しますが、遺言に明記された条件は、サラ・スコット死亡後、ジャーヴィスにドディントンが遺贈されることでした。1829年にロンドンに住むサラ・スコットが亡くなると、サラの遺言どうりジャーヴィスがドディントンの当主になりました。

その後、ジャーヴィスの子孫が代々ドディントンを承継し、現在の16代目当主はクレア・ジャーヴィス (Claire Jarvis, b. 1963 )です。

邸宅は、子孫への継承、第三者への売却、ナショナル・トラストや地方自治体への遺贈などにより後世へと引き継がれます。ドディントンのように女性から男性の恋人(おそらく)への遺贈は珍しいと言えます。

サラの死亡時、ジャーヴィスの長男ジョージは23歳でした。サラはジョージへの承継も視野に入れ、ジャーヴィスへの遺贈を決めたのかもしれません。

グレート・ホール、鉄仮面は中世時代、噂話をした女性が罰としてつけさせられたそうです
ブラウン・パーラー、今回の主役ハッセーの時代に木製のバネリングがつけられた。大理石の暖炉が木製パネリングとよく合っている。
ブラウン・パーラーに架けられていたチャールズ1世。ヘルメットと王冠が並置されている
ドローイング・ルーム、暖炉の上の犬の肖像画は17世紀に描かれたもの。この牛のような犬は飼い主ヘンリー・ストーンを複数回、雷から守りました。犬はストーンの墓の隣に埋葬され、子供がいなかったストーンは犬の肖像画を友人ハッセーに遺贈しました。
タイガー・ベッドルーム、このベッドには1745年、スコットランドとの戦争のため北上する途中にドディントンに泊まったカンバーランド公が寝ました。カンバーランド公はカローデンの戦いでスコットランド人を大量虐殺し、「ブッチャー・カンバーランド」(ブッチャー:肉屋)と呼ばれ恐れられました。
イエロー・ベッドルーム、18世紀に17世紀のタペストリーを壁いっぱいに貼った部屋。なかにはタペストリーのデザインを無視して切り貼りされているところも。タペストリーはトロイ戦争を描いています。タペストリーの劣化で長年この部屋は公開されていませんでしたが、修復され2018年から公開されています。
テント・ルーム、チャーチル内閣の一員だったハリー・クルックシャンクがエジプトから持ち帰ったテント。エジプトでは結婚式や祝宴で使われるテントでした。カイロ生まれのクルックシャンクは軍人、政治家としてイギリスに貢献しました。
ドディントンのゲートハウス。オランダ破風は17世紀初頭の特徴の一つ。

参考: Doddington Farms LLP, Doddington Hall & Fardens, 2019.